note.60 この仕事ぶり、ミグ・ニムは絶対にただ者ではない。

 女上司の名は、ミグ・ニムといった。

 フレディアくらいの年頃に見える彼女は、なぜこんなところで働いているのだろう。


 深い緑色のキャスケットを被り、膝上の短パンを履いて、ボーイッシュに動きやすさを求めたファッション。恐竜のような尻尾と同じく黒くて長い髪を肩口で二つにわけて、ピンクのリボンで結んでいる。


 きっとオシャレに敏感なティーンの女の子なのだ。というのは、キングの予想だが。


 一日目の今日は一緒に動いて仕事を教えてくれるらしいが、新人のキングに気を配りながら、自身はほうきを手に倉庫のほこりを払っている。


「あの、ミグさん? この荷札、なんて書いてあるの?」

「うー? どれ……ああ、これはシキケール地方のお偉方さんの別荘の住所だねぇ。ここから向こうへ三区画先、別荘の厨房ちゅうぼう行専用のゾーンがあるの。行っといでー」

「うっす!」


 文字の読めないキングにも、それはそれは懇切丁寧に、かつ言葉少なにしてわかりやすく手際よく。だがそれを鼻にかけたりはしない。


「――……なるほど、馬車を使った規模の輸送でしたら……」


 キングが荷物を運び終わってミグの元へ戻ると、なにやら商談らしい。

 身振り手振りを交えて、あつらえの良さそうな服を着た恰幅かっぷくのいいオジサンに説明をする。納得がいったという晴れた表情のオジサンはミグと握手を交わしてから倉庫を出て行った。


「ミグさん戻りましたけど……今のオッサンは?」

「あの人はおセレブ向け宝飾店の番頭さん。ちょっと秘密の相談してたんだー」

「ふーん」


 きわめて朗らかで明るい人柄ながら、おしゃべりな性格ではないようだ。

 それ以上の商談の内容を、ミグはキングには聞かせなかった。


「てことで、ちょっとオーナーのとこ行ってくるからー……その間は午後の運び出しの準備をお願いね!」

「あ、了解っす。何すればいいんだ?」

「はぁーいこちらでぇーっす! どぉーんっ」


 景気よく案内された場所は、区画いっぱいに景気よく木の板が置かれていた。棚に立てかけられたその枚数は、ぱっと見ではよくわからない。どう見ても家を建てるのに使われていそうな長さと大きさの木の板である。


「げ……これ、俺一人で運ぶの……?」

「うー? まあまだ正午の鐘が鳴るまで時間あるし、余裕っしょ! あ、そこにある台車とかは自由に使っていいからねぇ~。じゃ、よろしーく!」

「ぐぬ、行っちまった……金もらうからには、やれるだけやるけどよ……」


 キングとて、一応ガテン系仕事の日雇い経験はそこそこあるし、成人男子の並みの力もある。しかし、それ以前に気付いたことがある。


「待てよ……? これメットとか軍手とかいるよな? どうなってるんだそういうの?」


 この異世界に、労働基準法はあるのだろうか。

 安全基準はあるのだろうか。


 不安に駆られるキングはとりあえず、自由に使っていいという用具置き場を漁ることから始めた。


 ちなみに、午前中はここの倉庫から出荷する物を運び出すことがいちばん忙しいらしい。

 約束の日、時間帯に荷物を乗せた馬車がやってこないのも困りものだが、それ以上に間違えた馬車にうっかり大切な品を紛らせてしまうとクレームにつながる。


 一見がさつで力任せな仕事に見えて、やってることは結構頭脳プレーと連係プレーの連続である。そのためにミグのような現場指揮を執る者がいるのだろう。


 スーベランダンという街の特性上、高価な品も扱う。

 そういった荷物は先ほどミグが話していたような、店のプロがやってきてあれこれとやり取りをすることで、クオリティの高い仕事をしているようだ。


 ということは、キングがただの木の板を運ばされている采配にも意味があったのだ。


 そして気が付けば、正午の鐘が鳴っていた。


「みっんなーおつかれぃ! お昼に行ってきていいよ。午前で勤務終わりの人は事務所寄ってねー」


 いつの間にか倉庫内に舞い戻っていたミグは、あちらこちらに散らばっていた労働者へ声を掛けて回る。へばっている者には水を与え、どんなに汚らしい格好をした日雇いにも肩をたたいてねぎらった。


