第14話

 経過報告 三月二日:小川龍之介


 私の不本意ではあるが、予知能力に対する実施的な検査が行われると決まった。それは将来をどの程度の確立性で予知できるのか。どれくらいの頻度でそれは呼び出すことができるのか。苦痛はあるか。患者の精神状態に異常をもたらすものであるか。等々を検査することとなった。彼にそれを伝えると彼はぼんやりとした顔のまま調べることを承諾した。私は両親にも許諾を得たと聞いているが、それでもあまりにも残酷な仕打ちに思えた。彼は人類に失望しているようなことを言っていたのに。こんなことを書き残すことは審査にマイナス評価だとは心得ているが、私は彼の人嫌いの根本を正してやりたいと思っている。世の中には正しいことを考えようとし、正しく生きようとしている人もいるのだという事を私は彼に伝えたい。だがそれはその場的に伝えたとしてすぐに効果があるものと思えないので、私はただ彼の傍に居た。彼の見ている公園を一緒になって眺めた。窓ガラスが振動するのを見て、風が強いですね、などと声をかけた。彼もそうですね、と答えた。ただ静かに穏やかに時間は過ぎ、外の風が入り込み、内側にいる私にも感じられた。私はそれらの一貫した展望と沈黙がとても尊く思えた。今まで失っていた仕事内容の欠落が埋められたような気がし、私は感銘して、涙がこぼれそうになった。可哀想な彼の傍に居てあげられる。これほど正しいことがあるだろうか。私は彼の能力や、知能の高さや、存在の重要性なんてどうでもよかった。私はただこうやって一緒にいてあげられることの正しさが尊く感じられた。

 人はこうやって日常の大切さを忘れているときがある。一緒に居られるだけでは満足できなくなってしまう。どこかもっと欲がでてしまう。私は看護師になったとき、そういう種類の関係性が培われるのを見たことがある。もっと傍にいてほしい、もっと近くにいてほしいと。それが恋愛に発展するのも見たことがある。私はそこが彼が絶対に譲らない点だろうなと思った。彰さんは孤独でありながら孤独ではないと言い張りたいのだろう。私には彼が苦しんでいることが分かるし、それを止めてやりたいと思う。だが彼は自分の苦しみを理解してもらえる人がいないので孤立しているのに気付かないのだろう。彼はなぜ自分が孤独なのか知らないように私は思う。だが痛みは分からなくても彼の思いやりの気持ちは本物だと私は信じている。皆彼を道具にしようなどと思っていないし、彼を一人の人間として尊重しようとしている。だが彼には恐らくまだ分からないだろう。無関係の人間でさえ大切に思うことの出来る人間が世の中にどれほどいるかを。私は彼を尊重すると同時に、彼の尊厳を守ってあげたいと思っている。

 彼の総合IQは一三六だった。かなり高い方だった。特に空間認識能力テストでは高レベルな次元の問題までやり通した。とはいえ、この数値が天才と呼ぶに値するかと言ったらそうではない。かなり頭の良い人という括りに入るであろうが、予知など到底出来る数値ではない。それは何となく想像できていた。彼の頭の良さから予知が現れるのではないと皆そう思っていた。いくら頭が良くても予知など出来るわけにもいかない。頭の良さだけが全てではない。またそれとは別の能力が彼にはあるのだ。

 以前に行ったバウムテストの結果は彼の神経衰弱と偏屈さを表しているだけだった。私は彼と話をしていくうちにSとK(守秘義務につき名は伏せておく)という恋愛相手とのいざこざが原因で精神状態を悪くしているのだと分かった。私は彼の心のうちにいつまでもある彼の失敗の痛手を和らげようと思った。彼はその二人について語りたくないと言った。私は深く追求しなかった。

 彼は予知について幾らか語った。最近花は怒っているそうだ。彼が幾らか質問するからではなく、我々という存在も認識していて、我々が彼の抱える問題を認識しようというすることが腹立たしいらしい。私らは彼の録音したデータを解析することにした。そして普段我々と会話する際も記録する録音機も増やしてもらった。

 私は記録の一部を聞いた。彼は機械的に唱えるように薬によって頭が働かないまま言葉を発している。私は彼が話す一言一言に耳を傾けた。そのうち、この記録も機密事項になってしまうのではないかと考えた。彼は外の天気をよく記録に残していた。彼の見せてくれたノートにも(私にだけ見せてくれた)幾らか天気のことが書いてあった。ノートを見る限りでは美的センスが鋭いのだろうかと感じた。私は彼が人類の役に立つということに批判的な一面を加える一方で誇らしく思えた。彼という天才が世界に新たな一滴を世の中に落としていくことになるだろう。


