1 トリカゴ
1.
――どうして。
少年の脳内には、そんな言葉ばかりが反響している。
「そして、ここが――」
案内人の言葉など、ほとんど耳に入っていなかった。
……何だ? この状況は……。
昨日まで極平凡な生活を送っていたのに突然訳の分からないことで襲われて意識を失い、目覚めると全く知らない〈施設〉に隔離されていたのだ。
清潔感の溢れる白い建物。外界を遮断するその雰囲気は、〈施設〉というよりは病院という表現の方が相応しいだろう。
「――〈
「…………」
この妙なあだ名も、彼の機嫌を損ねる大きな原因となっていた。誰しも、記号で管理されることに良い感情を抱きはしない。
「ふぅ……。まあ良い。で、ここが君の部屋ということになる」
かなりの間隔を取って並ぶドア。その内の一つを前にして立ち止まった職員が、実に事務的な口調で告げた。
「部屋の出入りについてだが、入ることは自由に出来る。しかし、出るには室中にあるインターホンを押して許可を得るか、こちらが呼び出した時のみになる」
「は……? それじゃまるで牢屋じゃないか!」
職員の正面で、雑然と伸ばした黒髪に黒い瞳を持つ少年は猛然と抗議する。
「その通りだ。君は
「くっ……!」
後ろ手に手錠を掛けられ、常に拳銃を向けられているという状況下の少年は、渋々ながら室内へ足を踏み入れざるを得なかった。
「まあ、君の力は確かに危険だが、どうやら
職員がそう告げる合間にも部屋のドアの仕掛けが作動し、まず赤い光を放つレーザーワイヤーが隙間無く左右に走る。そして、それを覆うように白いドアがゆっくりと閉まっていった。
「ああ、そうそう。部屋にある〈コミュニカ〉を使えば、他の部屋にいる能力者と会話することが出来るぞ。……もちろん、その内容は全て記録されるがね」
職員が冷たくそう言い放った直後、ドアは完全に閉まり、真白の部屋に少年が独り残される。
「……ッ! ──クソったれぇっ!!」
ガンッ! と思い切りドアを蹴りつけ、少年はその反動でバランスを崩し、転倒した。彼の両腕には、未だ手錠が掛けられているからだ。
「チクショー……! 何でオレがこんな目に遭わなきゃならないんだ? オレの“力”って、一体何のことだよぉ……?」
床に這いつくばりながら少年が呟くと、手錠の鍵が自動的に解除される。
「……クソっ」
再三の悪態を吐いて、少年は手首をさすりながら立ち上がった。そして周りを見渡す。やはり白を基調とした簡素な部屋で、余計な家具などは一切置かれていない。
清潔なシーツに包まれたベッド。ちょっとした書き物をするのに適した大きさの机と椅子。部屋の隅に置かれたタンスには、同じ作りの服が何着も吊られている。
「はぁ……」
溜息とともにベッドの端に腰掛けた少年は、ここで小さな電子音を耳にした。
「? ――やっぱり鳴ってるな……」
気のせいかとも思ったが、耳を澄ませてみると、やはり規則正しい電子音がどこからか聞こえてくる。
「……あれか?」
少年は、机の上に置かれていた四角い物に耳を近づけてみた。すると、やはり電子音はそこから響いている。
「〈コミュニカ〉とかいうヤツか……」
興味が無いのか、少年はそれに手を掛けることなく再びベッドの上へと戻り、今度は横になった。
「…………。――ああ、もうッ!」
何分経っても鳴り続ける電子音に苛立ちが最高潮に達した少年は、ベッドから飛び起きると早足に〈コミュニカ〉へと向かう。それは二枚の板が重なったような形状をしており、上部の
少年は上の板に手を掛け、一気に押し上げる。すると、板とほぼ同じ大きさの画面が現れ、下の板には何やら多数のキーが見受けられた。
「これは……。『Calling from B.B.』……?」
画面にはその文字と受話ボタン・拒否ボタンが映し出されている。少年はしばしの間迷ったが、結局は好奇心に負けて受話ボタンを押していた。
『――あら、ようやく出ましたのね』
「……っ?!」
そして現れたのは全身黒尽くめの少女。いや、外見だけで言えは幼女と言った方が良いかも知れない。彼女は、フリルの付いた黒のカチューシャを着け、身体には凝った装飾が施された漆黒のドレスを纏っていた。
ややクセのある長い髪は、白に近く思えるほど薄い金色をしている。肌の色も精緻に作られた生き人形のように白く、彼女が
『そんなに見つめられると照れてしまいますわ』
「え? あ、いや……」
少年の前にあるのは、完成された美。そんなものを目の当たりにして、見とれるなという方が酷と言うものだろう。
『ふふっ。ようこそ〈
「……オレは
不機嫌そうに答えたアスカという名の少年を見て〈
『そう、アナタ興味深いわね。では、私ももう一度名乗りましょう。──私の名は
「くろあげは……?」
『そう。黒い
彼女――黒鳳は、胡蝶にも似た黒一色の扇子を広げると、妖艶に微笑む。
「……で、オレに何の用?」
『久々の新入りさんに挨拶をと思いまして。かれこれ三年ぶりかしらね。ここに新たな入居者が来たのは』
「何で……新入りが来たってすぐに分かった?」
『あら。だって〈コミュニカ〉のネットワークに今まで無かった名前があるんですもの。気付くに決まっているわ』
(……なるほどな)
要するに、この〈コミュニカ〉というものは長期間〈施設〉に幽閉される者たちの暇潰しツールというわけだ。他にやることが何も無いため、〈施設〉にいる能力者たちは、このツールを使って遊んでいるのだろう。
(……ってことは……?)
