105ふたりの地獄に華が咲く
高い処から望んだ
視線を馳せれば、遙かに瞬く星の海があった。都の民が放った天燈の
燃えているのは天ばかりではない。
祭りの晩は
「きらびやかな地獄みたいだろう。地も空も等しく燃えて」
「貴女にみせたかった」
「……ああ、おまえにはそう、映るのね」
彼にとって燃えさかる火は地獄の象徴だ。だが、慧玲は違った。
「私は――
民は草だ。燃えながら萌える根のある草。細やかな人の営みのなかにはそれぞれの幸福が繁り、不幸が根を張っている。それらを毒にするか、薬にするかは皇帝の器だ。
皇帝、か。
慧玲は屋頂の稜線に腰かけ、あらためて唇を解いた。
「おまえが皇帝になりたかったとは知らなかった」
鴆が
「は、頼まれてもなりたくはないね」
「そうでしょうね。おまえはそれほど愚かではないもの」
寡欲とも違う。鴆は皇帝の
「権力なんか、濡れた絹みたいなものだよ。重く身にまとわりついて剥がせない呪いだ。それに僕が皇帝になったところで、結局は皇后の都合のいいように動かされるだけだ。駒なんだよ、全部皇后の」
「それは、皇帝陛下も駒だったということね」
先帝に毒を盛ったのも皇后の策謀か。
「そこまで解かっていて、なぜ、おまえは皇后についたの」
鴆は
「毒をのんでもいいと想えるだけの、望みができたからだよ」
「
鴆があらためていった。
「
「宮廷ではいま、皇后に組みするものばかりが権力を握り、
彼は怨嗟に
「僕は
風が吹きおこる。天燈がひとつ、またひとつと燃えつきて、
彗星の群を背にして
「皇帝になるべきは貴方だ、
慧玲は戸惑ったが、彼の真剣な視線に唇をひき結ぶ。
「貴女は、貴女を慕うものも謗るものにも等しく、薬を与える。誰よりも毒を喰らいながら」
天燈が絶える。昏い帳が天を蓋い、地に垂れた。
だが、陰の征服に抗うように今度は
「
慧玲は緑の瞳を揺らす。
透きとおり、されど強い熱を帯びていた。揺るがぬ意志を宿し、怨嗟を帯び、絶望が彫りこまれた瞳だった。
(女帝になど、なれるとは想えない)
易く驕るほどに愚かではない。彼女は現実を理解している。
彼女の逡巡を察してか、鴆が黙って慧玲の脚をつかんだ。
布製の
鴆は愛しげに眸を細め、強かなつまさきに接吻を落とす。
「……おまえが、私を皇帝にしてくれるのね?」
「ああ、僕の毒をあますことなく、貴女に捧げよう」
満ちた杯もなければ、宴もない。
ただ、毒と薬だけだ。
「胸の
彼は慧玲の腕を取って、あまやかに囁きかけた。愛とは程遠い毒を。
うす紅の牡丹のような唇を綻ばせて、慧玲が微笑む。
「わかった。おまえの毒を私にちょうだい」
薬は薬だけではならず。
毒があってはじめて、薬と転ずるものだ。
「ぜんぶ喰らって、薬となしましょう」
彼女が鴆の舌の先端にかみついた。鴆が微かに息を乱す。
だが身を離すことはせずに接吻を続けた。
血潮に融けた鴆の
ふつと、唇を離して、慧玲は言葉をこぼす。
「おまえを喰らえるのは、私だけよ」
皇后にだって、彼ほどの毒は喰らえないだろう。
喰わせるものか。
「だから、おまえが私の毒をのみほして」
ふたりが逢ったのは天毒の循りだ。互いを喰らいあうために逢った。だが喰らい、喰われることで、毒は毒で、薬は薬でいられる。
鴆がふっと微笑した。彼にしては嘲弄も侮蔑もない、何処までも穏やかな微笑だった。それでいて、毒だけはある。
「ふたつの地獄が、これからはひとつになるね」
ああ、そうか。
彼女は絶えず、孤独だった。誰も彼女の地獄には連れていけなかったから。
慧玲は胸のなかに落ちてきたその言葉を強く抱き締める。
「……そう、私の地獄には、おまえがいるのね」
ならば、なにがあろうと進んでいける。
毒の
道連れがあるのならば。
何処からともなく、神々しい咆哮が聴こえた。
慧玲は息をのむ。彼女は一度だけ、この声を聴いたことがあった。
新たな皇帝の誕生を祝福するかのように。
麒麟が、
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これにて「後宮食医の薬膳帖」一期は完結となります。
ここまで御愛読くださった読者様に感謝の想いがつきません。皆様のご声援のおかげさまで1年にわたって連載を続けることができました。これからも後宮食医の薬膳帖をよろしくお願いいたします。
後日「小説家になろう」にてSSを投稿いたしますので、宜しければそちらもチェックしていただければ嬉しいです。
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