第2話

「……え?」


 互いに一糸まとわぬ姿で見つめ合うこと数秒、篠宮の視線が畑野の下腹部へと落ちる。途端、篠宮は茹だったような真っ赤な顔で畑野を睨み、掛布団で下半身を隠しながら怨嗟の声を響かせた。


「なんで裸なんですか、私」

「……いや、その」


 思わず言葉に詰まる畑野。正直なところ、原因なんて分からない。こちらが聞きたいところだったが、誰の目にも明らかに畑野がやらかしている。冷や汗を流しながら言葉を探す畑野だったが、下手に取り繕うよりも、怪しかろうと事実を語るべきだろうと判断した。


「……正直、分からない。起きたら私も裸になってた」

「うわっ……ドン引き」


 我ながら苦しい言葉だと自覚していたが、絶句したような篠宮の反応にその事実を再認識する。しかし、何を言われようとも本当に覚えが無いのだ。確かに、相当酔ったまま眠りについた記憶はある。だが、いかに酔ったといえど、篠宮に手を出すだろうか。――否。欲求を発散させる方法は知っている、溜まっている訳でもなければ、それはあり得まい。


 だが、懸命に記憶を辿ると篠宮の甘えるような声が脳裏を過るような気がした。


 彼女の紡ぐ辛辣な言葉の数々、それと同じ声が、甘い声を上げていたような気がするのだ。ずきずきと痛む二日酔いの頭を懸命に働かせる中、篠宮は畑野に罵詈雑言を吐く。


「ショックとか別に思いませんけど、普通に最低ですね――あれだけ中立を気取って興味ないですみたいな面しておきながら、蓋を開ければ酔った後輩を家に連れ込んで襲う。慣れてるんで通報はしませんけど、犯罪者だって自覚した方がいいですよ」

「い、いやいや待ちなさい。この際、そういう出来事があったという事実は認めざるを得ないと思う。でも、それが私から一方的に行われたという証拠が無い」


 畑野が懸命に自己弁護をすると、往生際の悪いそんな様に篠宮は軽蔑の眼差しだ。


 しかし、いかに酔ったといえど、相手の合意なく行為に及ぶ人間性ではないと自負している。何か、潔白を示す証拠は無いだろうか――そう思い思索を巡らせた畑野は、ふと妙案を思いついたとばかりにベッドの周りを探し、彼女の脱ぎ捨てた服を見付けた。紐やらチャックやらボタンやら、様々な機能が搭載されているややこしい服だ。


「服! ほら、この着脱が面倒くさそうな服――こんなのを眠っている間に脱がせて、アンタが起きない筈が無いでしょ」

「む……」


 そう言われると、その言葉には理があると思ったのか。篠宮は不服そうながらも顎に指を添えて思案する。しかし、認めたくは無さそうで、否定を口にする。


「でも、私は酔ってましたからね。それくらいだと気付かないかも」

「おかしいのはそこだけじゃない。ただ『する』だけならお互いを素っ裸にする必要は無い」

「……そういう趣味なんじゃないですか?」

「それに、寝込みを襲ったなら証拠隠滅をするはず。お互い全裸で寝るなんて有り得ない」

「――っていう理屈を使えば、全裸で私を襲えますもんね! というか、ちょっと身体のあちこちが変ですもん、絶対弄ったじゃないですか」


 彼女は唇を尖らせながら掛布団で胸を隠す。


「行為はあったのかもしれない。でも、無理やりではないはずよ」

「それは性犯罪者の言い分ですよ」

「もしも百歩譲ってアンタを襲ったとして、私だったら万が一を考慮して全裸の画像を撮影しておく。脅せるからね、そうじゃないってことは襲っていない」


 我ながら最低な言い分だった。「さいってー」という軽蔑の文句を白い目で篠宮に吐き捨てられる。しかし、言い分には多少なりの理があると判断してくれたようで、追及の手を緩めてくれた。


「じゃあ、なんで私達は脱いでるんですか」


 彼女の素朴な疑問。状況証拠は間違いなく畑野と篠宮の行為を証明していたが、かといって畑野が襲った訳でも、その逆でもない。となれば、返答は必然。


「ご……合意、とか?」


 絞り出すような畑野の言葉に、篠宮は頬を引き攣らせた。


「……馬鹿なんですか?」


 仰る通り、馬鹿であった。間違っても篠宮という世界一嫌いとも公言できる相手と性行為を望まないだろうし、昨晩の彼女の言葉から、その逆もあり得ない。畑野は緩やかに首を横に振って己に呆れながら詫びる。


