14 薬膳の宴 其の弐
(いまのところは誰も毒がまわっている様子はない。でも気は抜けない)
ただ、毒を解くだけでは、意味がないのだから。
「なるほど、面白い趣向だな」
夏の
「ちゃんと満漢全席における
さきほどの
食事の最後を飾るのは椀だが、用意されたのは小型の鼎と蝋燭だった。
鼎とは青銅の鍋である。今度はなんだろうかと妃嬪たちは瞳を輝かせた。
「失礼いたします。火をおつけ致しますね」
火を跨ぐように鼎が据えられた。
「まあ、火鍋だわ!」
熱せられて濁りのない
「こちらは馬です。白湯をくぐらせてから、お召しあがりください」
今朝がた後宮の端にある
「ふむ、馬の肉は異境では桜に
白梟の羽根で織りあげた
妃嬪たちが一斉に
「……ね、笑わないで、聴いてちょうだい」
この感動を言葉にせずにいられないと、春の季妃が震える声をあげた。
「馬が……口のなかを駈けていったの……」
「そう、それだ。草原の風をまきあげながら、駿馬が奔った」
夏の季妃が頷いた。
風と錯覚させたのは、絶妙に組みあわされた香辛や漢方だ。それらはおもに獣の臭みを紛らすためにつかわれるが、この鍋においてはそうではない。
火鍋といっても
ひとえに馬の
「これが、命を食すということなのね」
沈黙を続けていた秋の季妃が、ほつりという。声は細かったが、ひとひらの落ち葉が湖に
秋の季妃はこれまで欠席を疑うほどに影が薄かったが、あらためて視線をそそげば、純金純銀、
「医も、食も、命から命に繋ぐもの――ああ、見事ね」
秋の季妃が感服したとばかりに
火鍋を堪能し、締めは椀に収められた
「あら、豆腐かしら」
白く、匙を差しこめば、ぷるりとはねかえすだけの弾力がある。すくいあげて、頬張れば、あまやかな芳香が鼻を抜けていった。酒とも似た芳醇さだ。これは何かとまたも妃嬪に問い掛けられて、
「
いよいよに宴もたけなわだ。
しかしながら、まだ、梅は咲いていた。
慧玲はひそかに眉を曇らせる。ほんとうならば解毒が終わっている頃なのに、
「
皇后が締めの言葉を掛ける。
「最後の舞台は、華の舞姫に演じていただこうと想うのだけれど……雪梅嬪は脚を
皇后に指名されて、雪梅嬪が一瞬だけ、瞳を凍てつかせた。
妃嬪たちが視線だけで囁きあう。ねえ、雪梅嬪が病に侵されているというあの噂は、誠だったのでは――と。
だが、雪梅嬪はすぐに華の微笑で繕った。
「喜んで」
雪梅嬪が杖を取ろうとする。
緊張のためか、うまくつかむことができずに杖が倒れてしまった。
雪梅嬪はとっさに
だが雪梅嬪は頭を振って助けを拒絶する。
他人に頼ることなく、雪梅嬪はつまさきを地につけ、踏ん張った。梅に蝕まれて強張った足指は動かすだけでも軋む。痛むのか、彼女は眉根をゆがませた。
(
彼女の脚は梅の木になりかけている。無理な力を加えて損傷すれば、取りかえしがつかない。だが雪梅嬪は重心を脚に移して、
ぱき、と。凍てついた枝の、砕ける音が響いた。
雪梅嬪が瞳を見張る。
脚が折れたのではないかと慧玲は青ざめた。だが雪梅嬪の唇が安堵に綻んでいったのをみて、ついに解毒がはじまったのだと理解する。
雪梅嬪は胸を張って、華道を進み、舞台にあがった。
音楽が変調する、静かな雅楽から舞楽に。
雪梅の舞は言語を絶する麗しさだった。
弾ける
踏みだすだけでも節々が軋み、ふらつくだろうに、雪梅嬪は一瞬たりとも苦痛を覗かせることはなかった。
そう、これは歓びの舞だ。
冬の戒めを振りほどき、春にさきがけて咲き誇る梅の
乱舞する桜吹雪が舞姫に降りかかる。華に嵐、とばかりに。だが、うす紅の
華の命は短きものだ。咲けば、散りゆくさだめとしても。咲かぬは華にあらず。惜しみなくひと春を咲き誇れ――とばかりに。
そのときだ。雪梅嬪の裾からひとつ、ふたつと梅がこぼれた。
妃嬪たちは舞の演出だと思いこんでいるが、慧玲はすぐに理解する。雪梅嬪の身に咲き群れていた梅がいま、完全に解毒されたのだ。
されども、彼女を侵蝕していたのは
「舞姫は、春を歓び、春を誇り、春を葬る……か」
さながら春の
斯くして、春の宴は、華たちの歓声で幕を降ろした。
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