45 触る神に祟りあり
夕食が終わって全員が解散した後で、あらためて慧玲のもとを訪れたものがいた。
「せんせいについてきてもらいたいところさ、あります」
彼女は思いつめた様子で、そわそわと落ちつきがなかった。他の者に気づかれまいと家に帰ったふりをして、こっそり戻ってきたのだろう。
「
「わかりました」
松明のあかりだけを頼りに、鹿が踏み分けてできたような細道を進む。枯草は繁っているが、突きだした枝が掃われているところをみるに、農民たちが時々はここを通っているようだ。
「おらは
梓は声を落として、急きたてられるように喋り続けた。口を動かし続けていないと恐怖と緊張に押しつぶされ、息もできないとでもいうように。
「働き者の旦那様で。
「
「診察もしていないのに、わかるんですか。さすが、せんせいです」
滲んできた涙を袖でぬぐって、梓は縋りつくようにいった。
「祟りなんかないといってくれましたね。……旦那も
「毒のもとが解ければ、かならず薬を調えられます。約束します」
さらに進んでいくと、森のなかに想像を絶する光景が拡がっていた。
水晶だ。草も繁らない砂地から透きとおった六角の結晶が折り重なるように突きだしている。水晶の群は月の光を映して、静かにきらめいていた。地中に鉱脈でもあるのだろうか。
「ここが
泉といわれてはじめて、気づいた。
水晶がぐるりと泉を取りまくように列なっている。暗いせいもあって、底のみえない穴を想わせた。覗きこんでも、まさに蛇の口腔のように昏く水は確認できない。
「蛟様というのは
「蛟様は雨さ降らして豊穣を約束してくださる有難い神さんです。いつもはこの泉には蛟様の水が満ちてるんですが、夏に地震があってから、日に日に水が減って……このまわりにあるのんが、病になった人達の眼を蓋ってるのに似てるんじゃないかと」
慧玲は水晶の柱に触れて確かめる。
患者に現れた結晶は濁っていたが、確かに同じ物だ。
水晶は、水に融ける。正確には水に融けて、結晶となるのだ。結晶ができるには気の遠くなるような時が掛かるものだが、調和が崩れれば、理もゆがむ。金の毒が嵩じれば、一朝一夕で水晶が育つことも充分にある。
思索する慧玲に梓が声をかけてきた。
「お医者のせんせい、やはり蛟の神さんの、祟りなんでしょうか……」
そのときだ。「見つけたぞ!」と声があがり、いっせいに松明の群が集まってきた。戸惑っているうちに農民たちに包囲される。
「変だとおもって、つけてきたらこのざまだ」
後れてきた
「おい、梓。
慧玲はあきれながら言いかえす。
「祟りではありませんよ、これは毒です」
この泉はあきらかに金の毒に満ちている。
繰りかえすようだが、水晶は水に融ける。
そして人間は約五割から六割が水だ。幼い子孩ほど結晶に侵蝕されていたのは子孩は七割が水だからだ。
だがこの毒の本質は金毒だ。金は木を相剋する。木の器官である目を蝕み、畑の作物も枯らしてしまったのだ。
「発端は地震だそうですね。地震の後、泉の水位がさがり、畑にも異常があったと。おそらくは地震で泉の地下に亀裂ができ、湧水の水脈と繋がってしまったのでしょう。あるいは泉の底で亀裂ができたせいで地震を誘発したか」
事の真相にせまっているためか、農民たちの視線がとがる。椙はもう喋るなと牽制するように頭を振った。慧玲は敢えて無視して、問い質す。
「これいじょう、といいましたね。祟りに見舞われるようなことを、ほかになさったのですか」
また沈黙だ。問うてもだめならば、暴きだすまでだ。
慧玲は梓から松明を奪い、泉に投げこむ。燃えあがる火に一瞬だけ、照らしだされた泉の底には――人間の姿をした水晶が幾つもたたずんでいた。
透きとおった結晶の、地獄だ。
助けをもとめて絶叫するような格好をしているものもあれば、力なく横たわっているものもいる。
(ああ、隠したかったのはこれか)
慧玲は理解する。
「あなたがたが恐れていたのは蛟様の祟りなどではなく、泉に落として殺害した人間達の祟りだった――違いますか」
農民たちは頬を強張らせ、恐怖とも怒りともつかない形相をした。火に照らされて、それらの顔が鬼のように暗闇に映る。
変だとはおもっていたのだ。
官戸の一家は例の毒疫に倒れたと椙はいっていたが、邸の荒れようをみるかぎりでは無人になってから一年ほどは経っている。だとすれば、まっさきに毒疫に罹患したのが官戸一家だったことになるが、それはおかしい。
地毒の発端となった地震が夏頃なのに、順番が違うのだ。
なにより、邸の窓にはあきらかに何者かに破壊された跡があった。おそらくは誰かが窓を破って奇襲をかけ官戸一家を殺害、あるいは拉致したのだ。
(調査にきた官吏とその周囲の者が毒疫に侵されたのは……たぶん、地毒のもとである水晶を持ち帰ったからだ。……藍星と同じようなことを考えたわけだ)
だがこの地元に暮らす官戸が水晶を売ろうとするとは考えにくい。側にあるものの価値には無頓着になるものだからだ。
つまり、だ。
「泉の底にあるのは官戸一家の死体ですね」
椙は顔を酷くゆがめた。
「……それを知られては、都には帰せんな。残念だよ、小姐ちゃん」
彼は握り締めていた杖を振りあげ、慧玲を殴りつけた。声をあげる間もなく地に倒れこむ。視界がぼやけ、意識が遠のいた。
誰かが悲鳴をあげ、駈け寄ってくる。梓だ。
彼女はかばうように慧玲を抱き締めて、叫ぶ。
「この
哀訴の声を聴きながら、慧玲は意識を暗がりに落とす。最後に緑の瞳に映ったのは満ちた盆の月だった。
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