「ごめん」


 篠宮は心底呆れたような溜息を吐きながら、半眼を向ける。


「……本当はハメ撮りとか撮ってるんじゃないですか? 携帯見せてください」

「いや、それは」


 一瞬、断ろうとした。疚しいことがある訳ではないが、万が一があったら恐ろしかったのだ。酔っている間の記憶が無い以上、何も無かったとは断言できない。しかし、ここで断っては彼女も不安だろう。彼女は嫌いだが、それは一方的に傷付けていい理由にはならない。畑野は頷き、「アンタのも見せなさいよ」と言いながら自身のスマホを取り出した。


「今から携帯の操作は全て相手に見えるようにやってください」

「もちろん」

「私から見せます」


 お互い、ベッドの上にスマートフォンを置いて操作し始める。可愛らしいアニメキャラクターのロック画面を開き、篠宮は自身の画像や動画が保存されるフォルダを開いて見せた。路傍の猫や綺麗な景色など、意外な写真アイコンが多く並ぶ中、少なくとも行為に関する動画は置いてなかった。隠しているという可能性ももちろんあり得るが、正直、畑野は彼女を疑っていない。「確認した。次は私」と、震える指で初期設定のロック画面を開く。


 もちろん、ある筈が無い。しかし、本当に記憶が無い畑野にとって、これはブラックボックスだ。或いはパンドラの箱かもしれない。もしも万が一にも彼女を襲ってしまっていて、挙句の果てにそれを動画に収めているようであれば、大人しくお縄に付くべきだ。


 普段はあまり使わないアルバムのアイコンに触れる直前、その指を止めて少しだけ呼吸を繰り返す。最悪のケースを想定して、どのような謝罪をするべきかを考える。しかし、そんな畑野の緊張など無関係だと言いたげに、「早く押してください」と痺れを切らした篠宮が、その指を掴んでタップした。


 開かれる画像一覧。無機質で事務的なスクリーンショットの群れ。


 その中に紛れ込むように、『▶』のアイコンが浮かび上がっている動画が一つ。薄暗い部屋と綺麗な肌。小さくて容姿までは判然としないが、女性の裸体がそこにあった。


「……ああ、はい。証拠ですね」


 そして、その人物と撮影者が性行為していることまで確認できた。


 血の気が引いて、言葉が出なかった。自分が積み上げてきた自分自身への信頼というものの全てが瓦解していくような感覚。自分はこんなにも最低な人間だったのかと絶望をする。畑野が冷や汗を滝のように流す傍ら、篠宮は隠す気も無い軽蔑を眼差しに浮かべた。


 もはや言い訳の余地は無い。腹を括って自首しようと、先ずは彼女への誠心誠意を込めた謝罪を敢行しようとするも、呆れたような溜息と共に彼女が動画を開く。


「で、何をしたんですか?」


 確かに彼女には知る権利があるだろう。篠宮がスマートフォンを我が物のように扱うことに異議を唱えることはせず、彼女が動画を再生するのを見守った。二人が沈黙して見守る中、旧式のスマートフォンは少しだけ遅れて画面いっぱいに動画を表示した。


 ――途端、篠宮が畑野を呼ぶ声が響き渡る。


『先輩、せんぱ、そこ……! もっと、い――』


 快楽に甘く上擦った声が何かを訴えようとするその瞬間、篠宮の手が動画を停止した。


「……」


 ダラダラと、先刻の畑野と同様に冷や汗を流す篠宮。明らかに意識を持っていた彼女の畑野を呼ぶ声。冤罪の証明と、同時に否定しきれない彼女との性行為の証明動画を確認してしまった畑野は、形容しがたい表情で押し黙る。


 思わず、互いに触れ合った互いの顔を視認して、すぐに視線を逸らす。


 数時間前の自分は、何を血迷って彼女と行為に及んだのか。何を血迷って、それを動画として記録したのか。酒とは恐ろしいもので、きっと彼女もそう思っているだろう。


 畑野はそっと動画を削除し、彼女の顏も見ずに告げた。


「何も無かった。いいわね?」

「そうしましょう。お互いのために」


 彼女は自分の行為が理解できないと言いたげな苦々しい表情で頷く。


 結局、どうして彼女と行為に及んだのかは謎のままだった。

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