アルコール度数5% ビールなど

 失われた何十年とかいわれ日本経済が衰退していく中、夫には早期退職という名の解雇とともに勤め先の下請けの駐車場の管理業務が与えられた。

 給与は半分に。

 娘はとうに独立していたので、私は近くのスーパーのパートへ。

 これをワーク・シェアと偉い社会学者は呼ぶらしい。

 私が間違って理解してるぅ?

 少なくとも専門家の集まりのTVではそう言っている。

 どういう利点が社会的にあるのか私にはさっぱりわからない。

 個人的にも世帯単位としても大損だ。

 だから日本経済が衰退していくのか、衰退しているからこうなるのか、わからない。

 私は文系の高校しか修学していないが物理のなにがしかのエントロピーと関係しているのではないだろうか?。

 

 夫もわかってないはずだ。

 それなら少し満足だ。

 パート先の店長もわかっていないだろう。

 もっと満足だ。

 ハイエクも理解していないだろう。

 憐れみさえ感じる。

 ライト兄弟は信じていただろう。

 愚直ささえ感じる。


  朝、激安業務用スーパーの激安6枚切り食パンをこれまた激安マーガリンをふんだんに塗ったくって夫に食わせ、職場の駐車場にICカードをもたせ送り出す。

 夫はバス停に甲虫こうちゅうのように背をかがめ歩いていく。

 これほど、哀れみを雄弁に語る背中はこの広い日本にもそうはない。

 サラリーマン、被雇用者、21世紀Versionの奴隷のかがみだ。

 国宝級の重要無形文化財クラスと言っても過言ではない。

 私と日本経済が何十年の研鑽の上に作り上げたのだ。

 

 ローマは一日にしてならず。


 そして、なによりここからが、主婦の本領発揮だ。

 時間だけがかさむ同時に出来るものを出来るだけまとめWindows級のマルチタスクでバリバリこなしていく。

 ビル・ゲイツからは公平な税金を課金せよ。

 アラン・チューリングには栄光を。

 ジョン・メイナード・ケインズには完全なる死を。

 カール・フリードリヒ・ガウスには若干の曖昧さを。


 当然手の抜けるところは目一杯手を抜く。

 家事は毎日行うものだ。

 今日やらなくても、明日やれば良い。

 今週やらなくても、来週やれば良い。

 季節が変わるまでにやれば良い。

 誰も気付かないものは、やらなくても良い。

 掃除洗濯夕食や料理、すべてを朝9時15分までにこなす。

 なぜなら、午前9時30分には、私はスーパーに着替えて居なければならないからだ。

 朝9時15分、私はナイキのピンクの一番安いモデルのエアマックスを履く。価格は譲歩できても女性としてピンクだけは譲れない。

 ピンクはいくつの女性にとってもだ。

 エアマックスも譲れない。

 この空気のインナーソールによって私の足首と踵は守られている。

 夫よりはるかに価値のあるバッテリーの付いた電動アシスト自転車にまたがる。

 数ヶ月前、市の駐輪場でバッテリーだけ盗まれた。

 ソッコー新しいバッテリーを買った。

 バッテリーは要る。

 5月の終わり、まだ9時過ぎだがもう暑い。

 天気予報はあたらない。

 ボロな気象衛星を下ろして私の時給を上げろ。

 ウォーミング・ラップを一周終えてレッド・シグナルがブラック・アウトする。

 総勢二十数台の競争相手とともに前輪をウィリーさせ、この極狭家屋ごくせまかおくが雑草のごとく乱立するぼったくり住宅供給公社の分譲地の第一コーナーに殺到する。

 バンク角は68度。

 ポールポジションからホールショットだけは誰にも譲れない。

 20何周後のことは勝利の女神にしかわからない。

 

 そして10時数分前には、スーパーのバックヤードの精肉部門にネット付きの帽子、下半身からほぼ全身包むスモックその上にエプロン、長靴にマスクに手袋、完全武装をして立っている。

 これをプロと多くの人は呼ぶ。

 巨大冷凍庫には大量の伝票が貼りつけてある。

 火、○牛-100g-350チェンジ。

 ×注意、鳥-宮崎-来週遅れ。 

 ○豚-バラ-なし。

 三週-シフト変化なし。

 土日-必オードブル要-直し。 

 まるで暗号だ。

 この昭和ティストたっぷりの窓さえないスーパーの中にあってバックヤードだけは令和の世界の最新式の装備が揃っている。

 文字通りの肉切り包丁にスライサー。

 鬼の口のような短時間でじんわり解凍させる業務用解凍機。

 他の小売りの業種のことは知らないがスーパーのバックヤードはまさにカオスである。

 ダンボールから出せばそのまんま棚に並べられるものから、惣菜のようにジュウジュウ何百度の油であげているものまで。

 ちょっと前まで生きていたものまで居る。

 もしかすると細胞レベルでは今も生きているかもしれない。

 日本全国から物流システムで流れてきたものがこのバックヤードでものすごく大雑把な言葉ではあるがとされて始めてお客さんが買える状態になるのである。

 それをすべて、最低賃金の時給で雇われたパート労働者がこなしている。

 我々が日本の胃袋をと支えているのである。

 私がスライサーで豚肉を超テクを屈指し超薄切りにしていると


「大牟田さん」

 

 小さな声で声がかかった。

 店長の真壁まかべさんである。

 この中規模スーパーで唯一の正社員である。

 真壁まかべさん以外は全員パートならびにバイトである。

 人が良いだけのうだつの上がらない黒縁メガネの真壁さんが自身のスマホを持ち上げ指差す。

 私のエージェントがお呼びらしい。

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