『もう薄々気付いているかもしれないけれど、これからしばらくは〈コミュニカ〉が鳴りっぱなしになるでしょうね。ふふっ、ご愁傷様』
「やっぱりか……」
そう言って頭を抱えるアスカに、黒鳳は優しい声音で語り掛けた。
『ここに来るのは〈施設〉から〈第一種危険能力者〉に認定された者たちだけよ。だから、新入りさんには心に深い傷を負っている人が多いの。みんな心配しているだけなのよ』
「……その〈施設〉やら〈第一種危険能力者〉ってのが分からないんだ。頼む、黒鳳。オレにそこのところを詳しく教えてくれないか?」
アスカの表情は真剣だ。それが分かるからこそ、黒鳳はその顔から微笑を消した。
『まさか、初日からこれほど元気な新入りさんがいるとは思いませんでしたわ。良いでしょう。ただし、私から全て教えることはしません。他に聞きたいことがあれば、他の子たちから聞きなさいな』
「それで良い。頼む」
『良い子ね。では、私からは〈施設〉についてお教えしましょう』
黒鳳はそう言うと、何やら〈コミュニカ〉を操作し、画面上にマップを表示させる。
『良いかしら? 私たちがいるのは、ここ。地下七階にある一級収容フロアね』
彼女が告げると同時、画面に移った地図の一部が色を変えた。
「へぇ……。分かりやすいな」
『その一つ上が〈第二種危険能力者〉が暮らす二級収容フロア。こちらは私たちと比べれば、随分と自由みたいね』
「……続きを」
『そんなに焦らないで……。黒鳳さんの個人授業を、もっと長い時間味わいたいとは思わないの?』
幼い少女の外見とは不釣り合いにもほどがある妖艶な笑みを浮かべて、黒鳳は言う。
「…………」
途端に不機嫌な顔になるアスカに苦笑し、彼女は言葉を続けた。
『真面目なのね。そういう子、嫌いじゃないですわ。……そうね、それより上は私たちには関係の無い研究施設よ。私たちのような能力者がどうして生まれてくるのかとか、どうして能力者には
「……何?」
『〈施設〉の正式名称は――〈
「…………。ありがとう、よく分かった」
『そう、それは良かった。では、そろそろ次が控えているでしょうし、私はこの辺りで失礼するわ。ああ、そうそう……』
そのまま通信を終えるのかと思われた黒鳳だったが、何かを思い出したような素振りを見せると、
『寂しくなったら、いつでもコールしてきなさい。黒鳳さんが、優しくお相手してあげるから』
優しく、慈愛に満ちた声音で告げる。それは、決して上からの目線で言われた言葉ではないと、アスカには分かった。
「……ああ」
だから、彼はそう返事をして通信を自ら終える。
2.
「……ふふっ」
画面の暗くなった〈コミュニカ〉の前で一人笑みをこぼすのは、全身黒尽くめの幼い少女――黒鳳だ。
彼女は、床に足の届かない高さの椅子から器用に飛び降りると、ベッドへと向かう。そこには、一つの縫いぐるみが置かれていた。
全身真っ黒で、何の生き物かもよく分からない外見をしており、片方が異様に大きい目を持ち、口は裂け、片側だけ長い耳を持っている。
「アスカ・ティタジア、か……」
縫いぐるみを手に取り、胸に抱え、彼女はベッドの縁に腰掛けた。
「よりにもよってこの時期に来るなんて……。これも何かの導きなのかしらね」
そう呟いて、彼女は真白の天井を見上げ、目を細める。
3.
