後編


 他に何か、と視線を向けようとしたところで、肩を掴まれた。驚いて振り向けば、犬飼がいた。お互いにきょとんとした顔を向け合う。

 三回目会ったらもう諦めな。


「犬飼さん、どうしたんですか……?」


 その後ろから聞こえた女性の声に、足が半歩下がる。


「ザネくん、それ」

「猫実、お前」


 阿鹿さんがこちらに戻って来たのと同時だった。俺は犬飼の手から逃れ、ピアスをレジへと持っていく。


「悪い、用事あるからここで」

「え」

「ごめん」


 後ろで為される犬飼と女性の会話の節々が聞こえてくる。財布から札を出そうとすると、横からカードがトレーに乗せられた。びくり、とその持ち主を見上げる。


「一括で」

「おい」

「お願いします」


 トレーを押し出され、店員も圧に押されてそれを受け取る。俺は黙って財布をしまい、レジを離れた。

 阿鹿さんがなんとも言えない表情でこちらを見ている。


「ザネくんってネコザネって名前だったんだ」

「今そこ聞く?」

「ザンネンから取ったって言ってたからさ。ま、いいんだけど。確かに俺らの間で猫実は名乗りにくいかもな」

「猫実」


 次は手首を掴まれた。多分、今度は振り解けない力で。

 犬飼は俺の手に先程のピアスを乗せる。


「あ、会話中すみません」

「いえいえ。じゃあ行くわー。ザネくん、夕飯どうする?」

「また連絡する」

「よろ」


 阿鹿さんは風のように去って行った。

 俺はピアスを見つめる。


「返す」

「返されても。俺そもそも空いてねえし」

「お前が払ったんだろ」

「だから、プレゼント」

「お前は俺の彼氏か」


 押し付けたピアスを犬飼は受け取る素振りすら見せない。黙っている。


「いや、今のは笑うとこだろ」


 代わりに俺が自分で嘲笑った。受け取らないのなら貰おうと、ピアスを持ち直す。


「ありがとう、貰う。それで、何か用?」


 人生は選択の繰り返し。

 これが運命でも、運命じゃなくても。


「俺、何かしたか?」

「え?」

「猫実に、何かした?」


 顔が見られない。犬飼も返答がないと踏んだのか、手首をそのまま引かれた。

 並ぶ店の前に置かれたソファーベンチが空いており、そこへ腰掛けることになった。

 何が、何を、答えれば良いのか。

 犬飼が俺に何かしたのか?

 したとしたら、こっちの方だろ。


「高校のときも連絡断つし、自販機のとこでまた会ったときも連絡こねーし、この前だって……俺舞い上がって……しつこく誘ったからか? そういうの、ちゃんと言ってくれよ」


