第6話 ナターシャ孤児院の再建
ボルツ商会の結末を孤児院へ説明しにやって来た。
「シスターもう心配ありませんよ。ボルツ商会のボルツは捕縛逮捕されて、孤児院へ手出しできなくなりましたからね。」
「ありがとうございました、子供達に危害を加える者が居なくなり、ほっとしましたわ。」
そう言いながらシスターの顔は沈んでいる。
「何か、他にも心配ごとですか?」
そう聞いてみると、話してくれたが孤児院の経営は今まで蓄えを切り崩しながら、なんとかやって来たが、もう蓄えも底を着き明日からの食費も工面しなければならないという。
孤児院には、10才未満の子供達が16人いるそうで、シスタ一1人では働きにも出られず、時々近所の人達が食べ物を差し入れてくれるがそれだけでは到底、子供達の食事は賄えないという。
それを聞いた俺は、カルロに頼み、当面の食料を孤児院に提供した。
だが問題は孤児院の収入確保だな。何か手立てを考えなくては。
二日後、俺は荷車にレンガを山積みにして、孤児院へやって来た。カルロのところの三人に手伝って貰い、俺とロッドで運んだ。
そうして、孤児院の中庭にレンガのパン焼きカマドを作った。
一週間後、すっかり渇いたカマドに火を入れ出来栄えを確認すると、シスターと年長の孤児五人に手伝わせて、パン焼きを始めた。
まずは食パンだ。小麦粉を井戸の水で捏ね、パン種と少量の牛乳と蜂蜜を適量加えて日陰に2時間放置する。
その間に中庭の井戸に手押しポンプを取付け子供達でも簡単に水汲みができるようにした。
2時間後、少し膨らんだパン粉を火を入れたカマドに移し、じっくり焼く。
焼き上がったパンを皆で試食した。
「うわぁ〜、美味しいっ。」と歓声が湧く。
それから、子供達にカゴを持たせ、通りに出て通行人達に配り試食をしてもらう。
明日の朝から、孤児院でパンを販売するとの宣伝だ。
試食の評判は上々、値段は半斤で大銅貨2枚(約200円)だ。
一斤は大銅貨3枚にしたから一斤の方が売れるんじゃないかな。
その日は、30斤程のパンの仕込みをして、翌日に備えた。
翌朝、朝6時頃からカマドに火を入れ、パンを焼き始めたが、焼き上がる前から行列ができ始め達ため、これは用意した分だけでは足りないと、シスターと孤児達は大急ぎで追加のパン種を用意した。
初日の孤児院のパン販売は大盛況である。
パンを焼き上がりは一日二回、朝7時と夕方4時とした。シスター達の忙しさを考慮して、其々50斤、売り切れ御免とした。
俺は、最初の一週間だけ手伝ったが、あとはカルロのところから、女性を一人回してもらいシスター達に任せた。
あとは、孤児院の中庭に通じる建物の入口に『みなしごパン工房』という看板を付けた。
皆には、名前の意味がわからなかったようだが、響きが良いと受け入れられた。
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『みなしごパン工房』では、夕方の販売時限定で菓子パンも販売することにした。
野苺のジャムを中に入れ、耳を付け顔を描いた猫パンや蜂蜜をたっぷりと巻いて焼いたロールパンだ。
猫パンの発案者、アーシャのドヤ顔が凄い。
パンの収入ができたことで、パン工房で働く年長組に衛生管理の面から、お揃いのブルーの
作業服を作って着せた。
併せて年少組には、農作業用にも使える赤が基調の可愛い孤児院の制服を着せた。
そして、シスターにも従来の黒いシスター服ではなく、ピンク色のシスター服を用意した。
各々、着替えと併せて二着である。
カルロが服を届けると孤児達は大はしゃぎだったが、一番感動していたのはシスターで新品の服など7年ぶりだと、涙ぐんでいたらしい。
