ウマ娘プリティーダービーの話をしよう 後編

◆3つの「性」


 前回に続いてウマ娘の話です。


 今回はアプリウマ娘のキャラクターだったりストーリーだったりといった、文芸的な部分について語りたいと思います。


 そこで自分なりにウマ娘の文芸部分の魅力を3つのポイントにまとめました(おお、プレゼンっぽい)。


 それはずばり「抽象性」「内向性」「可能性」の3つの「性」です。



◆抽象性


 ウマ娘のストーリーは言ってしまえばある種のスポーツものです。やってることが実質の徒競走なのですから当然ですね。これはアニメ、アプリとも同じです。設定こそ微妙に違うものの、その根幹部分は変わりません。


 ただ、同時に擬人化ものでもあるのでスポーツものの中でも異質といえば異質なコンテンツではあります。艦これや刀剣乱舞同様、元ネタを前提としたキャラクター造形であり、ストーリーになっているわけですね。

 

 設定上、ウマ娘というのはある種の遺伝的特異体質であり、つまりは人間同士の交配によって生まれてくるということです。イメージとしては『亜人ちゃんは語りたい』みたいな感じですね。おそらく潜性遺伝子としてウマ娘因子のようなものが存在する世界なのでしょう。


 つまるところウマ娘というのはあくまで人間なわけです。人間の親(ときにウマ娘)から生まれて、人間と同じように成長します。また、全員が全員アスリートの道を歩むわけでもありません。身体能力が優れているという以外は普通の女子中高生と変わらないわけです。


 換言すると、「なんかすごい力を持った女子中高生」という漫画アニメのお約束を踏襲した設定と言えるでしょう。ここが絶妙だと思うのですよね。なんというか、スポ根的なハッタリを現代エンタメで成立させるのにちょうどいい設定なんです。


 やってることは徒競走なんですけど、ウマ娘という存在がファンタジーですから、そこには現実の徒競走の理屈が通用しません。ウマ娘はなぜか派手に着飾って前傾姿勢で走りますし、トレーニングもむかしのスポ根漫画じみたハードなものが多々あります。競走馬要素も入ってくるので、よくよく考えるとシュールでナンセンスな絵面というのも頻出します。


 魔法や超能力こそ介在しないものの(基本的には)、スポーツものとして見たときアンリアルで誇張された部分がまさにファンタジーであり、それを可能にしているのがウマ娘という設定なわけです。


 もちろん実際には順序が逆で、ウマ娘という設定があればこそそういうアンリアルな表現に踏み切れたということなのですけど。

 ただ、このあたりは開発中も試行錯誤があったようです。古いPVではウマ娘が普通に直立して走ってたりしますし。


 何が言いたいかというと、やっぱりファンタジーなんですよね。ファンタジーとしてスポ根をやってるのがウマ娘というコンテンツだなあと。


 これはストーリーに関してもそうで、競馬を下敷きにしているがゆえの歪さ、アンリアルさが常に付きまとってくるのですけど、それもある種のファンタジーな設定として飲み込ませる作りになっているというか。


 だから、なんでしょうね。本当に独特のジャンルになってて、スポーツものやスポーツそのもの、あるいは競馬に興味がなくても入りやすいなあと。つまるところスポーツものとしていい意味で抽象的で曖昧なんですよね。これはゲームという媒体ゆえでもあるでしょうが。ゲームって設定がある程度ファジーでも許されるというか、そうじゃないと自由度が確保できないとこがありますから。



◆内向性


 あと個人的に好きなのが、レースがあくまで個人競技であることです。つまり1回のレースで勝つのはただ1人きり。このシビアさが話を引き締めているなと。


 仲間と力を合わせて――という展開もレース外では起こりうるのですが、レースはあくまで真剣勝負であり、意地と意地のぶつけ合い、エゴとエゴのぶつかり合いです。各々背負うものは違えど、勝ちたいという欲求は皆同じで、それがむき出しになるのがレースという場なんですね。


 そしてそのエゴ、想いがなんなのか、どうやって形成されていくのか、変化していくのかを描くのが各々のウマ娘の育成ストーリーになってくるわけです。だから言ってしまえば、すごく内向的なんですよ。ある種の自分探しでもありますし。


 ライバルや憧れの先輩との関係などが描かれもしますが、やっぱり根幹として描かれるのは個々の願いでありエゴなわけです。それを作中時間で言えば3年という長い時間をかけて描いていく。掘り下げていく。


 形としてはいちおうトレーナー視点で進行するのであくまで会話中心ではあるのですけど、この手のゲームの常として、トレーナーは顔も年齢も判然としない匿名的な存在ですので、半分くらいは担当ウマ娘の自問自答じみてくるのですよね。


 こうした1キャラの内面を掘り下げる作りはガチャでキャラを入手するというシステムを考えれば当然の仕様なのですけど、それがストーリーテリングの手法として肌に合ったんですよね。


 個人競技であるがゆえの、ある種の孤独さ。想いや願望の掘り下げ。研ぎ澄まされるエゴ。なりたい自分の発見。そして試練。


 言ってみれば、ある種の求道です。誰よりも早く駆け抜ける、そのことに何か具体的な意味とか価値があるかっていうと、そこはすごく微妙な世界なのですよね。現実の競馬みたく賞金がガバガバ入ってくるという感じでもありません。


 意味や価値があるとしたら、たぶんに精神的なものです。それが他人のためであれ、自分のためであれ、形のない何かのために彼女たちは走るわけです。


 それはなぜなのか?