 前言撤回。

 この仕事ぶり、ミグ・ニムは絶対にただ者ではない。


 なんとか運び終えた木の板の区画はきれいに棚だけになっていた。

 汗だく木くず砂まみれになったキングだけがそこに残り、なぜか妙な悔しさに襲われもだえている。


(こ、こんな上司……今まで出会ったことねえ!!! 何で東京あっちでこんな人に出会えなかったんだ……ッ!)


「キング君? だいじょぶ?」

「う、うす」


 早朝から働かされ尽くしで、拭いても拭いても汗が止まらない。

 キングがそでを肩までまくって、シャツの裾をばたつかせて風を送り込んでいたところに、倉庫内の見回りを終えたミグが黒髪を風にそよがせてやって来た。


「初日の半分が終わったね。ねえねえ、いっしょに昼食行こうよ! 入社祝いにおごってあげるからさ」

「う、うす……? え、いいんすか?」


 久方ぶりに動かした筋肉が、ことごとくきしみを上げているのを、高い陽の暑さとともに感じる。

 日本での肉体労働が甘やかされたもの、と言われたら、異世界ではうなずくしかできない。これはほぼ奴隷労働だ。なにせ電気がない。


 ミグの薄い桜色の唇が下弦にゆがんだ。


「遠慮しないでいいよー、スーベランダン初めてなんでしょ? 物価がべらぼうにヤバいけど、ちゃんと労働者向けの食堂もあるんだ! すんごく美味しいんだから、どーんとミグに任せてよ!」

「そ、そうなんすか。じゃあお言葉に甘えさせていただきやす」


 ちなみに齢二十五のキング、ついぞこんなに親切にしてもらったことは上司に限っては無かった。もしかしたらアタリの職場かもしれない。

 肉体労働が向いてるとはお世辞にも言えない体格のミグに、ぺこりとお辞儀した。


 ただひとつ気がかりなのは、目深に被ったミグのキャスケットの下――目元はさらに前髪を長く垂らして、その容貌は隠されてしまっている。


(顔がわかんねえけど、このミグさんの尻尾はわっかりやすいな。この人もリッチーみたいにじゅうじん……? みたいな人なんだろうな。でも現場上司だし、仲良くしといて損はねえだろ。飯も奢ってくれるって言うしな!)


 労働中の楽しみというと食事くらいしかない。

 キングにとって仕事は音楽に他ならない。労働とは強いられた時間の切り売り。


(っても、このミグさんはすげー楽しそうに仕事するよな……尻尾揺れてるし。ちょっとは俺も見習わねえとなダメだな。よっし! しばらくお世話になるし、失礼がないようにしねえと!)


 脳裏に言葉遣いをくどくど指摘するイデオが浮かぶ。

 彼は彼で人生と音楽の先輩だが、ミグには違う種類の尊敬が芽生えていた。


 


「——って、ここ歩くの正気か……? なんかヤバそうな人相いっぱい立ってるけど……?」


 そうしてミグについてやって来たのは、華やかなスーベランダンの裏側ともいえる通りである。

 細く、入り組んだ、造りだけは同じ白いレンガが敷いてある道。だが、こちらは薄汚くところどころに吐いた唾やすばしっこく駆け回るドブネズミのような生物を見かける。


 ただでさえ道幅が狭いのにたむろするキング曰くヤバそうな人相の人々は、何が目的なのかこちらをジロリ、ジロリと見遣っては舌打ちをしたり薄気味悪く口の中で笑っていた。


 日本にはここまであからさまに治安が悪い場所はさすがになかった。


「だぁーいじょうぶだって! どーんとミグに任せて!」

(ホントかよ)

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