中編(1)


 忘れかけていた青春の一幕。俺はそれを美しい思い出として取っておきたかったのかもしれない。


「お前ら本当に仲良いよな、タイプ違うのに」

「俺らマブだから」


 クラスメートに言われ、俺は曖昧に笑うだけ。

 それでも、「な」と犬飼が首に腕をかけてくる。その瞬間がどれほど嬉しくて、そして悲しかったか。

 目が覚める。汗が酷くて、Tシャツを脱いだ。タイマーをかけたエアコンが止まっていた。リモコンを指先で探し、スイッチを入れる。

 好きだと言えたら、違ってたのだろうか。

 そんな風に考える時が無かったわけじゃない。美しい思い出を取り出して眺めてしまうのは、少なからず後悔があったからだろう。たらればを考えればきりがないのは分かっているが、それでもやはり考えてしまう。

 好きだと言ったら、犬飼はかけていた腕を外し、気味悪そうに俺を見るだろう。


「悪い、そういうんじゃないんだ……」


 申し訳なさそうに言う想像が出来た。想像の中の犬飼は優しく俺を手酷く振ることはない。でも何度想像しても気持ちが通じることは無かった。こんなのは自慰行為と変わらない。


「営業ってノルマとかあると思ってたんだけど意外とうちホワイトでさ。残業はあんだけど。そこまでキツくないかな、俺喋るの好きだし」

「お前に合ってると思う」

「猫実は今なにしてんの?」

「音楽、やってる」


 するりと出てきた言葉に、自分で動揺する。言うつもりは無かった。


「まじで? 歌ってる?」

「というより、作る方が主だけど」

「待った、なんて名前? 調べる」

「教えない」

「はー? そういう秘密主義なとこ変わってねーな」


 唇を尖らせ、大袈裟に息を吐く。コンビニを出て、学生みたいに自動扉近くで話し込んでいた。

 変わってないのは犬飼の方だ。


「じゃあ土日休みじゃない?」

「いや、比較的休み。何も無ければ」

「週末飲みに行かね?」

「あー週末……」


 会うのが嬉しい自分が腕を引っ張ってくる。いや、待て。もう会わないと言ってたろ。でも連絡先も交換してしまったし、それはもう無理なんじゃないか。

 答えようと犬飼を見上げる。嬉しそうに首を傾げる姿が目に入り、用意した答えはどこかへ飛んでいった。


「ああ」

「よし。今週はそれを目標に乗り切る」

「低い目標すぎないか」

「楽しみだよ」


 お前のそういうところが好きで、嫌いだった。

 言葉を真っ直ぐ伝えてくるところ。優しくて親切なところ。俺にも分け隔てなく接してくるところ。

 でも、そういうのを目の当たりにする度、ぶち壊してしまいたくなる。お前のこと、男として、恋愛対象として、好きなんだって。洗いざらい全てぶちまけて、犬飼の絶望した顔も見たくなる。

 ……それで、どうしたいんだ、俺は。


 結局のところ、俺も同じで、週末までのカウントダウンを勝手にしていた。


「なんか楽しみなことでもあるんですか?」

「え、何が、ですか」

「ザネさん、機嫌良いから」


 事務所の人にも言われた。そんなにわかり易い人間だったっけ、俺。週末に再会した同級生と飲みに行くんです。それだけのこと、なんだけど。

 犬飼からのメッセージを見返していると、なんと会う日が誕生日だと知った。SNSに誕生日を設定しても祝われないと悲しい俺は、誰に対しても誕生日とかはのらりくらりと躱していた。その極端に犬飼はいる。

 誕生日。良いのか、俺と飲みで。

 いや、分かっていて……忘れて決めたとか? もう一度、日時を見返す。土曜日の夜六時、間違っていない。

 設定されたアイコンは東北の土産饅頭の焼印だった。可愛いけど。誰かからもらったのか、自分で買ったのか。彼女とか……。

 思わず立ち止まった。


「気になるものございましたか?」


 よく行くブランドショップのショーケースの前で立ち止まる。見ていたのはパスケースや名刺入れ。

 名刺入れを示すと、店員が鍵を開けて出してくれた。

 普段使いできるものなら、と見ていたけど、こんなの俺に貰って嬉しいか?

 犬飼なら何でも喜ぶだろう。いや、引いた顔で受け取るかもしれない。そうだ、そもそも彼女がいるかどうかも。そういう問題か?

 居ても居なくても、変わらないのに?

