44 黙すは毒
翌朝、
結果からいえば、毒のもとは解けなかった。
予想どおり、田畑に濯ぎこむ水路の底には石英が堆積していた。
だがさかのぼっていくと、水路そのものが地中に潜ってしまった。水路がこの底を流れているという標をたどって、水源である湧水の池についたが、そこに石英はなかった。水路が地中で分岐しているということはない、と
早く毒のもとを解かなければ、患者たちの解毒が間にあわなくなる。
(いまだったら、助けられるのに)
農民たちの分も夕餉を調えながら、慧玲は悔しまぎれに唇をかみ締めた。
彼らが話しだすのを待ち続けていても埒があかない。今晩こそ揺さぶりをかけて、問い質す。
だが、どんな話も切りだすのは腹が膨れてからだ。
夕餉は森で猟ってきた雉鍋だ。農耕だけで暮らしてきた
みな、雉を殺すことに抵抗があったようだが、稲の実りを収穫するのも、雉を捕えて喰らうのもさして違いはない。
「どちらも命です。命とは命を喰らい、循り続けるものですから」
後宮でも鶏を食す。だが、妃妾たちはその鶏が命を絶たれて食卓にあがっていることを意識することは、ない。意識できるのはよいことだ。
雉鍋は鶏と違って脂はないが、旨みが強く、ひき締まった身は食べごたえがある。もともと雉には臭みはないので、生姜なども必要としなかった。農民たちはなかなか踏んぎりがつかないのか、雉と一緒に煮こまれた茸をつついていたが、茸に浸みこんだ雉の旨みに惹かれて骨つきの雉肉にかぶりついた。
「……こんなに旨いもんがあったのか」
感きわまって、涙をこぼす。
それをみて、続々と他のものたちも食べだす。食卓に歓声があふれた。
「ああ、こんな腹いっぱいになれるなんてなあ。これも食医の
椙が嬉しそうに膨らんだ腹をなぜた。
「感謝でしたら豊かな大地の恵みに」
水は浄く、土も豊かで木の実も動物たちも肥えている。これだけ肥沃な土地ならば、毎年よき実りがあったことだろう。
「小姐ちゃんはまだ幼いのに、ずいぶんと経験があるんだな。宮廷で教わったにしては、なんてえか野性味が強すぎるっつうか」
なかば苦笑を織りまぜて、慧玲はいった。
「宮廷医になるまでは、医師だった母親と一緒に大陸を旅していたもので。飢饉に見舞われた集落を訪れたこともありましたが……地獄でした」
「そんなにひどかったのか」
「作物どころか、草の根まで絶えるほどの旱魃が続き、樹木は白けた骨を晒し、湖は底に濁った水を僅かに残すばかりで魚の群が干物になって息絶えていました。それすら奪いあって貪るものがいて……でも、なによりもむごかったのは」
想いだすだけでも頬が強張る。
「人が、人を喰らっていたことです」
想像を絶する話に全員が青ざめた。
「なんだって」
「……いくらなんでも、それは」
「信じられないのならば、幸福です。ここはまだ地獄ではないということです。ほんとうに……よかった」
心の底から安堵の息をこぼす。
やせ細った農夫たちをみたとき、実をいえば、そのときのことを想いだして身構えた。
「人を喰らったものはある特殊な病に蝕まれます。
症候は神経からの震え、運動障害、発語障害、嚥下障害等の多岐に渡りますが、最もおそろしいのは眠ることができなくなるところにあります。一睡もです。眠れないのに、起きながらに夢を見続け、心が壊れていく――ともすれば、祟りといってもよいかもしれません」
祟り、と誰からともなくつぶやき、騒めいた。
「ですが、それは祟りではない」
水が弾けるような声で慧玲は言いきる。
「医をもって助けることができます。そうした患者たちもすべて、一命を取り留めました。それでは医師が最も惧れるものはなんだとおもいますか」
誰も答えられない。沈黙のなかで慧玲の髪に挿した簪だけが、微かに音を奏でる。
「死です」
かんたんなことだ。
「死んでしまった患者はどのような妙薬をもってしても、救うことはできません」
死者はよみがえらない。命あるうちに助けなければならないということだ。
「解毒薬を調えるためには、その毒がいかなるゆえんのものかを解かねばなりません。畑に湧いた結晶が何処からきたのか。思いあたることがあれば、どうぞ教えてください」
椙が黙って眉根を寄せた。
祟りなんてものは後悔や呵責がなければ、考えつきもしないものだ。
ここまで問い質しても、村人たちは口を噤んでいる。沈黙は濁った水底を想わせた。腕を差しこんでも、泥濘を掻くばかりで核心に触れることができない。だが、強引にでもかきまぜれば、なにかが浮かびあがってくるはずだ。
事実、村人たちは黙していながらも、酷く動揺していた。
彼らが抱えているものが如何なる秘密かは知らないが、家族の命ほどに重いものはないはずなのだ。
(そう、信じたい)
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続きは24日水曜日の20時頃に投稿させていただきます。
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