第8話

 僕はこのように死に対して特別な憧れを抱くようになった。死んだ人を美しく描く画展に行ってみたり、自分の血液をもっと大量に出すために包丁で脈打つ腕の部分を切り開いてみたりした。血が想像以上に出たので止めるのに苦労した。

 発作的に血を欲した。

 僕は自分の人生に何を求めているのか分からない空虚な時間が出来るのを感じた。その時は血を見れば安心した。だがそれでも絶望を覆い隠しきれないとき、階段が部分的に崩れかかった山奥の廃ビルに上がり、屋上から僕がその絶景の美しさの中に落ちていくイメージをつくった。それは昼の時もあれば夜の時もあった。僕はそしてそこで泣いた。僕は何一つ自分を変えられない事に絶望した。そして泣いてストレスを発散しようとした。これを繰り返すことに何の意味があるのだと、そして一度僕はそこから飛び降りた。下の階の屋根に落ちて強い打撲で済んでしまった。

 僕は痛みで冷静になっていつからこんな事をするようになったのだろう、なぜこんな人生になってしまったのだろう、なぜこんなに淋しいのだろう、孤独なのだろう。そう考えた。ただ僕には人生が終わりのない風景を終わりなく歩き続けるそういう事にすぎないのだと感じた。

 この四年半の始めは不安定さをもたらす精神的な偏りのようなものを感じることから始まった。僕は自分がどうしてこうも弱い人間になってしまったのかを考えた。酒に取り憑かれたりはしなかったことだけは後に良かったと思う。なぜかは分からないが、それだけはしなかった。どちらかというと僕は複雑に絡み合う神経の痛みの中に居て、その痺れに酔っぱらう以上に惑わされていた。

 両親は僕を心配していたが声をかけることが出来ないでいた。弟は蔑みの目で僕を見た。父は苦笑いをしていた。母はたまに泣いていた。どれも僕を変えずに神経を敏感に刺激するものだ。

 僕はそうやって一日中ふらふらして過ごした。短期のバイトもしたが続かずに金も受け取らずに帰ることが多かった。僕は希望という文字にすがりたいにもかかわらず、それを無視し続けるような態度を取っていた。事情を知った人なら信じられないことではなかった。僕は希望に打ち破られたのだ。愛する善なる者たちに僕の欺瞞は打ち破られたのだ。だから僕は希望にすがりたくてもその過ぎた過去に歯向かえるようなことは考えるにも及ばなかった。僕は一日に何の希望も持たずにただ息をしてただ目の前の空虚を立ち向かうべき課題であるかのように捉えていた。そこにはもちろん何も浮かばず自室の空間が存在するだけなのだが、僕はその空間を睨んで、ただ怒りの矛先や悲しみの癒し方やはたまた破滅の方法などを案じるだけだった。その虚空を睨んで色々と案ずることが僕のしていた事だし、唯一出来たことだ。

 僕は最初の一年を外の徘徊と自殺などの想像、その場で急に湧き出す激しい感情をやり過ごすことのみに費やした。

 そして次の一年は母が精神科に連れていき僕の精神病の治療に取り組んだ。僕の病名はいまだはっきりと分からない。社会不安障害が一番近いところだろうと医者は言った。

 僕は薬で一日中眠った。眠りに就くことが仕事みたいだった。一日で二十時間近く眠る日が二ヶ月ほど続いた。僕の体はそうしていくうちに段々と目覚めることを希望し出したようだった。そうして薬物治療が続くうちに睡眠時間は減っていった。今度の長い眠りの目覚めは感情の死からの目覚めだった。僕は転生したように思えた。世の中の事柄が全く変わったようだった。世界は美しく見えたし、色が鮮明に捉えられ、一年前とは性格が全く変わっていた。穏やかだった。静かだった。街の風景や自然の全てが綺麗に見えた。それは元々居たサトリと僕の家族の世界に僕は思えた。僕の家族の世界はどこも間違ってなどいなかったし、汚れてもいないし、確かに脆い部分はあったが美しい部分もあったのだと自覚しだした。僕は一時の乱れきった意識に囚われていたのだろうと思った。許せなかったのだろうと思った。自分が。世界ではなく間違った認識をしている自分を。僕はそうだと悟ったときやり直せない恋愛は諦めるしかないと思った。だが確かに僕の壊れた部分は治っていっていた。

 