 名刺入れは買った。一応プレゼント用にしてもらったけれど、渡さなかったら自分で使うことにする。


 外は暑かった。

 まだ夜とは思えないくらいには明るく、ぼんやりと犬飼を待つ。男女のカップルが手を繋いで前を通り過ぎる。同じ様にこれから飲みに行くのだろう。


「ごめん、待った?」

「いや、さっき来た」


 現れた犬飼は大荷物だった。紙袋から花束が見えている。ああ、なるほど、誕生日を祝って貰ってたんだろう。そうすぐに察した。


「それ、持ってくのか?」

「欲を言えば一回家帰って良い?」

「ん。まだ時間あるし」

「大学のサークル一緒だった奴らと会っててさー」


 そっちの予定が先に入ってたんだろう。だから、俺との飲みは夜になった。


「俺今日誕生日だったから、予想外に祝われた」

「……おめでとう」

「お、ありがと。俺の家こっち」


 そこで誕生日の話題は終わったので、プレゼントは渡せなくなった。


「サークル仲間と飲んで来なくて良かったのか?」

「いや、猫実と約束してたし。楽しみにしてたし」


 にこにこと犬飼は笑っていた。妙にそれが虚しくて嬉しくて、泣きそうになる。

 犬飼のマンションに近く、俺はコンビニでそれを待った。

 雑誌コーナーをぶらつく足が止まる。ショルダーバッグに入ったプレゼントがやけに重く、なんだか疲れた。

 このまま、犬飼が来なかったりして。

 そんな想像をして、笑えてしまう。


「お待たせ!」


 背後から聞こえた声に肩が震えた。


「び、っくりした……」

「え、そんなに。あ、コーヒー買う?」

「いらんけど。今から飲みに行くんだよな?」

「そうだった。俺の家でも良いんだけどさ、今すげえ部屋汚くて」

「俺も汚い。忙しいとそれに比例して汚くなってく」

「わかる、めちゃくちゃわかる」


 そんなどうでも良い話をしながらコンビニを出て飲み屋へと向かった。

 犬飼の予約した店に行けば半個室へ通され、四人席を二人で占拠することになった。


「さすが営業……」

「何が」

「良い店を知ってるなと」

「猫実、うるさいとこ嫌いそうだし、喫煙者近くない方が良いかなと思って」


 犬飼はメニューを取りながら、普通のことのように言う。その気遣いは一体どこから譲り受けたものなのか、尊敬する。

 ドリンクメニューを見たものの、結局二人して生ビールを注文した。あとはつまみを数品。


「サークル、何だった?」

「ワンゲル」

「わんげる」

「登山だよ、観光のついでに山登るサークル。就活の面接のときに、登山のときに諦めない心やチームでの協力を、とか言えるサークル」

「犬飼ってそういうとこ本当に現実的だよな」

「猫実は? バンド解散した後」


 どきりとした。大学に入って一度も犬飼とは連絡を取っていない。

 組んでいたバンドが解散したことを知っていたくらいには、気にかけてくれていたんだろうか。


「あてもなく、ふらふらしてた」


 その通りで、大学後半は特に。誰かと付き合っては別れ、を繰り返した。その度に音楽に救われ、なんとなく犬飼を思い出しては、焦げ付く想いに囚われて。

 また声をかけられて、ふらふらと着いていく。その中に、阿鹿さんがいて拾ってもらった。


「ふらふらって、なんか想像つく。高校のときもお前、なんか一人で危なっかしい感じあった」

「じゃあ犬飼が声かけたの、保護者目線か」

「いや、あれは下心。絶対面白い奴だと思ってたから、絶対仲良くなりたかった」


 絶対。そんなに連呼するような言葉だろうか。それでも犬飼は、それを成し遂げた。


「お前は本当に……」

「失礼しまーす、お待たせしました。焼き鳥、ハツ、つくね、ねぎまでーす」


 呟いた言葉は、店員の言葉にかき消された。並べられた焼き鳥を手に取り、犬飼が首を傾げる。


「何か言いかけた?」

「いや、なんでもない」

「そういや猫実、彼女いんの?」


 すっと心の表面が冷える。視線がつまみの間を彷徨いた。温くなったジョッキへと手を添える。


「いない、けど。犬飼は?」

「いや俺も。なんか後輩から猛アタック受けてんだけどさー」

「……へー、良い子?」

「普通に良い子、だから俺以外を奨めてんだけど」

「良いじゃん、付き合ってみれば」


 ピシピシと罅が入る。こんな話をしたいわけじゃない。何が悲しくて、見たこともない人間を犬飼に奨めてるんだ。

 こういう自分に嫌気がさし、もやもやしたものが広がる。その後は違う話題に変わり、高校のときの懐かしい話に花が咲いた。

 注文したつまみは無くなり、お互いのグラスも空いた。腕時計を見る。夜十時すこし前。


「そろそろ帰る」

「え、ああ。明日なんかあんの?」

「特にないけど」

「じゃ、もう一軒行く?」

「あー……いや、好きな番組、録画し忘れたから、帰る」

「そっか、了解」


 まだ飲みたりなかったのか、と顔を上げる前に犬飼はトイレへ立った。その間に会計を済ませ、ショルダーバッグを持ち上げる。

 プレゼントの存在を忘れていた。




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