第7話 令嬢レイネの初恋の日々

 私がコウジ様に出会ったのは、一年前のことでした。

 領都の教会に月に一度の礼拝に行った帰りに

『助けてぇ〜。』という子どもの声を聞き付け路地に入ったところ、突然、大勢の暴漢達に囲まれ、護衛のポーカーが一人だけで窮地に陥ったところを、通りがかったコウジ様が加勢に入って助けてくださいました。

 それはまるで物語に出て来る王子様のようにお強くて、あっと言う間に暴漢達を退けてしまわれました。


 それからまた、私の婚姻のことで、ブログリュー公爵とのトラブルが起きたのをたった一人で解決してしまわれました。

 それも、ブログリュー公爵に家族を殺された少年の復讐を果たしてのことだそうです。

 公爵ともなれば、騎士団が5百人も警備しているかと思いますが、公爵の館を火の海にして公爵一家を根絶やしにしたそうです。

 別れてから二ヶ月程で戻られて、今はこの街にお住まいになられています。



 けれど、ちっとも会いに来てくださらないんです。私のことなんか、気にも留められておられないご様子。

 なのに、幼い子達には優しく、いろいろ面倒を見ておられるようなのです。

 もう、我慢できません。こちらから会いに行きます。

 しばらくはお側に張り付いて、何が何でも、私を意識していただきます。



 孤児院の『みなしごパン工房』が開店して、数日経ったある日、孤児院にレイネ嬢が訪ねて来た。

 新たにできた孤児院の施設を、いろいろ見て回りながら感激している。

 中でも工房で焼くパンのやわらかさに感激し甘い菓子パンの美味しさに目を丸くしている。

 まあ女の娘だから、甘味が好きなのだろう。


 猫パンの創始者であるアーシャを満面の笑顔で抱き抱え、俺にいろいろ尋ねてくる。


「コウジ様のお生まれになった国では、いろんなパンがあるのですか?」


「ありますよ、中にいろんな詰め物をしたものや生地も多数の種類がありますし、焼いたパンだけでなく、油で揚げたパンや、蒸したパンもあります。」


「まあっ、そんなにも。いつかお作りいただけますか?」


「そのうち、幾つかは試しに作ってみようかと思っていますよ。」


「それは、楽しみですわっ。」


 夕方になり帰る刻限となったが、明日もまた来ると言って俺を驚かせた。

 貴族のお嬢様が庶民のしかも孤児院などへ、頻繁に出入りしていいものだろうか。

 レイネが言うには、俺の側でいろいろ見たいんだそうな。

 それなら、話し相手ばかりしていられないし自分の仕事をしながら相手をするか。

 そうなふうに、レイネの対応を決めた俺であった。

  


 コウジ様は、凄いお方だ。パン一つをとってもこの国にはない工夫を知っておられる。

 初めは、ただお会いしたくて訪ねただけなのですが、話すごとにその知識の広さ深さに引き込まれる。

 もっと知りたい、もっともっと役立つ知識を学びたい。

 私はコウジ様を尊敬し、崇拝し始めている。 

 そして、憧れからだったものがいつの間にか違う何かを感じ求め始めている自分がいた。



 次の日も朝食を終えると、ポーカーと二人の騎士に警護されて、孤児院へ向う。


「レイネお嬢様、コウジ殿の知識には誠に驚かされますな。

 まさに賢者、皆に幸せをもたらす方だ。」


 ポーカーもコウジ様の話に驚きを隠せないようだ。昨日は私の側で真剣に聞き入っていた。


「ポーカー、私はコウジ様からいろんなことを学び、この領地に幸せをもたらしたいの。」 


「はい、そのお考えには大賛成でございます。 

 如何せん、コウジ殿はごく身近な者としか、関わりません。

 お嬢様が教えを請い、この領地に生かされるべきかと存じます。」


 そんなことを道々話し合いながら、孤児院に着いた。孤児院では、朝のパンの販売を終え、皆で遅い朝食を取っている。どの子も笑顔で笑い声が絶えない。

 朝食のメニューは、厚切りの食パンと、卵をそのまま焼いたものや、溶いて焼いたもの。山盛りの野菜サラダにはマヨネーズがかけられていて、牛乳で作られたシチューや飲み物の牛乳が添えられている。


