川越
毎年数回、必ず行く場所がある。鎌倉と川越だ。
高尾山も入れたいところだが、秋に紅葉を見に行くときしか行かないので、ここには入れなかった。
鎌倉は海も山もきれいなので、年に2、3回は小田急の鎌倉・江の島フリーパスを使って行っている。個人的には、鶴岡八幡宮と寿福寺、建長寺、七里ヶ浜の海岸、江の島がお気に入りだ。どこを切り取っても美しいので、名だたる文士や漫画家が、作品の舞台にしたがるのもよくわかる。
高尾山と鎌倉。全国的に知られた有名観光地。対して川越は、関東甲信越やその周辺県の人に人気が高く、それ以西の人には馴染みが薄い。
なぜ、関東甲信越とその周辺県以西の人に馴染みがないのかを考えてみる。
私の個人的な推測なのだが、その界隈だけでも、たくさん人が来るからではないだろうか。
ネットで調べてみたところ、関東圏はもちろんのこと、福島や新潟、静岡からもたくさん人が来ている。それ以西からとなると、格段に減っていることからもよくわかる。
論文じみた話は終わりにして、本題に移ろう。
川越は年に1、2回は行っている。
去年は電車で1回、今年は自転車と電車の2回。
個人的に気に入っている場所が、川越城の本丸御殿(復元)だ。
川越城は太田道灌が建てたお城。建てられた目的は、古河公方に対抗するため。
代々上杉家の人物が城主になっていたが、後北条氏により城を取られてしまった。以来後北条氏の誰かが入ることに。
後北条氏が滅び、江戸時代に入ると、江戸に近いという理由で幕府の要人が入ることが多くなった。五代将軍綱吉の側用人(将軍の秘書兼政治顧問のポジションの人)柳沢吉保もここに入っている。
後で調べてみたところ、本丸御殿は東日本で唯一現存するものだそうだ。
蔵の街も気に入っている場所の1つだ。
蔵の街は名前通り、「蔵が立ち並ぶ街」ではない。「蔵作り」という壁の土や漆喰を厚く塗った建て付けの建物のこと。
壁土を厚く塗る理由は、火事などでできるだけ燃えにくくするため。
このようなことから、火事の多かった江戸の街ではよく見られた建築技法らしい。
蔵の街は江戸時代の情緒を残した街。一般的にはそう思われているようだ。
だが、私はそうは思わない。
なぜなら、建築技法が「江戸時代から受け継がれたもの」であるだけだからだ。それに、ポストや街灯がある。そのせいか、どこか明治・大正期の街並みように見えてしまう。このことから、個人的には「近代の古き良き日本の情緒を残した街」だと考えている。
近代の情緒を残した街、というのもまた悪くない。レトロな雰囲気を残した街は、この令和の世において珍しくなっているからだ。
またいつか、川越の街を散策したい。今度は喜多院や川越氷川神社でも巡ろうか。
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