 その問いかけがどのキャラクターのシナリオにおいても重要な問いかけとなっているのです。むろん、その答えは十人十色であり、そこが彼女たちのアイデンティティともなっています。


 その答えを求めて、我々トレーナーはガチャを回すのです(血反吐)。



◆可能性


 さて、シビアと言えば、忘れてはならないのが史実の存在です。育成ストーリーも基本的には史実における出走歴を踏襲しています(早くに引退した馬や逆に活躍期間が長い馬はけっこう変わってきますが)。

 勝ったレースもあれば負けたレースも当然あります。

 もちろんプレイヤー次第で史実を覆すことは可能であり、そこが醍醐味でもあるのですが、キャラクターによっては(主にレース外の部分で)史実の重みが重く重くのしかかってくることになります。


 たとえばメジロブライト。彼女はメジロ最後の大物とも言われる同名馬がモチーフなのですが、その「最後」たる所以をまざまざと見せつけてくるストーリーとなっています。


 史実におけるメジロ牧場の栄枯盛衰。


 それはプレイヤーがいくらがんばったところで変えようがありません。無敗のままストーリーを駆け抜けても、「グッドエンド」という形で同じ結末にたどり着きます(最後の最後に負けた場合、ノーマルエンドに分岐しますが)。


 バッドエンドというわけではありません。彼女が、そしてプレイヤーが積み重ねてきた時間は決して無駄ではないと強調する幕引きではあります。

 あるのですが、ここで提示されるのはあまりに途方もなく、それだけに頼りない希望です。言ってしまえばただの可能性です。

 われわれが生きる世界において「メジロ再興」の事実がない以上、そこは揺るがしようがないのです。


 そうしたシビアさに史実へのリスペクトを感じますし――なんでしょうね、ご都合主義から物語を救ってくれてる部分があると言いますか。単純に「こうしたらエモいよね」というだけで作られたストーリーにはならないんですよ。泣かせるため、感動させるための展開ではないというか。


 競馬における史実。それはフィクションではありません。筋書きが存在するなら、そもそもギャンブルとして成立しません。

 番狂わせもあれば、1番人気の馬が得意の展開で順当に勝つこともあります。

 伏線も何もあったものじゃありません。結果から振り返ってそれらしきものを見つけることはできても、それはあくまで後付けに過ぎず、ゆえに馬券のほとんどは紙くずになります。


 そして、だからこそ、奇跡も起こる。


 フィクションではとうてい許されないようなご都合主義だって、ターフの上では(ダートの上でも)起こり得るのです。


 逆に、理不尽な事故、故障が発生することもあるでしょう。


 なんにしても唐突で身も蓋もないのが、いわゆる現実ってやつです。


 その現実をどうにか物語に落とし込み、改変するならするでそれ相応の流れや工夫を設けるのがウマ娘というコンテンツで、言ってしまえば歴史ドラマみたいなことをやってるわけですね。


 if展開があるにしても、他キャラのシナリオと矛盾する(両立しない)設計になっているのはゲームならではだと思いますし――逆に言えばゲームでなければできないことだなあと。

 プレイヤー次第でifルートを切り開いていけるものの、それがウマ娘世界の正史になるわけでもないんです。各キャラシナリオ、アプリメインストーリー、アニメ版とでまた全然違う話になってくる。

 そこはやっぱりゲームならではのファジーさなんですけど、if展開を扱うにはむしろ適しているなあと。


 スポ根めいたことをやりながら、そういう身も蓋もないリアリティと言いますか、ある種の理不尽さがあって、逆説的ですが、それゆえに希望もあるわけです。可能性があるわけです。史実を超えていく可能性が。


 そもそもウマ娘の世界自体が現実に対するパラレルワールドなのですけど、その世界の中でもキャラクターの数だけ、いえ、それ以上の数の分岐が存在し、世界線が存在するわけですね。可能性、というのはそういうことです。



◆まとめ


 見切り発車で書いてるので長くなりました。内容も取っ散らかってると思います。


 が、なんとなくこういう部分を楽しんでるんだなあというのは伝わったのではないでしょうか(そうであってくれ)。


 わたしも持ってるキャラ全員のシナリオを読んでるわけじゃありませんし――というか読んでないキャラの方が多いんですけど(網羅しようと思ったらけっこう大変なんですよ……)、自分が好きなシナリオは上記の要素が色濃いかなあ、と。


 次回以降の予告ですが、アストンマーチャンのシナリオについて長文の感想を書いたので、それを分割して投稿することになりそうです。


 いよいよもって体験記でもなんでもない気がしますが、書きたいことはこの際全部書いてしまって、自作に活かせるものがあればそういう角度からも言及できればなと。

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