 大学を辞めて四年半経ち、僕は医者に仕事に就いても大丈夫だろうと言われ、力強い生活の活力を取り戻そうとした。大学に戻るには金が要るのでやめ、年金も貰えているので生活資金面では高卒でもできる仕事でも大丈夫そうだった。

 僕はデータ入力のバイトに就くことにした。時給は九百円。両親の手助けもあるし年金もあるので生活するには十分なお金だった。

 僕はそこでカタリと再会した。カタリは明るそうにして挨拶してきた。僕はその挨拶にどのような反応をすべきか戸惑った。カタリとは連絡を取り合っていなかったが、彼女は未だに僕を楽しく話せるお兄さんとして見ていたようで、今は普通に仕事できるくらいに病状が良くなったらしかった。当時あった彼女のしでかした悪いことはまるで無かったかのような振る舞いだった。だがその分彼女は丁寧で、色々悪いことをした過去を知る人との関係について一つ照れ笑いをしていた。彼女はサトリと僕に関連する事を何一つ知らなかった。

 僕は彼女を見ても恋や苛立ち、あらゆる不安定な感情の高まりがないことを不思議に感じた。そしてもう自分も大人になったのだなと自覚した。

 彼女が先輩になるとは僕は予想だにしなかった。彼女は丁寧にしっかりと場の雰囲気も読んで、社交辞令をし、面倒な人の態度も上手く回避できる人間になっていた。その四年分の成長は一瞬目に見えただけでも僕を驚かせた。成長とは恐ろしいものだなと僕は思った。ただやはり彼女もたまに具合が悪くなるときがあり、そのときは休憩を取っていた。

 仕事の面接時に彼女が僕を呼んだことに僕は驚いた。面接の相手は係長の佐川宏光という三十半ばの男だった。彼はカタリと僕が知り合いであることに気を良くし、そして僕が信頼に足る男だということを彼女から聞いた。カタリが僕との思い出に触れることに気分を良くしたり、償いのつもりだったりして世辞を言ったのかは知らないし、訊くつもりもない。どちらにしろ僕はここのアルバイト程度の仕事ならこなせそうな気がしていたし、人間関係では口の利き方も場の空気の気づき方にも通じている方だったので、軽いジョギングをこなす程度の仕事にしか思わないでいた。

 週三日・一日五時間のデータ入力をこなすのは在宅ワークを少しやっていたので分かっていた。僕はデータを入力しているときただの歯車として生きている感じがした。僕はそういうとき不思議と安心した気持ちになれた。歯車として働くことは僕にとって苦痛ではなかったし、その歯車になれた方が僕としてはかえって安らぎや安定を感じた。それは誰かと共通した行為を同じくして行っているからに違いなかったが、その単純作業は僕を母体に戻したような気分にしてくれた。そこまで言えるくらい僕にはこの作業が向いているようだった。無論同じ体勢を取り続けて目線を電光の中を泳がすのには労働の疲労はあったけれども。

 僕は面接で係長の佐川宏光によろしくお願いします、と慇懃無礼にならない程度のお辞儀をした。彼はもう僕を信頼の置ける一人として見て親しげに眺め微笑んでいた。僕はその気安さを今の年齢になってかえって済まなく思う人間になっていた。佐川に構えを解けと仄めかされているようだった。僕は礼節をしっかりとわきまえた方が気楽でいれたため、彼という人間を僕と引き合わすことで態度の面で失敗や失礼を起こすかもしれないと推測した。そのため彼の気安い親切心は僕の神経質な気遣いで出来た習慣とは微妙にずれた感覚がした。彼は僕に割高な値の茶を出したり面接の小さな失敗や(もちろんそれは大した失敗ではないが、ひょっとすると指摘するには足りた失敗だった)履歴書に存在する大学を辞めたことと長い空白の期間についても二言三言言及しただけだった。カタリの存在の大きさは佐川宏光という男にとってどういった存在なのか、これらの一連の大げさな社交的な態度だけでどれほど重要かは理解した。そしてそれは一般で言う労働者としてだけではなく、一人の人間に対する尊敬以上のものとさえいえた。はっきり言えば崇拝でもしていてもおかしくない馬鹿げた対応なのだ。

 面接の一通りを終えた後、僕はカタリについて一つ「彼女はどういった人になりましたか」と質問した。彼はその質問に対し、ニコリと笑い、「素晴らしい働き手です。そして素晴らしい人です」と答えた。僕はその答えに人当たりの良い微笑を彼に送り「そうですか」と言った。カタリの人の良さはいかほどなのだろうと思った。

