いろいろな衣服を着てきた感想とその歴史について

 モデルさんやアイドルほどではないけれど、いろいろな格好をしてきた。


 着るものなら、段ボール製の甲冑や作務衣、着流し、浴衣、吸血鬼みたいな服、マント、セーラー服(コスプレ用)、メイド服(コスプレ用)。被り物なら麦わら帽子や烏帽子、なんならウイッグも被ったことがある。


 いろいろ着たり被ったりしているうちに、意外な発見をしたり、どうしてこうなったんだろう? という疑問が芽生えてくるようになってきた。


 そんないろいろ着ている私の単純な疑問とその答えについて、実際に着てみたときの体験や感想を交えて書いていこうと思う。


 兜を被ったことがある。折り紙で作った兜ではなく、本物のそれだ。




 中学1年生のとき、福島県にある会津若松城へ行った。そのとき甲冑を着た人(おもてなし武将隊のような感じかと思われる)に、


「被ってみる?」


 と聞かれた。


(兜なんてこの先被る機会はないだろうな。この機会を逃したらもう無いかも)


 そう思った私は、二つ返事で被ってみることにした。


 被ってみてまず最初に感じたのは、


「重い」


 ということだった。


 どれくらいの重さか? 私の記憶している感覚では、ヘルメットよりも重かった覚えがある。前立てに後頭部を守る部分。これだけ重装備なら、重くなるのも道理か。


 同時に、昔の人は本当に体力があるな、と思った。


 兜の重さでフラフラになっている上に、鎧や草摺(腰の部分)、籠手、楯(肩につけるやつ)をつけているのだから。特に平安から鎌倉のものは装飾も派手で30キロ以上とかなり重い。あの格好で日本刀や薙刀を縦横無尽に振り回し、恐ろしいほどの弓力がある弓矢を放っていたのだ。これはかなりの体力と技量がないと、まずできない。やはり、日ごろの鍛錬と農作業の賜物であろうか。


 それでも、元寇のあとや南北朝時代、戦国時代に改良が施されたということから、


「鎧重いよな」


「動きにくくね」


 と思っていた人がいたのは確かだろう。時が下るにつれ、馬の上での個人同士の戦いから、歩兵を使った集団戦へと戦い方が変化していった。その過程で鎧も簡略化軽量化されていった。戦国時代になって鉄砲が日本に入ってくると、そこに頑丈さも求められるようになった。その極致にあるのが当世具足と呼ばれるものだろう。鎧の持っている頑丈さに動きやすさが加わり、実用性がより向上した。


 また、個性的な甲冑が出てきたのも戦国時代。兜の前立てをムカデや三日月、さらには「愛」の一文字にする武将まで現れた。他にも、サザエの貝殻やお椀のような兜を被っていた武将もいた。


 そして江戸時代からは美術品として扱われるようになり、現在に至る。


 戦法の変化に応じて、鎧は進化していったのだ。そして戦場で自分の存在を目立たせるための宣伝ツール、持っている芸術美機能美から芸術品としても使われたのだ。


 兜の重みには物理的なものもあるが、こうした歴史的な重みもあるのだろう。




 烏帽子は今年の春に鎌倉へ行ったときに被った。ちなみに鶴岡八幡宮にある鎌倉文華館でやっていた『鎌倉殿の13人』の大河ドラマ展でだ。


 大河ドラマ展の展示の中に、頼朝になりきれるコーナーがあった。大泉洋演じる頼朝が、作中でいつも座している床の間がそのまま再現されている場所だ。


(せっかくだし被ろうかな)


 そう思った私は、ウエストポーチからカメラを取り出し、近くにいたスタッフに渡した。そして烏帽子を被って写真を撮ってもらった。


 烏帽子を被っていたときの感想としては、


「落ちないかな」


 ということだった。


 侍用の烏帽子にはしっかりと顎に固定する紐がついている。だが、頼朝やその他貴族がつけている縦長のものは、それが見あたらない。


(どうやって烏帽子や冠を固定していたのだろう?)


 烏帽子や冠は絶対に落ちてはいけない。中世の人たちにとって、髻は恥部も同然だったからだ。それを隠すために、烏帽子を日夜被っていたとされている。


 気になった私は、ネットや図書館で調べてみた。


 わかったことは、どうやら髷で位置を固定していたということ。これならば、落ちる心配もほとんどない。この手の心配の原因は、現代の日本人男性のほとんどが短髪ということに起因しているようだ。どうやら、男性の髷には、烏帽子や冠を止めるという合理的な意味も含んでいたらしい。ちなみにこれは、装束の専門家でも何でもない個人の感想でしかないのだが。


 あと、私の髪は、髷が結えるくらいの長さがある。なので、今度烏帽子を被る機会があったら結って試してみようかな。そんなことをうっすら考えている。




 コスプレ用のセーラー服を着たことがある。メルカリで買ったものだ。同時にこのときウイッグも買った。


 着てみたくなった理由は、気分でコスプレがしたくなったから。ただそれだけ。もちろん、それをするにあたって、メイクなどのやり方はしっかり調べてある。


「あ、セーラー服ってこうやって着るんだ」


 着ようとしたときに、長年謎だったセーラー服の着方がわかった。真ん中にあるチャック(またはボタン)で開閉し、それで着たり脱いだりできる。


 着たあとに少し動いてみて、


「意外と動きやすい」


 と感じた。元々制服や礼装としてでなく、軍服の一種として作られているからだろう。


 元々セーラー服は、イギリスの海兵が着ていたものだった。それが日本にも輸入され、正式な海軍の軍服となった感じだ。ちなみに読者がイメージするような、襟が広い上着とスカートの組み合わせではない。帽子と襟が広い上着、下にはズボンを履いていた。年端もいかない少年が着たら可愛らしい感じのデザインだ。海兵が着た場合は精悍な感じになるのだろうが。


 大正時代から昭和の初めになると、女学校の制服としても使われ始めた。読者の皆さんがイメージする、襟が広い上着とスカートのものだ。ただ、戦時中は襟が広い上着の下にモンペを履いた感じになる。よく戦時中を舞台にした朝ドラで見るあのスタイルだ。


 襟が広い上着の下にモンペというスタイルになっている理由については、戦争中の衣服の材料不足が影響しているそうだ。


 戦後からは襟が広い上着にスカートというスタイルに回帰し、現在に至る。


 月に代わってお仕置きするセーラー服の美少女戦士の漫画。セーラー服の女子高生が成り行きで組長になってマシンガンをぶっ放す映画(原作は小説)。こんな感じでサブカルチャーとの親和性も強く、今なお様々なセーラー服の美少女キャラクターが生まれている。


 なお、海兵の着ている軍服としてのセーラー服も健在で、現在でも海上自衛隊の一部が着ているそうだ。


 これほど世相に左右される服もまた、珍しいものだ。




 衣服というものは、やはり時流に左右されるものらしい。


 時代や求められるライフスタイルが変われば、当時を生きる人たちにとって無駄なものばかりの従来の服は、歴史の彼方と追いやられて行く。服を変えて手に入る便利さと引き換えに。けれども、それを後世に伝えようとした人たちがいるから、こうして今を生きる私たちが、様々な服を着ることができる。


 伝統を伝えてきた先人たちには、感謝の一言しかない。

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