 三月三日 晴れ


 僕は運動をするようになった。それは頭の巡りがよくなるからだった。医者らは僕にあまり無理をしないように言ったが僕は体を動かさなければ気持ちが済まないような気分になっていた。といってもウォーキングなどの軽い運動なのでたかが知れた運動なのだが、それでも今の僕にはかなり疲労を伴うものだった。

 僕は病院の中をウロウロしているうちに自分が血液のめぐりのように、滞りなく動こうとするものに思えた。僕はサトリの事を思い出していた。

 僕からすれば世間は僕を傷つけるもの以外ではなくなっていた。精神病だという事を伝えないでいると相手は僕を理解できていないと思った。僕は世間が嫌いだ。世間が不条理なのは社会全体にとって同じだが、僕はその最下層を味わっている。僕は差別はなくならないと思っている。差別はなぜなら快感でもあるからだ。人を見下すことで自分の価値がたしかになるというタイプの人間がいる。それに嗜虐的嗜好を人は少なからずもっているから人は差別をやめない。人々は差別される痛みくらいイメージできるはずだ。だがやめない。それが楽しいことだから。僕は世間全体に傷つけられている気持ちがする。だが僕はその分世界を見下している。僕はどうせ変わらない世界を一歩離れたところから見下ろしている。無知で無理解な世界を。

 分かっている。変わっていかなければいけないのは僕の方だ。そんな不条理でも理解できる人を探して関わりを持って生きなければいけない。世間全体を憎むことはできない。それは諦めだから。僕はなぜこうも頭の悪い人たちと生きていかなければいけないのだろうと思うことがある。勉強ができる出来ないの問題ではない、無理解という結果に陥ることだ。人に優しくしていこうという意思が薄弱過ぎて人の一人一人が世の中を嫌な世界だと誇示しているみたいだ。僕はいずれ強固な意思で自分というものを作り上げたいと思っている。誰にも左右されない意思をもった正しい人間へ。その為に世間ができることは「放っておいてくれ」だ。または「これ以上僕を傷つけてこないでくれ」とも言える。僕は世間に傷つけられた差別的な傷を忘れないし、できるだけ恨まないようにする。だが許したのでは決してない。僕は世間の一般の人の一人一人を許しがたき相手になりうると思っているし、実際接すると敵になるだろう。ただ精神病を患っているという理由で敵にされるのは悲しいが、世界は差別することでバランスをとっており、僕はその差別の対象の一人に過ぎない。僕が代表してるのではなく、代弁するのみだ。僕は敵を作らず世界に生きようとする小善人の一人だった。だが今は皮肉なことに自ずと敵を作り自分は我慢をし、相手も我慢している。この敵を生む偏見や無知を僕は作り変えたいと何度も思った。だが所詮人は憎しむべき相手を作りたがる。自分の不満を誰かのせいにしたがる。それでも正そうとする人がいるから僕はもう少しで世界が正しい方向に動くと思った。だが変わらなかった。世界は差別を続けた。一人一人が動くことを億劫にした。こうなるだろうと僕はどこかでと予見していたが、それでもがっかりした。

 僕のするべきことは考えることではないと思う。何も考えず流れに流されるだけだ。僕は生きていく事を呼吸する事のように自然とこなせる人はどこにもいないのではないかと考える。僕は生きていくという事が沢山のガラスの破片の上を裸足で歩いていく事に近いのではないかと思う。それほど敏感で怖いものだと思う。