――――♪
「またか……。これで何人目だよ……。いい加減ノイローゼになりそうだ……」
黒鳳との会話が終わってからもアスカの〈コミュニカ〉が休まる暇は無く、こうして次から次へと引っ切り無しに着信が来ていた。
『お~っ。男の人が来たんスね~。危険度の高い能力者はみんな女の人かと思ってたんスけど……』
連絡してきた者の九割九分は女性であったが、次にアスカの〈コミュニカ〉を鳴らしたのも、やはり女性である。
「いきなりで失礼だけれど……君の名前は?」
『名前? ああ、〈
そう言って、へらへらした笑顔を見せるのは、銀髪のショートヘアに薄紫色の瞳を持つ少女で、やたら顔色が悪い。
「いや、そうじゃなくて、ホントの名前。オレはアスカ・ティタジアって言うんだけど、君は?」
慣れた口調でアスカが再度尋ねるや〈
『面白い人ッスね。ボクの名前はスメラギ。元々名前が無かったボクに黒鳳さんが付けてくれたんスけど、気に入ってるッス』
(また黒鳳か……)
アスカへ連絡を寄こしてきた者には、第一種・第二種どちらの能力者もいたのだが、皆すべからくこの名を口にするのだ。
(あの子、いったいどれだけのパイプを持ってるんだ?)
少し話しただけでも、彼女にリーダーシップがあることは感じ取れたが、これは正直異常だ。
(こういう隔離施設だと、よくあることなのか……?)
アスカには全てが初めてのことなので、何とも判断が付かず、思わず表情が強張った。
『う~ん。表情が暗いッスねぇ』
「……え?」
『まあ、ボクをよく見ててくださいッス。──えィッ!!』
「お、おい!?」
突然、スメラギはアスカの目の前で思い切り舌を噛み切った。だらしなく力の抜けた彼女の口元より、真っ赤な血と何か赤い塊がぼとりと机に落ちる。そして、彼女自身も重力に引かれるがまま机に突っ伏した。
彼女の頭が〈コミュニカ〉を打つ鈍い音が響く。
「おい!? 大丈夫か! スメラギっ!!」
突然の事態に半ばパニックに陥ったアスカは、ただそうして画面へ向かって叫ぶことしか出来なかった。
──しかし、その数秒後。
『──なぁんちゃって~』
何とも楽しげにそう言いながら、彼女は鮮血で顔を染めながら起き上がる。
「……っ?! だ、大丈夫……なのか?」
『あははっ、心配ご無用ッス! ボクは
そう言って、彼女は口内から舌を出してきた。確かに、先ほど噛み切ったはずの舌は何事も無かったかのように、そこに存在している。
「……悪い、冗談だ」
アスカが大きく息を吐き、知らずこもっていた全身の力を抜くのを見ながら、スメラギはクスクスと笑い、
『冗談じゃないッスよ。ほら、これ。さっき噛み切ったボクの舌ッス』
机の上の血だまりから、赤黒い塊を取り上げて、前へと差し出した。
「良い……! 見せなくて良い! 分かった! 分かったから、それをどっかへやってくれ!」
『あっははは! 画面越しなのにコワいんスか? ますます面白い人ッスね! こんな大きなリアクションしてくれたのはアナタが初めてッスよ。他の人はもう見飽きてたのか、別段驚いたりはしなかったんスけど』
「…………。とりあえず、今までで一番驚いたことは確かだ。それ、本当にタネも仕掛けも無いのか……?」
『無いッス。ボクは生まれた時からずっと〈
そう告げる彼女の表情には、どこか陰りがあるように感じられる。やはり、黒鳳が言ったように、ここにいる能力者たちは、心に大きな傷を抱えている者たちが大半なのだろう。
「……なあ、スメラギ。一つ、聞いても良いか?」
『はい。ボクに答えられることなら何なりと』
「〈
〈コミュニカ〉には、もちろん受信だけでなく、発信する機能も備わっているが、発信画面でコンタクト一覧を見た際、その両者だけは、なぜか発信ボタンが表示されなかったのだ。
『ああ~……。その二人は事情が特殊なんスよ』
スメラギは視線を逸らして頬を掻き、しばらくの間沈黙するも、
『分かったッス。ボクの知っていることはお教えするッスよ』
そう言って、真剣な表情を作る。
『まず、〈
「……はい?」
