Flare その3

◆海


 いやね……ちょっといい感じになりましたけどここからがつらいんですよ。


 なにせ史実におけるマーチャン退場がすぐそこまで迫ってきているわけです。


 育成シナリオにおけるシニア期前半は初詣に福引、バレンタイン、春のファン感謝祭と、どの育成キャラでも共通のイベントが待っています(もちろん内容は個別)。


 ただマーチャンシナリオの場合はここで最大の難所が待ち構えているわけです。


 史実における死。


 これをどう乗り越えていくか。その回答として、サイレンススズカやライスシャワーのシナリオがあり、今後実装されるケイエスミラクルもまた別の答えを示すことになるのでしょうが、マーチャンシナリオの場合はこれが予想外の方向で提示されました。


 すでにG1戦線で活躍するウオッカとダイワスカーレットと邂逅する初詣。短距離路線のマーチャンは彼女たちと比べるといまいち注目を浴びづらい――そんないくばくかの屈託を感じさせる初詣。


 そこまではまだいい。


 異変はバレンタインからはじまります。


 先に断りを入れておくと、ウマ娘の育成シナリオにはしばしば(ウマ娘という根幹的な設定以外の部分で)超自然的な要素が紛れ込んできます。


 もちろんはっきりと幽霊やら何やらの存在が示されるわけではないのですが、どう考えてもそれしかないだろうという現象がそれなりに起こります。


 なのでプレイヤーはみな「そういう」展開にも慣れてはいるのです。いるのですが――



 誰 が こ こ ま で や れ と 言 っ た ? ? ?



 いやマジでね……ウマ娘にはマーベラスサンデーというとりわけぶっ飛んだオカルト要員がいたりするのですけど、それをも超えてくるんですよ。ここの展開は。マーチャンシナリオが一昔前の「泣きゲー」や「セカイ系」っぽいと言われるのはこのあたりの展開ゆえでしょう。


 バレンタインはまだ不穏不可解程度で終わるんですけど、その後の高松宮記念出走、そしてファン感謝祭はいけません。いけませんよ。


 感謝祭ですから、普通は楽しいイベントなんです。基本的にはコミカルです。他の育成シナリオではそうなんです。それがマーチャンシナリオでは最も心を折りに来るイベントになってます。


 マーチャンを襲う運命は言うなれば、改変を拒む史実の意志です。アストンマーチャンは死ぬはずだった。高松宮記念にも出走しなかった。史実ではそうなっている。だから、彼女は存在してはいけない。そのような意志の力です。


 これまで精神的な弱さをほとんど見せなかったマーチャンですが、ここでは脚本(および史実)のいじめに耐えきれずしおしおになってしまいます。あまりに痛々しくてトラウマになったトレーナーも多いことでしょう。固有スキルのレベルが上がるタイミングでもあるのですが、それどころではないです。


 そしてその直後、いよいよ史実との対峙がやってきます。


 ある日、忽然と姿を消したマーチャン。彼女を探して、マートレは海へとたどり着きます。そして1人ぽつんと佇む担当ウマ娘の姿を見つけるのです。


 ここのマーチャンとのやりとりがまた胸に刺さるのです。


 以前彼女が言っていた「安心安全」。それがこんな悲しい意味だったのかと。


 マートレが覚えている限り、マーチャンは消えない。だから、何も悲しくない。全世界で愛されるウルトラスーパーマスコットになるという夢が叶わずとも、トレーナーはきっと自分のことを覚えていてくれる。


 だからもういい。


 そう諦めてしまうマーチャン。やはり相談も何もなく、さっぱりと、あっさりと、夢を捨ててしまえる潔さがなんともこの子らしいところです。


 マートレがいてもいなくても、彼女はここにたどり着いてしまったのでしょうけど、最後の一押しをしたのはマートレの存在だったのかもしれない。その皮肉。


 そもそもマーチャンは自己完結した子なので、夢も目標も言ってしまえば便宜的なものにすぎず、その気になれば(おそらく彼女なりに悩んだ結果ではあるのでしょうが)諦めがついてしまうのでしょう。


 しかし、しかしです。凡百のトレーナーならともかく、このトレーナーはマーチャンお墨付きの「変なヒト」マートレです。

 終わらせはせん、終わらせはせんぞ、とばかりに担当への思いを吐露します。というか思いっきり駄々をこねます。みっともなく、まるで子供の様に。例によってさっぱりしているマーチャンに対して、未練がましく訴えます。


