第27講 関孝和は、ヤコブ・ベルヌーイよりも先に「ベルヌーイ数」を発見していた
第27講 関孝和は、ヤコブ・ベルヌーイよりも先に「ベルヌーイ数」を発見していた
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甲:17世紀に日本は鎖国したので、取り敢えずは、植民地化の危機を脱した。
しかし、そのせいで、日本は科学の発展が遅れたと、外国人は思っているようだ。
kou : 17seiki ni nihon/nippon wa sakoku shita node, toriaezuwa, shokuminchika no kiki wo dasshita. shikashi, sono seide, nihon/nippon wa kagaku no hatten ga okureta to, gaikokujin wa omotte iru youda.
乙:鎖国した頃は、日本は、銃の保有数も世界一だったけどね。識字率も高かったから、独自の和算も発展したんだ。
otsu : sakoku shita koro wa, nihon/nippon wa, jyuu no hoyuusuu mo sekaiichi datta kedone. shikijiritsu mo takakattakara, dokuji no wasan mo hatten shitanda.
甲:和算の大家、関孝和は、ヤコブ・ベルヌーイよりも先に、「ベルヌーイ数」を発見していたな。
kou : wasan no taika, Seki Takakazu wa, Jakob Bernoulli yorimo sakini, "Bernoulli suu" wo hakken shiteitana.
乙:関孝和は、3次正方行列の行列式を計算する、「サラスの方法」も、サラスよりも先に発見していたよ。
otsu : Seki Takakazu wa, 3ji-seihou-gyouretsu no gyouretsushiki wo keisansuru, "Sarrus no houhou" mo, Sarrus yorimo sakini hakken shiteitayo.
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【解説】
関孝和は、ヤコブ・ベルヌーイとは独立、かつやや早くに、ベルヌーイ数を発見していたようです。
関による発見は、死後の1712年に出版された『括要算法』に記述されており、またベルヌーイによる発見は、死後の1713年に出版された著書『
関孝和は、3次・4次の正方行列の行列式も計算しており、これも、ゴットフリート・ライプニッツが行列式を導入したのと同じ1683年頃で、ピエール・フレデリック・サラスの「サラスの方法」よりも前です。
他にも、関孝和は、西洋の微分積分学の発展とは独立に、方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、1681年頃にエイトケンのΔ2乗加速法と同様の計算方法を用いて、円周率を近似計算で小数点以下第16位までを正確に求めたようです。
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