『まあ、驚くのも無理は無いッスね。ここら辺がややこしいとこなんスけど、彼女は
「なるほど……。で、もう一人は?」
『はい。もう一人はその能力上、〈コミュニカ〉を使えないんス』
「……へぇ?」
『詳しくは分からないんスけど、
「そうなのか……」
『まあ、普通に暮らしていれば関わりを持つことの無い人たちッスよ。ここでの暮らしが長いボクでさえ〈
「分かった。疑問点が晴れてすっきりしたよ。ありがとう、スメラギ」
『……ありがとう、か。久々に聞いたッスね』
「? そうなのか?」
『あははっ。
そう言って彼女は陽気に笑うが、背負う雰囲気はやはりどこか寂しげだった。
「……存在自体が罪なんて、そんな悲しいこと言うなよ」
だからアスカは、ついそんなことを言ってしまう。すると、今まで流れていた緩んだ空気が一変して硬質なものとなった。
『
「……何が言いたい?」
『いえ、別に。ただ、世の中にはアナタが思いもよらない下衆が大勢いることは確かッスよ』
「…………」
スメラギの口調は静かだが、全ての反論を許さない断定的なものだ。彼女に何があったのかは分からないが、今までに何かしらの悲惨な目に遭ってきたことだけは、初対面のアスカにさえ伝わってくる。
『まあ、これからこの中で過ごしていくアナタには、もう関係の無い話かも知れないッスね。……では、ボクはこれにて失礼するッス。話せて楽しかったッスよ。それじゃ、また』
「……。何だってんだよ……」
そう言って切られた通信画面から、アスカは何故かしばらく目を離せなかった。
4.
「──首尾はどうだ?」
「はっ。ターゲットの輸送経路の確保を完了。あとは機を見計らい、実行に移すだけです」
明かりの点いていない室内で、二つの影が向き合っている。一人は標準的な体格の男で年若く、もう一人は背が低く小太りで、やや年を召していた。
「ふん。もう一日の猶予も無い。どうせここの連中の時は止まっているようなものだ。準備が出来たのなら、明日の夜に実行しろ」
「はっ。各班に伝えます」
「ここまで漕ぎ着けるのに三年掛かった……。くれぐれも抜かるなよ?」
「はっ。
そう告げると、年若い一人が早足に部屋を出る。その際、外の明かりが室内に入り込んだが、その明かりに一瞬照らし出された年老いた方――ジェラルミン・ショーカースの容姿は醜悪の一言だ。
落ち窪んだ目に、大きな鼻。所々抜け落ちた歯に、禿げ上がった頭。よくもまあ、これほど醜いパーツばかりが集まったものだと感心するほどの外見であった。
「ふふん。罪深きカゴの鳥のくせに、ワシをアゴで使いおって。これからは、ワシが世界の王となるための道具として、じっくりと飼い慣らしてやるわ……! ふっ……ふはははは! あっはははははは――!!」
暗い室内に、醜い笑い声が響き渡る。
5.
「──そう。明日の夜なのね……?」
『はい。耳の良いヤツに探らせたので、間違いないかと……』
ここは〈施設〉の地下二階にある黒鳳の部屋。彼女は今、縫いぐるみを抱えてベッドの中にいた。
「分かりました、信じましょう。アナタたちは制御室の奪取と、通信設備の破壊を最優先しなさい。一級能力者の方は私が誘導しますから」
『了解ですが、〈施設〉の連中の大半はそちらへ流れていくことになりますよ?』
「ふふっ。
黒鳳は、どうやら抱えた縫いぐるみに向けて話しているようだ。真っ黒な縫いぐるみの耳元へ唇を寄せると、彼女は小声で囁いた。
「
『……分かりました。全て、お任せします』
「良い子ね。では、トリカゴの蓋が開いたのを合図として、こちらは動きますわ。良い働きを期待しています」
『こちらもです。それでは――自由な空を目指して』
「ええ。次は星空の下で会いましょう」
通信を終えたのか、黒鳳はもぞもぞと動き、ベッドから出る。その身には、一枚の布切れすら着けてはいなかった。
「ついに、動き出しますのね……。長いようで短かった安寧の日々。さて、アナタはどう動くのかしら──アスカ・ティタジア」
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