 もっともっと、マーチャンの活躍が見たい、輝く姿が見たい。世間に刻み付けたい、と。アストンマーチャンはここからなんだよ、と。


 そしてそれがマーチャンの心を動かし、運命を動かすのです。


「わたしたちで、そういうことにしてしまいましょうか」


 お得意のおどけたダブルピースとともにマーチャンは言い放ちます。さっぱりと、あっさりと。いつも通り飄々と前言を撤回します。それが史実に対する回答なのです。


「しょうがないです。トレーナーさんが変なヒトなので」と、自己完結したマーチャンがそこではじめて他人を動機にするのです。マートレのため、あるいはその背後にいるであろうファンのため。そうして自己完結の限界を超えていく。そんな物語がはじまるのです。


 マーチャンは死なない。いなくならない。


 それはトレーナーの、プレイヤーの願望です。


 しかしその願望が彼女を生かすのです。


 実馬のアストンマーチャンは若くして死にました。これから古馬として戦っていこうというさなか、繁殖牝馬として子を残すこともなく。

 それでも、記憶や記録という形でこうして名を残し、その爪痕がウマ娘のマーチャンを生み出しました。


 残酷な話ですが、パッとした成績を残さず消えていった競走馬は星の数ほどいます。それら競走馬の中でも、アストンマーチャンという馬がいまも忘れられず、その死後10年以上も経ってゲームのキャラクターにまでなったのは、それだけ人々の心に深く刻まれていたからにほかなりません。


 マーチャンが言うように、人はいつか必ず海に帰ります。それは100年後かもしれませんし、数秒後かもしれません。しかし、いずれにしても必ずその時は訪れます。そうであればこそ、マーチャンは世界に爪痕を残さなければならなかったのです。


 死は悲しいことじゃない。本当に悲しいのは忘れられること。


 だから、彼女は自分が交わった命と記憶を大事にします。忘れるというのは、残酷なことだから。心に刻み、共に生きていきます。それと同じように、自分も誰かの心の中で生き続けたかった。


 アストンマーチャンというキャラクターそのものがモデルとなった馬の残した爪痕です。反芻される記憶、想いの結晶とも言えるでしょう。望まれ、願われた。その結果としてアストンマーチャンというキャラクターが生まれた。


 ならば、彼女の存在を忘れず願うものがいる限り、マーチャンは消えることができません。それがウマ娘におけるアストンマーチャンというキャラクターなのです。あるいは、ウマ娘という存在、コンテンツがそういうものなのでしょう。


 もちろん、史実を捻じ曲げることで生じる歪みもあります。レースの結果を変える、それも勝利という形で塗り替えることは、史実における勝者に対して敬意を欠く、とも言えるのではないでしょうか。


 しかし、それでも――そう、それでも、です。


 われわれはプレイヤーとして、トレーナーとして、マーチャンのその先が見たい。


 そう願うことも許されるのではないでしょうか。


 ウマ娘というアプリゲーム、数多の世界線が存在し、可能性の数だけレースの結果が分岐するこの世界なら、あらゆる可能性が等価のこの世界なら、誰かの想いを背負ったifがあってもいいのではないか? マーチャンシナリオにはそんな史実に対するアンサーが込められているように思いました。


 そういう意味で、サイレンススズカを主役とするメインストーリー5章の補完のようにも思いましたね。あっちはあっちでアニメとはまた違うifを描いているので。


 ただ、願いには相応の覚悟が求められるものです。


「わたしたちで、そういうことにしてしまいましょうか」


 それはきっと永遠を約束する言葉ではありません。覚悟を求める言葉です。


 彼女を忘れないこと。忘れさせないこと。そんな戦いをこれからも一緒に続けてくれるんですよね、という確認に聞こえました。


 どれだけ華々しい功績を残しても、記憶も記録も徐々に風化していくものです。その流れに抗い続けること。一度始めた悪あがきを最後まで続けること。その確認のように。


 トレーナー視点で言えば、目の前のマーチャンを。


 プレイヤー視点で言えば、マーチャンというキャラクター及び実馬を。


 忘れない。忘れさせない。


 その覚悟。


 忘れない限り、アストンマーチャンは生き続ける。ターフの上で輝き続ける。

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