2‐49薬の帰還
唇に毒の香が、触れた。
離舎に充満する薬のにおいを退けて、
「
眼に映ったのは紫の双眸だ。
酷く歪み、言葉にできないほどに荒んだ孤独感を滲ませていた。
「夢をみていたの」
眠りすぎて、いまだに痺れている腕を持ちあげ、慧玲は鴆の髪を梳いた。艶やかな髪は夜蜘蛛の紡いだ糸を連想させる。
「幸せな夢だったか」
「そうね、でも……」
鴆の髪をつかみ、ひき寄せる。鴆に慧玲から唇を重ねた。
触れるだけの
「あの夢のなかにはおまえがいなかったから」
鴆はたまらなく愛しそうに眼を細めて、再びに唇を寄せてきた。だが、接吻する暇もなく、背後で声があがった。
「慧玲様!」
猪のようないきおいだ。鴆はやれやれとあきれながらも身を退く。藍星が号泣して
「慧玲様、よかった、よかったああぁぁ」
藍星の服からは薬のにおいがした。
そうか、藍星は約束を果たしてくれたのだ。
「私が倒れているあいだ、ずっと、頑張ってくれていたのですね。ありがとうございます。
「うわあぁぁあん、慧玲様ああぁ」
藍星は
離舎まで見舞いにきたらしい
「まったくこの
「雪梅様、涙が」
「泣いてなんかいないわ」
「ですが」
「泣いていないっていっているでしょう」
「……どんな夢だって、
慧玲はつぶやき、満ちたりて微笑む。
還ってこられてよかった。
鴆はしばらく壁にもたれて様子を眺めていたが、綻ぶように微笑んで背をむけた。彼らしくもない、毒のない微笑だ。
なぜだか、それが慧玲の胸に残る。追いかけたかったが、できなかった。
窓から東風がさやさやと吹きこむ。
緑の芽吹きをうながす、露の風だ。嵐続きの春は終い、じきに雨季がやってくる。毒が盛んになる時期でもある。
だが、憂いはなかった。
いかなる強い毒でも絶つという
ひとりでは絶てぬ毒であっても、彼女には助けてくれるひとたちがいる。だから、いかなる毒であれ、おそれることはないのだと。
…………
唇にはまだ、微かな火が燈っていた。
毒を帯びた
鴆は熱の残滓を確かめるように唇をなぞり、喉もとで微笑する。
強かで脆く、敏くて愚かな
だから、愛しくてたまらない。
「この僕がここまで惚れるなんてね」
だが、惚れるに値する姑娘だ。この身の毒を残らず、捧げても悔いがないほどに。
笹の葉陰から蛇が姿を現す。紫の鱗を持った毒蛇だ。
「生き延びたのか……おいで」
鴆は指を差しだすが、毒蛇は動かなかった。
蛇は牙を剥き、金色の眼で鴆を睨みつける。
鴆が飼っていた蟲は九割がた死に絶えた。微毒なものだけは残ったが、鴆の命令に
人毒を、喰われたからだ。
すでに鴆の身は毒を帯びていない。本能から強い毒に隷従するだけの蟲たちが、鴆のもとに残るはずがなかった。
「だったら、ここでさよならだ」
鴆は低く嗤い、短剣を振りおろす。
特殊な毒のある蛇を後宮に残しておくわけにはいかない。蛇は威嚇していた割には抵抗せず、一撃で頭を貫かれた。
五分の情くらいはあったのか。
髪を掻きあげ、鴆はひとつ、ため息をついた。
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