なんとも、シスターの苦労が偲ばれる。
そして俺は、孤児院の再建第ニ弾を発動した。『みなしごパン工房』が始動して三週間、朝夕のパン焼きも定着した頃、俺はボッシュの店で数人分の農具を受け取り、荷車を引いて、孤児院へ向った。
孤児院の裏には小さな畑があったが、その周囲の荒地を買い取って、孤児院の畑として開墾することにしたのだ。
孤児院に行く途中の運送屋で二頭の馬を借り連れて行く。荷車を馬に引かせ孤児院の裏地に着くと、ロッドと二人で馬に鋤を引かせて土を起していった。
「ロッド、大丈夫か? 馬は手綱を右に引くと右に曲がり、両方引くと止まる。
進める時は、手綱をゆるめて大きく揺らしてやるんだ。」
「コウジ兄、とっても面白いよ。馬が僕の言う通りに動いてくれるもん。」
「油断するなよ、馬に蹴られたら大怪我をするぞっ。」
「うんっ、大丈夫、気を付けるよっ。」
ロッドはにこやかに答えてる。だいぶ明るくなった。
連れてきたばかりの頃は、一人で沈んでいることが多かったが、孤児院の子供達に懐かれて吹っ切れたようだ。
それから三日かかって、二町程の土地を開墾した。近くの川から水を引き、何本か作ったあぜ道の脇に小川を作って、畑に水を入れた。
水を入れて一週間程で畑の土も良さげな硬さになり、種蒔きをした。
季節は初夏、大根、人参、キャベツ、ジャガイモ、さつまいも、玉ねぎ。トウキビと野苺も植えた。
ジャガ芋とさつま芋は、カルロに頼み遠方から仕入れたもので、近隣にはないものだ。
そして、メインの小麦は畑の半分。畑の北側の周囲には、栗や銀杏、楓などの暴風林で囲みその内側を果樹園にして、みかんや梨、葡萄、桃の木などを植えた。
残りの野菜畑には、来年から葉物野菜や根菜豆類を適宜植えて行く予定だ。
他にも、畑の一隅にハーブや香辛料を植えている。
いずれは、茸や萌やし類を栽培する小屋を作る計画も温めている。
畑の開墾に付随して、孤児院の脇に鶏小屋と乳業4頭の家畜小屋を建てた。
パン工房で必要とする卵と牛乳を、確保するためだ。
おかげで、年長組の仕事に乳搾りと牛糞、鶏糞の処理が増えた。集めた糞は年少組がせっせと畑の肥料に撒いている。
あと、パンのカマドの余熱を利用して、お湯を沸かし、レンガの水路でお湯を引いて大浴場を作った。シスターと年頃の女の娘用に小浴場も作ったが、孤児達は構わず混浴をしている。
これが俺の『先進農業畑プラン』とでもいうべき、孤児院改革計画の全貌なのだ。
二ヶ月後、人参とキャベツはまだ成育中だが他は収穫ができた。
年少組の孤児達が、草取りや水やりを一生懸命にやってくれたおかげだ。
ちなみに水やりは、小川に小さな水車を設置して汲み上げ、孤児達にジョウロで撒かせた。
孤児院の台所には、塩、胡椒、醤油、味噌、砂糖、油などを常備したが、子供達が野菜嫌いにならないように、マヨネーズを作って野菜の収穫を祝った。
だが、心配はいらなかった。自分達が丹精込めて育てた大根や玉ねぎの野菜を「おいちいっおいちいっ。」と、皆んな笑顔で食べていた。
それから更に二ヶ月後、麦の収穫をカルロ達に応援してもらい、孤児院総出で行った。
天候にも恵まれ大豊作で、パン工房の材料も含め、孤児院で使う一年半分の収穫になった。
小麦と野菜畑の収穫で、孤児院の食糧の自給自足ができる目途がたった。
『みなしごパン工房』のパンの売上で現金収入が得られ、必要な衣服や生活用品も購入できる
ことだろう。
こうして、孤児院の再建計画は一段落したのである。
ちなみに、シスターの名は『ナターシャ』と言うのだと泣きながら、感謝されながら、初めて聞いた。
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