あの頃の記憶

外東葉久

あの頃の記憶

 夜。カーテンを閉めようと、窓の外を見る。いつもと何も変わらない景色だ。あまりの変わらなさに絶望し、静かにカーテンを閉めた。ふるふると頭を振って、無理矢理頭の中を空にし、布団に潜り込んだ。


 目をつむり、眠りに落ちようとしていたとき、頭上からジジジというノイズ混じりの声が聞こえてきた。

 ん?夢?

 そう思ってうとうとしていると、だんだん声がはっきりしてきた。

 「ジジ…、聞こえる?」

 何か変だと感じ始め、薄目を開けると、部屋の棚に置いていたラジオの方から声がしているようだ。電源がついているのかと思って起き上がり、ラジオの電源に触れてみるが、電源は切れている。不思議に思い、ラジオに耳を近づけてみると、確かに鳴っている。

 「え?どういうこと?」

ついそう口に出すと、

「あ、よかった。繋がってた。」

と若い女性の声が聞こえた。私は恐怖で壁に張り付いた。

「だ、誰ですか?」

「あれ、分からない?これってすぐに通じるやつじゃないのか。」

「え…。」

「ま、会ったことないから、そりゃそうか。とりあえず、繋がるって分かったから、今日はこれで。またね。」

そう言ってラジオは切れた。

「どういうこと…?」

私はしばらくそのまま固まっていた。ラジオって、電話みたいに喋れないよね?いろんな疑問が渦巻いて、その夜は眠れなかった。


 翌日。今日も実家へ行く。

 合鍵を使って中に入る。まだ、母の生活の香りが残っている。私が入るだけで、その香りを吸い取ってしまいそうで、悲しくなる。

 涙を引っ込め、無心で家を整理する。不意に思い出の品が出てきたりして参ってしまう。なかなかスムーズには進まない。

 そうこうしているうちに、お昼になって、持ってきたおにぎりのうち三つを仏壇に供え、自分も二つ食べる。

 私に家族はもういないのだ。その実感が、日に日に現実味を帯びていく。


 父は、私が小学校に上がる前に病気で亡くなった。入院中、父は私に、私が生まれる前のことをよく話してくれた。学生時代のことや、母との出会いなどだ。いくつかはもう忘れてしまったのだが、その中でも忘れられない話がある。

 私に姉がいるという話だ。私の三つ年上で、生まれてすぐに亡くなったという。

 それまでずっと、自分はひとりっ子だと思っていたものだから、それは驚いた。私が生まれたときから、家に仏壇があったのだが、その理由をそのとき初めて知った。

 

 「お母さん、二人に会えた?」

心の中でそう聞いてみる。

「こちらはひとりで寂しいです。」


 おにぎりの最後の一口を頬張り、気を取り直して掃除を始める。母と暮らした家。きれいに保っておきたい。

 広くはない家だが、気づけば窓から西日が差し込み、畳を灼いている。今日はこの辺で帰るねと、仏壇に声をかけ、家を出た。

 

 その日の夜。昨日の寝不足もあり、すぐに眠りに落ちようとしていると、またあのノイズが聞こえてきた。きっと夢だ。そう思い込んで、布団を頭まで被り、耳をふさぐ。それでも、声が聞こえてくる。

「もしもし?もう寝ちゃったかな。」

「おーい。」


 お母さん?


 布団から頭を出す。母の声に似ている。

「聞こえる?」

「お母さんなの?」

「え?」

女性の驚いた声が聞こえてきた。

「お母さんでしょう?ねえ、どこにいるの?苦しくない?」

「いや、あの、私、あなたのお母さんじゃないんだ。」

「え、でも、お母さんの声だよ!」

気がつくと大声で叫んでいた。寝不足と疲労で、気が荒くなっている。

「落ち着いて、落ち着いて!もう、言っちゃうね。」


 「私、あなたのお姉ちゃんなんだ。」


 「え……?」


 「そう、私のことは知ってるよね?」

「お姉ちゃん…。あ、あの、聞いたことは。」

「今、私がどこにいるかは言えないんだけど、あなたが悲しんでるから、なんていうか、その、あなたを励ますために、繋げてみたの。」

「そんなことができるんですか?そっちは、その、天国?ってこと?」

「それは答えちゃいけないの。でも、こっちの世界には、そっちの世界に繋げる手段があるというか。」

「衝撃すぎてよく分からない。」


 「まあ、とにかく、お父さんもお母さんも、大丈夫だよ。あなたのこと心配してる。悲しむだけ無駄だから。元気出して。」

「お父さんとお母さんに会えるの?ねえ、二人とも元気?私のこと心配してるの?」

「質問にはあまり答えられないの。でも、こっちは大丈夫だから。」

「そんなこと言われても…。」

「本当に大丈夫。あまり長くは話せない。またいつかね。」

「もう行くの?」

「うん。あ、私と話したことは絶対言っちゃ駄目だよ。話すと面倒なことになる。じゃあね!」

 ラジオはそこで切れた。


 衝撃は強かったが、

みんな大丈夫だった。

その安心感が、胸を満たしていた。とんでもないことが起こったのに、私はその安心感に包まれて、眠りに落ちていった。


 夢を見た。

 子どもの頃。私はよく、心の中で誰かと会話していた。ずっと忘れていた記憶だ。

 「ねえ。」

心地よい声だ。母の声に似ている。

 ああ、これは姉の声だったんだ。

 その声が言う。

「おかあさんに、ありがとうっていって。」

「なんで?」

私は心の中で尋ねる。

「うんでくれてありがとうって。」

「わかった。」

その言葉を母に伝えると、母はにっこり微笑んで言った。

「ふたりとも、生まれてきてくれありがとう。」

と。

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