「朝から、ものすごいご馳走ね」


 そう、シスターに話しかけると、


 「えぇ、コウジ様が次から次と食材をお持ちくださって、私の知らない料理をたくさん作ってくださいますの。本当に驚きの連続です。」


 私も朝食のメニューの幾つかを、試食させてもらうが、どれも驚愕の美味しさだ。

 あらっ、ポーカー達も子供達と、にこやかに食べているわ。

 でも、その量は試食じゃないでしょう。

 普通の一食より、明らかに大盛りだわ。


 食事の後片付けを孤児達真の皆でしている。 

 年少の子供達も食べた自分の皿を台所へ運び年長の子供達が洗い物をしている。

 この後は、読み書きのお勉強だそうだ。

 昼食はパンではなく、スパゲッティという小麦を捏ねて作る麺だとか。

 毎日、違うソースで、それは驚く美味しさだとか。

 昼食後は年少組はお昼寝、年長組はパン作りだ。コウジ様の言いつけで、日曜日はパン作りがお休みで、近くの河原や丘に出かけ、魚釣りや野外での食事を楽しむのだとか。

 聞いているだけで、わくわくする。


 数日後、コウジ様は、孤児院の裏の土地を畑にするんだと言って、二頭の馬と荷車を引かれてきた。

 いつの間にか、裏の畑に隣接する広い荒地を買っていたのだとか。

 馬に鋤という見たこともない農具を引かせ、見る間に草地を耕して行く。


 川から水を引く小川を幾本か堀り、わずか数日で農地に変えてしまわれた。

 それから数日、土地に水を含ませて畑の種蒔きが行なった。

 商人のカルロさん達が手伝いに来て、孤児院の子供達も総出で、わいわい楽しそうに、決まった区画にいろんな種を撒いてゆく。

 もちろん私も手伝ったわ。ただ次の日、生まれて初めて腰が痛くなったのは秘密よ。

 コウジ様には、鋤やスコップの増産とさらなる便利な農具の開発をお願いした。 


「ロッド、コウジ様のお住まいは、どんなところなの?」


 私は街外れのお住まいについて聞いてみた。


「小さな丸太小屋を建てて住んでいます。

 井戸を掘りカマドで瓦を焼いて作り、屋根もできました。今のところ、たまにしか帰っていませんがね。」


 そう言うと、ロッドはおどけたように、微笑んだ。


「二人だけで住んでいるの?誰か女手はいないの?」


 私は、核心部分をさり気なく聞きだす。


「全くの二人暮らしですよ、コウジ兄ちゃんに女の人の助けなんて必要ないですよ。

 家事から何でもできる兄ちゃんには、考えられませんよ。」


 ほっとした。だけど、それは私も必要とされないということ。

 なんだか、安心できる気がしない。


 


 私は、コウジ様にお願いして、料理を教えていただくことにした。

 包丁の使い方から、調味料の入れる順番。

 そんな順番があるなんて、ちっとも知らなかったわ。母上も知らないと思う。


 初めは、ぎこちなかったけど、猫の手ように左手をまるめて、爪に沿って包丁を動かす。

 芋や人参の皮剥き器を作ってくださったので便利で重宝しているわ。そのうち舘でも料理を作って、父や母を驚ろかすの。 


 

 だいぶコウジ様と親しくお話しできるようになったわ。私の計画は、密かに確実に進行中。

 このごろ、毎日、孤児院へ通う私を父と母がなにやら、生暖かい目で見ている。


「コウジ様、私のことはレイネとお呼びください。だって私は料理を教えていただくコウジ様の弟子なのですから、弟子をお嬢様などと呼ぶのは、おかしいですわ。」


 私はさらに一歩、距離を詰めることにした。 

 これだけは譲れないとの。断固とした言い方に怯んだのかコウジ様は了承してくださった。


「そう言うならそうするが、俺の様付けも止めてくれないか?」


「コウジさんとお呼びしても?」


「ああ、それでいい。しかし、子爵達の前では呼べないぞ。」 


「大丈夫です、父も母もコウジさんを特別な方と思っておりますし、じきに慣れますわ。」


 しれっとレイネに言われて、そんなものかと納得してしまう。

 もともと、元の世界では皆平等だし、親しい間柄では敬語など使わないしな。

 こうして俺は、レイネの計略にまんまと嵌められて行ったのだが、この時は知る由もない。


 


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