 経過報告 三月八日:小川龍之介


 喜ばしいことがあった。彰さんが軽度の精神障害を持った人と楽しそうに会話していたのだ。私はその患者の担当看護師と連携を取り、その二人でいる時間を長くする事にした。彰さんより少し年上で、明るくざっくばらんとしている方だ。私は患者同士の割り切った明け透けな話を聞くのが好きだった。遠慮の無い、かといって無礼ということでもないそういう親密的な態度を観れるのが好きだった。私は彼の予知能力が大分変化していくのを聞いた。「役者」彼のいう夢の中の登場人物が彼に意味ありげな事を言い残していくようになり、それが大抵予知に繋がるのだそうだ。つまり彼のいうところだとあるときは暗号のようだったり、詩的な魅惑的な言葉だったり、意味不明な奇怪な風景による暗示が予知だったりするらしい。彼は自分の価値観でそれを紐解いていくと理解できるらしい。彼の推理を通さないと未来が分からなくなった。私はそのまま未来が彼のものだけになればいいと思う。未来など我々が知る必要などないのだ。たとえ悪い結果になったとしても、それはそれで教訓として必要だし、痛みが他の痛みを麻痺させることもある。私は予知が必ずしも良い結果を彼にも世間にももたらすと思っていない。他の看護師が彼をもてはやしたり、恐怖したりするのが分かり、私は彼の運命を哀れむことが多くなった。彼は孤独だった。今は少しでも長く患者さんとの会話を楽しんでほしい。それと一日に五時間ほど起きていれるようになった事により、本人の希望で音楽を聴く時間をつくった。たったの十五分ほどだが、検査の合間にも聴けるのでリラックスして調査できるのもいいだろうという結果になった。

 それから彰さんが言う事によると、夢は様々な人間が自分に適合できないと思うシチュエーションを夢で見る事で適応しようとしていると私に教えてくれた。それは役者のうちの賢い者が言ったそうだ。彼は解離性障害の感じもあるのだろうか。彼が言うには睡眠中に様々な事を試みたらしい。自分の恐れる映像のイメージを音として表す事を可能とし、それは夢の中では非常に恐ろしいものに聞こえるらしい。それはあくまで夢で、自身の主観性が強いものだからそう感じるのだろう。だがしかし、夢は適応のためという意見も学者の中ではあるそうだ。そして彼は実際の時間と体感の時間に大きな差異を感じるようになったようだ。夢を見ている時間が五時間であるのに対し体感では十時間に感じられたそうだ。この現象については解明されている事だと思う。苦痛に思うと人は時間を長く感じるものだ。彼の苦痛がどれほどのものか、私は知らない。だが二倍に感じるのだったら、その夢はかなりの苦痛なのだろう。私は担当医に彼の精神安定剤を多くする事を推奨した。

 彼がここへ来て一ヶ月以上経った。彼の悲観的で被害者意識の強さに最初は舌を巻いたが、少なくとも私らには心を開いていっているように見える。そして予知能力に対し精神安定剤がどのような作用をもたらすか、少しずつ分かってきた。精神安定剤によって意識レベルが下がる事で予知の具体性も落ちていった。この予知能力は普段から精神に作用している無意識に感じているものを、夢というものに変えていると思われる。それがどれほど確実に言い当てられるかも分かってきたが、もう最初ほどの具体性も無いのでこの研究も打ち切られる見通しが立ってきた。恐らく彼はたまにしか予知ができなくなり、その具体性も曖昧さを増す事だろう。というのが研究医からのごく最近知らされた結果だ。私はこの結果に安心した。

 今だから言える事だが彼が世の中の中心になってその能力で生活するのも期待したが、それももういいのだ。精神安定剤を経口薬に移行し、入院が過ぎたら通院してもらい、予知については少しだけ聞かせてもらう事になるだろう。


 三月十日晴れ


 僕はあと二ヶ月ほど入院するらしい。色々検査などやった割にまだまだ時間がある。精神安定剤が強いためか難破をしなくなり、使用できる時間は少ないが起きている最中も漂流できる。

 久しぶりに漂流をしてみよう。夢の中では幻想を見なくなってきた。

 透明なセルリアンブルーの海の中で、魚の群れが泳いでいる。魚は銀に輝く鱗をチラチラと見せながら漂う。空から海に落ちる太陽の光がまだらに海底を輝かす。僕は蒸気機関車が動く様子に目を遣った。蒸気機関車はレールの上を走って僕の目の前で停まった。僕は梯子を登り機関車の客室に入った。中は狭かったが、人は一人も居ないから気楽な気持ちだった。僕が夏目漱石の本を広げた時に蒸気機関車は汽笛を鳴らし、車体を震わせて、車輪を回転させだした。僕は窓に付属している背丈の短いカーテンを開け、白砂の海底に太陽の光が水面で揺れるのが映る様子を見ていた。

 カタリのことを思い出していた。サトリのことも。僕は後悔の念に捉われている。僕は本を読むのをやめた。なんとなく時間が経ったのを実感した。出会ってきた人たちの人生を考えた。僕は彼ら彼女らにどう関与しただろうか。真っ当を心がけていたが、僕のワガママにだいぶ振り回されたのではないだろうか。

