2‐35後宮に毒麦
「失礼いたします」
女官たちが寄ってたかって抑えこんでも、患者である妃妾は脚を跳ねあげ、踊り続けようとしていた。
ほかの患者に錯乱がみられはじめたのは
慧玲は連絡を受け、藍星を連れて夏宮まで診察にきた。
脈拍は頻脈。異常値だ。唇からは涎を垂らしており、瞳孔も散大している。これは中枢神経に異常をきたしている証だ。だとすれば、患者が異常行動をとるのも毒が神経を害した結果と考えられる。
「あっ」
女官たちは限界まで頑張ってくれていたが、異様な力でついに振りほどかれてしまった。妃妾の脚が慧玲の腹をえぐるように蹴りとばす。
「っすみません、宦官を連れてきます」
診察を続けるには男手が必要だ。
「
慧玲は壁に背をぶつけて蹲っていたが、
「つっ……だ、だいじょうぶです。……肋骨が折れたかとおもいましたが」
尋常ではない力だ。また踊りはじめた妃妾をみる。踊りといっても
「踊り病……」
「なんですか、それ。言い得て妙ですけど」
藍星が不思議そうにする。
「異境で蔓延した病です。脈絡もなく人が踊りだし、側にいたものに続々と感染して、息絶えるまで幾晩でも踊り続けたとか。一時期は踊る人の数が三百から五百規模にまで膨れあがって、橋が崩落したとされています」
「え、死ぬまで踊り続けるんですか?」
「そう、自制がきかないそうです。似ていませんか?」
後宮の患者はすでに金毒に侵されているから衰弱死するまえに毒死しているが、そうでなければ同様の経緯をたどりそうだ。
「確かに。でも、なんでそんな」
「毒蜘蛛にかまれた。死病からの現実逃避。麻薬中毒――様々な説がありますが、実際に患者を診たかぎりですと」
毒蜘蛛――はない。鴆の失脚を望んでいるが、患者に毒を盛ってまでとは考えていないはずだ。彼は、彼女がみずから踏みはずして絶望するのを待ち構えている男だ。碌でもない、だが信頼はできる。
「麻薬中毒の危険が高いかと」
藍星が動揺する。
「えっ、麻薬って
「そうですね。麻酔としてもつかわれてきましたが、嗜好物としてつかわれた結果、依存者が相つぎ中毒になったことから都では取り締まられています」
都ならば、抜けみちもあるだろう。だが、ここは管理された皇帝の宮だ。危険な薬物を調達できるはずがない。
あるいは後宮のなかで製造したか。危険な薬物のもとになる草は意外なところにある。だが、これほど強い神経作用をもたらす毒となると想いあたるものがなかった。
「宦官を連れてきました」
屈強な男たちが妃妾を抑えこむ。慧玲はあらためて診察する。
「すみません、服をはだけさせますね」
帯をほどき、
妃妾がまた激しく脚を跳ねあげた。いきおいよく振りかぶったせいで靴が飛んで、藍星の額に衝突する。
「むぎゃっ……って慧玲様! 妃様のあ、足、足の指が!」
足の指が、腐っていた。
爪は残らず剥がれて、皮膚は焼けこげたように真っ黒に変色している。壊死だ。
これは毒疫によるものではない。
壊死する薬物となれば、かぎられる。
竹の実だ。妃の足と同様に黒変を起こしていた。
「そうか、
なぜ、想いつかなかったのか。
「それならば、後宮のなかでも麻薬を造ることができます」
「えっ、えっ、竹の実ってそんなに危険なものなんですか?」
「正確には竹の実を含めた穀物に寄生する麦角という菌が危険なのです」
毒によって神経伝達が阻害されるため患者は錯乱し、さらには血管が異常収縮することで手足の先端から壊死していく。この事実がわかるまでに大勢の民が毒麦によって命を奪われた。
だが、この麦角が危険なのは致死毒だから、というだけではない。
「この麦角ですが、調合次第では強い麻薬効果があるといいます。恍惚とした昂揚に導かれるとか」
後宮の竹の実は明らかに病変していた。麦角菌に寄生された竹の実を採取して、薬物を造り、患者に投与しているものがいる。
毒の素姓がわかれば、新たな解毒も進められる。麦角は陽土の毒だ。これが患者の土毒を強め、神経伝達、血の循環を滞らせて細胞を破壊した。壊死毒の性質が金毒による風化崩壊と結びつき、あのような結果となったのだ
「ただちに離舎に帰って、調薬します」
「了解です。私は今のことを宮廷に報告してから、離舎に帰りますね」
藍星が帰るまでに食材を揃えておこう。慧玲は考える。確か、食材のひとつは夏の宮で飼っていたはずだ。
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