 そんなの、好きだからだよ。

 お前が好きで……だから、諦めたくて。

 こんなに脈がないから、この前言った告白も無かったことになってるのか。

 泣きそうになる。いや、もう泣いても良いんじゃないか。せめて、一人で。

 この恋を、誰かに聴いてほしいなんて思ったことはない。

 べつに聴かれなくても良い、ただ。


 ここにあったことは、忘れないでいてくれ。


「犬飼は何も悪くないし、してない」

「じゃあなんで」

「俺がお前を好きだから。男として」


 ケジメとか言って、この前のは言い逃げだったな。手酷く振られるまでが、ケジメか。

 想像の中の犬飼は俺を気味悪そうに見ていた。そりゃあ、ずっと友人だった男からそんなこと言われて、そんな目で見られてたなんて、気持ち悪いだろう。

 完成間際の曲のフレーズが頭に浮かぶ。これを完成させたかった。それで、終わりだ。

 誰に聴かれなくても、A面に入らなくても。

 顔を見上げる。犬飼は口を半開きにしながら、俺の手首から手を離した。

 答えは出たようなもんだった。


「それ、告白?」

「うん、間違いなく」

「この前、駅で言ってたのと同じ?」

「覚えてたのかよ」

「お前とした話、全部覚えてる」


 そういうとこだよ、と笑った。そういうところが、好きなんだ。


「俺が同じだって言えば、付き合えんの?」

「……は?」


 思わず眉を顰める。


「そんな凄まなくても」

「……帰る」

「え、何故。つかさっきの誰?」

「阿鹿さん」

「って、誰。夕飯一緒に食うの? なんで? いつ会った人?」

「同僚みたいな……夕飯はまあ、住まわせて貰ってるから」

「一緒に住んでるってこと?」


 逆に凄まれる。なんで。

 俺は静かに距離を取り、立ち上がろうとした。が、手首を再度取られた。


「話終わってねーんだけど。そもそも、好きならなんで避けてたんだよ。意味が分からん」

「一生分からんくて良い」

「俺も猫実が好きだ」


 返答に詰まる。座り直すことも出来ず、俺たちは人の行き来する通路の端に位置するソファーベンチの前で、手を掴み、手を掴まれる男同士だ。

 そして、告白をして、返された。


「……犬飼が、それを」

「何だよ」

「それを、これからも一緒に飲みたいとか、話したいとか、飯食いたいからって言ってる言葉なら、間違ってる」

「じゃあどんな風に返せば正解なんだよ」

「"お前のことはそういう風には見られない"」


 幾度も、想像の中で言われた言葉だ。声に出すなんて造作もない。

 犬飼は分かり安く傷ついた表情をした。


「なんでそんなこと言えるんだよ」

「……怖いんだよ」

「は? なにが」

「俺の人生に犬飼を巻き込むのが、怖いんだよ。だから、そんなこと言ってないで……俺から、一番遠いところに居てくれ」


 それが、たぶん一番の希望だ。


「一緒に居るのは勿論楽しい、嬉しい、ずっとそうして居たい。でも、一生は無理だろ。犬飼にはちゃんとした人生……」

「何だよちゃんとしたって」

「好きな女と結婚して、子供とか作って、幸せな家庭とか築く、そういう」

「そこに猫実がいないなら、幸せじゃない」


 言い切られ、視界が滲んだ。

 いつも、俺が引いた一線をひょいと飛び越えてやってくる。


「遠いところに行けなんて、言わないでくれよ……」


 小さくなった言葉尻に、俺はベンチへ戻った。


「猫実が好きだ。付き合ってほしい。お前がこの言葉を間違ってるっていうなら、それに合わせるけど」


 手首を掴んでいた手が、掌から指先へと移る。柔く握られたそれが熱い。

 その熱さに、涙が出た。


「俺は一生、傍に居たい。猫実が誰かと幸せになるくらいなら、俺が幸せにする。出来なかったら、一緒に堕ちてくれ」

「堕ちるって……」

「地獄の底にでも」


 詩人か。

 笑ってしまった。俺の負けだった。犬飼も嬉しそうに笑い、反対の手で俺の首に手を添える。一瞬重なった唇もやはり熱かった。











 暑さに目を覚ます。早朝だけど、もうカーテンの向こうは明るかった。エアコンのタイマーが切れており、指先でボタンを押す。

 隣で眠る犬飼はTシャツをベッドの下に脱ぎ捨てている。たぶん、きっと、暑さの所為だろう。

 流石に風邪を引きそうなので、足元に追いやられ丸まっているタオルケットをかける。ムニャムニャと口を動かし何かを言っているのか、食べているのか。面白くて、ずっと見ていられた。

 夢みたいだ、と思う。

 夢じゃないか、確かめてみなくてはならない。

 パーカーを羽織り、鍵を持って家を出た。

 昼間の暑さに比べて朝は涼しく、日差しがこれ以上強くならなければ良い。近所のコンビニの角を曲がる。

 踏切が丁度閉まっていく。カンカン、と音が鳴っていた。早朝だからか人通りはなく、閉まる前に行った自転車に乗るサラリーマンの後ろ姿が見える。

 これ以上は、ないだろ。もう、ないよな。


 俺は踏切の遮断桿に手をかけた。





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