 車体はカーブにさしかかり、減速していた割に激しい揺れになった。僕は今淋しさを感じている。彼女らとの優しい思い出が僕の心を揺さぶる。だが僕は今、本気で生きようと思っています、彼ら彼女らにそう祈り、僕は目をつむった。気がついたら機関車は草原の真ん中で停まっていた。僕は降りるべきだと思い、客室から出た。これほど静かで穏やかな漂流は久しぶりだ。

 僕は空を眺めた。青さが強く残った夕焼けが空のモヤ越しに見えた。風は温かく感じられた。静かだった。風は吹いていたが、柔らかく耳の辺りをなでる程度だった。

 蒸気機関車は停泊するようだった。ピアノ弾きが真正面の坂の下からやって来た。男か女か分かりづらい老人は僕に向かって、帽子を取ってお辞儀し、黒のタキシードの佇まいを直した。真っ青な明るいネクタイが僕には印象的だった。僕は彼に声をかける気になった。

「役者っていうのは消えたりしないのか」

「君が死ぬか変わり果ててしまったら恐らく消えるよ。僕は君がサトリやカタリに捨てて捨てられた事を知っているからね」

 そうか、と僕は呟いた。僕の世界がいつもと違って静かさが強い事に僕は違和感があった。僕は最近感じていることがあった。ロックンロール、古くて馬鹿にしていたその曲らを聴くと、僕は人生の意味だとかを考えなくて済むようになっていた。僕はどちらかというとその単細胞らしくて道化らしいアホっぷりを馬鹿にしていたので、それに助けられていることを思うと少し悪いような気がした。  

 生きている意味を考えなくて済む。それはとても温かい気がした。だから僕は単純にロックンロールが好きだ。激しくても激しくなくても。僕は楽でいれた。彼らが語るそのシンプルな生き様の前で僕は率直でいれた。僕は彼らの本音に共鳴したようだった。落ち着いたのだ。世の中の様々な雑音がかき消されていくようだった。それぞれ音楽性は違うが、なんとなく僕に合ったのだ。僕は月並みな人間かもしれない。この年でロックンロールか。笑えない。僕は楽になりたかった。一生懸命生きた分、彼らの苦しみも分かるのかもしれない。随分と図太い考えだが、僕は彼らと同じようなことで苦しんでいると思う。というより皆が黙っているようなことを僕も黙れないのだ。叫んでやりたい。何を、と言われたら全く分からないのだが、辛いんだって。孤独だと。それなのに人に触れられたくないんだと。僕は孤独な力に動かされて言葉を練っているんだと思う。それがいつものことなのだ。

 予言をしよう。大したことない予言だ。この世界はあと少しで滅びる。僕のこの世界はもうすぐ終わる。予言は確かに与えられていた。世界はどうしようもなくなり、救世主も現れずに形を全く違うものに変えて終わってしまう……


 経過報告:小川龍之介 三月十一日


 沢田彰はカミソリで首を切り、自殺。想像以上に傷が深く手を施したときは既にもう心肺停止状態だった。彼は精神安定剤をある程度減らしていく段階の状態であり、神経が過敏になっていたと思われる。彼の残したノートには未来の事が様々書かれており、それについて言及はしないが、病院が保管することになった。私は彼につきっきりで、トイレに行った間にカミソリを持ち出し自殺したようだ。彼が自殺するような精神状態にはとても見えなかった。だが稀にこういった事は起こる。致し方ない。私は緊急外来に通す前に彼のノートを見ており、そこには世界が終わると書いてあった。彼は予言に動かされて死んだのか、自分の義務を果たすために死んだような気がしてならない。

 いずれにしろ彼はもういない。私は彼が急にロックンロールの話をしだしたことが理解できなかった。確かにここ数日ロックンロール・バンドの話をするとは思っていた。だが彼はそれほど精神的に強い興奮をしているようには見えなかったし、彼は正常に見えた。しかし最後の記述に、正常だからこそ耐えられないんだ、と遺されていた。

 私は彼の人生がどうだったのかを知らないし、彼がどんな風に生きたのかは知らない。だが彼はなんでも真正面から神経質に受け止めて過剰に感じて生きているように見えた。だからこそ言葉を変えればかなり正常な人間だったのかもしれない。真っ当に生きようとしすぎていたかもしれない。そして不幸なことに二十七歳の若さで人生を終えた。

 私は彼の身になって考えることができるほど感受性豊かではない。私は私で考えて生きている。彼とは全く違う考え方をして生きている。

 色々書き残したいことはあるが、記録はここで終了することにする。彼について言い残せばキリがないから。

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