2‐23怠けもの武官と宦官失踪事件

 季節はずれの雪に埋もれた宮廷は朝から慌ただしかった。

 北棟の宿舎にいた宦官たちが一晩にして失踪したのだ。官吏かんりが調査を進めているが、宿舎のなかに争った形跡はなく宦官の私物も持ちだされることなく残っていた。

 現場の調査を監修しているのは青紫の官服に佩剣はいけんした青年武官だった。どんなこだわりがあるのか、くりの髪を片側だけ編んで垂らしている。彼は現場にいる官吏の誰より身分が高かった。

 だが彼はみるからに億劫そうだ。


「ただ、服の散らばりかただけが妙でして」


 官吏が熱心に現場報告を続けていても、彼は木箱に腰かけて欠伸ばかりしている。


「中衣、帯、袴まで一緒になっているんですよ。こう、どう表現すればいいのか。例えるならば、服を身につけていた人間だけが蒸発してしまったような」


「へえ、ふうん、すごいですねぇ」


 間延びした相づちに官吏は眉を曇らせる。


侍中じちゅう様……失礼ですが、あの、聴いておられますか?」


「はいはい、まあ、それなりには聴いてますって。しょうがないじゃないですか、眠いんですから」


 寝惚けた二重の眼をこすりながら、侍中の男はため息をついた。


「そもそも、なんで宦官がちょっと失踪したくらいで、この俺が朝から現場にこないといけないんですかねぇ? まだ喧嘩だったら楽しかったのに。俺、まだ朝飯も喰ってなかったんですけど」


 侍中じちゅうとは次期皇帝の補佐をつかさどる官職だ。補佐といっても教育、政の参与は太師たいし太傅たいふ太保たいほ三公さんこうの管轄であるため、侍中じちゅうはおもに皇帝の身辺の警護を担っている。外廷の変事を調査するのも任務の一環だが、彼にはまるでやる気がなかった。


「ああ、ほんとだったら、今頃食後の月餅げっぺいを喰ってるところだったのに」


「それは残念だったね」


 後ろから声をかけられ、侍中の男は「んあ?」と欠伸まじりに振りかえる。


「げっ、皇太子様」


 ヂェンは風に髪をなびかせて、さわやかに微笑みかける。


「朝食も取らずに現場にきているなんて、責任感の強い側近がいて頼もしいよ」


「いやあ、これはその、さぼっていたわけではなく、ですね」


 ロォンリウ。彼は名家の三男だ。末息子ということで重責を担わされることもなく、親からあまやかされてきたせいか、怠けもので頭も鈍い。それでも武芸の才能だけはあったらしく、親の縁故つてもつかって、若くして重役についたのだとか。腕っ節だけの問題児といったところか。もっとも、彼がどれくらい強いのかはさだかではなかった。

 皇帝の落胤らくいんに過ぎず、宮廷で白眼視されている鴆に有能な補佐官がつくはずもない。

 まあ、どうでもいいと鴆は思考を絶つ。


「それより、宦官の失踪か。妙だな」


「ですよねぇ、奴婢ぬひ扱いされていた一昔前でもあるまいに、そうかんたんに宮廷を捨てるとは考えにくいんですよね」


 現在の宦官の処遇は女官と同等だ。女官とは違い勉強して試験に及第すれば官職につくこともできる。宮廷を捨てても職を失って野垂れ死ぬだけだ。財があれば宮廷を離れて、宦官であることを知られないように暮らすこともできるだろうが、宿舎にいる低級の宦官では財産を持つにはほど遠い。


 実に不可解で、胸がざわついた。


 強風にあおられて、開いたり閉まったりを繰りかえしている宿舎の窓を睨みながら、鴆はため息をついた。


わざわいか」


 ただでも天毒地毒に見舞われているさなかだ。ここから、どのような禍が重なるというのか。


「あ、例の宮廷官巫きゅうていかんふのやつですか?」


 話題を変えたかったのか、劉は意気揚々と話に乗ってきた。


「官吏も宦官もその話題で持ちきりですよ。翼を持たないなんたらってのは皇太子様のことだって、噂になってますよね」


 ヂェンが一瞬だけ、むっとして眉の端をはねあげた。

 宮廷に禍をもたらすのは鴆ではないか。そう噂されているのは知っていた。だが、面とむかって、言及するか。故意に侮辱しているのかと疑ったが、リウをみるかぎり、軽蔑の意は感じられない。


(ああ、底抜けの馬鹿なんだな、こいつは)


 もしくは神経がないか、だ。

 この場には他にも官吏がいる。鴆はしおらしい態度で眉をさげ、頭を振った。


「そうか。僕が次期皇帝として頼りないばかりに懸念させてすまないね」


「あ、やばっ」


 失言を理解したのか、リウが慌てた。


「違います、違います! 俺じゃないですって! 俺はそんな失礼な噂をしたりはしてませんよ!」


 鴆はすでに背をむけ、歩きだしていた。上擦った声が追いかけてくるが、振りかえるつもりはなかった。

 後宮にはすでに毒疫どくえきが侵入している。新たな危険がせまっているとすれば、宮廷か。


 鴆の予感は程なくして現実のものとなった。

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