「あなたはウチで雇ってもよさそうでしょう」

 彼は言った。僕は後々になると思っていた返事にありがとうございます、と緊張しつつお辞儀した。

「そしてあなたはもっと彼女を理解する必要がありそうですね。では」

 と、彼は笑い、間仕切りの陰に入った。僕は古い建付けになっているそのドアを開け、外に出た。外は曇天だった。

 雪が積もっていて僕の歩く側は、歩く人の足の土で雪はみっともなく汚れていた。昼過ぎの街はたまに通り過ぎる車の排気で薄汚れているように思えた。街は古びていて活気があるとは言えなかったが、僕はこの街の通りの多くは高級な木製の建築になっていると知っていた。そしてあの仕事場がそうではないと分かって残念だった。

 街は解けた雪で湿気が溜まり、体の周りを水の付いた筆で撫でられているようだった。空の曇天が裂けて晴れ間が見えたとき、僕はバス停までの短い距離を小走りした。暖かい所に居たためか、外の弱めの寒さは生ぬるく感じられた。走っても止まらずどこまででも遠くへと辿り着けそうだった。実際、僕は息切れを感じなかった。

 僕は人生のうちに目標物を見つけられずにいるのに満足なのは何故だろうと考えた。一歩進んだ実感が僕を生きさせようとするのだろうか。死なせまいとするのだろうか。僕は死を悲観が伴わないで考えるようになった。もちろん自殺しようとも今は思わない。僕はきっと頭でっかちなのかもしれない。生きるにあたっていつも論理的に答えを見つけようとする。それでは不条理に当たったとき大変なのだと親は言う。僕はそれでも生き方を変えられずにいる。

 僕はバスを使ってから住む安アパートまで歩いた。管理人は僕の叔母さんで、割安で住まわせてもらっている。

 僕は彼女にたまに料理を作ってやることがあった。母とは年の離れた若い叔母は結婚も恋愛もせずただ親の遺したアパートを経営している。彼女は料理が苦手ではあったが大工作業が好きで、色々と工夫してアパートを気品よく見せていた。だから他の部屋の住民はよそと比べても高めの家賃を払っていた。

 今日も僕は料理本を横目で見つつ苦戦しながら料理を完成させた。僕は多めに作った料理を彼女に持っていった。

 夜六時。僕は叔母と一緒に食事を始めた。叔母は暗い茶髪を長くカールさせてボブにしていた。彼女の顔のパーツの一つ一つはそれほど魅力的ではなかったが、総合してみると上手いバランスで出来ていて美人ではないが異性受けの良い顔をしていた。彼女は他愛のないことを心底から楽しそうに話せる女性だった。こうして僕と一緒にいると従兄弟くらいに思えた。僕は彼女の明るい話を一歩距離を取って丁度良い自分の距離感で話を聞いていた。だから僕は彼女との会話も楽しく話せたし、叔母さんというより年の離れた近所のお姉さんくらいに思えた。

 叔母さんは酔いの強引な力で色々と僕の個人的な話を聞き出してきた。サトリとカタリの事。そしてその後の苦難のことを。

 叔母さんがその話を聞くときの瞳には真剣な影がかかった。そしてそれになんの意見も挟まなかった。

 その日叔母さんは酔って笑って次々と他人の失恋談を語った。人の不幸を話すことに遠慮のない彼女の俗っぽい部分を見ても僕はなぜか嫌でなかった。

 恐らく他人の不幸を笑ってもいい人というのは限られているのだろうと思う。他人の不幸を笑える代わりに自分の不幸も話題として提供しているし、それで自分の不幸が少しは不幸でなくなることも承知しているのだろう。

 だが僕は人に自分の不幸を共有しようと思うほど勇気が出なくなっていた。その自分の不幸を人が不幸と認めるか否かに直面したとき僕は身構えた。いつからか僕は自分の不幸が世の中にとってはよくある事実なのだと知り、そうしたときどのような態度を取ればいいか分からなくなっていた。僕は意地を張っているのだろう。八方塞がりになるときがある。誰にも自分の痛みを知らせられないときがある。苦痛に長く耐えることを世の中の多くの人が善とするのに耐えられないかもしれない。忍ぶ、ということは善か、僕は知らない。

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