note.56 (そう、この席は私じゃなくていい)

「キング殿には関係のないことです。王室のことですから」


 辛うじて敬称を忘れなかった己を褒めたい。そんな衝動に駆られるほどに、ジギーヴィッドのキングに送った視線はえとしていた。


「確かに俺には関係無ェけどよ、俺のファンが目の前で不安そうな顔してんのは見てらんねえんだよ。フレディアの話も聞いてやったら?」

「なっ……」


(何故……この僕がこんなどこの馬の骨とも判らぬ男にフレディアのことで物を言われなければならない? フレディアと僕は幼馴染おさななじみ、彼女のことは僕が一番理解している……目をかける暇もない実の父親である陛下よりも、ずっと彼女を見ていた季節は長いはずだ。それなのに――この男は!)


 当のフレディアは、ジギーヴィッドよりも高い位置にある瞳に見た事もない視線を送っている。否、あれは親愛の眼だ。


「わ、私がいつ貴男のファンになったって言うのよ……!」


 言葉ではそう表すが、表情が物語っている。


(……いかん、公私を混同しては。私はマーキュリー王直属の騎士団長、そしてこの度はフレディア王女の身辺警護を務める身……私用は排さなくては)


 熱くなり過ぎていたこと戒めて、改めてフレディアを見据える。彼女の横顔は知ったる少女と少々違って見えた。貴き血筋のエメラルドの瞳にジギーヴィッドは映らない。こんなにも隣で見つめているのに。


「フレディア様、私もお説教をしたいのではありません。ぜひその高貴な御身を大切にしてほしいのです」

「しつこい。だから何度も言ってるじゃないの、わかってるわよ……ジギーが言う事が正しい・・・ことくらい分かってるの。それでも、私には……っ」


「夕飯お待たせしましたー! 今晩は届いた食材でめいっぱいのおかずを作りましたよ! 今日からお世話になりますが宜しくお願い致しますねー!」


 愛想よくリッチーがぽふぽふ手をたたき、隊士達が待ってましたとばかりに大きな歓声を上げた。

 騎士団隊長と王女の会話はぷつりと途切れてしまった。


 食堂に集まる隊士達にふるまわれた食事は、肉をとろとろ柔らかくした煮込み、薄めの味付けだが野菜のうまみがみ入る塩味スープ、葉物に甘じょっぱいスパイスの効いたドレッシングのモルット風サラダ。大皿には、唐揚げや歯ごたえのいい根菜類と鶏肉の炒め物。

 こういった遠征時の食事は、平時自分達でこしらえる。はらぺこの隊士達はその手間も省け、いかつい男飯とは程遠い彩りの食事にありつけたことが大層嬉しそうであった。


「メリヤール団長、食材を分けてくれてありがとうございます! マーキュリー国王の采配に感謝致します」

「あ、ああ……リッチー殿、食事準備を至極感謝する。そして同じ食卓を囲むことにも」

「いえいえ、僕達がお邪魔したようなもんですし。まあモルットの僕は肉料理なんか作ったことないんで、イデオに任せただけなんですけどね」


 そうはにかみながら椅子に座り、リッチーはあおい髪のイデオを見遣った。リッチーの卓にはサラダとスープだけが取り分けられている。ちなみに小柄なモルットのリッチーの椅子には分厚いクッションが敷かれ嵩増かさましがはかられていた。


 席次はいちばん奥に王女であるフレディアが着き、隣で守護するように剣を携えたジギーヴィッドが座る。その隣に来たのがリッチー、さらに隣がマックス。そしてフレディアの向かいにキング、その横がイデオであった。

 ジギーヴィッドはフレディアの視界に収まるキングをじろりと盗み見、おもむろに立ち上がる。


「国王の下に剣とその貴い命を捧げし同胞の皆、本日の職務も御苦労さまです。宿でご一緒になったリッチー殿の御一行より温かな食卓を作っていだきました。マーキュリー王の広き御心と、大地の豊穣ほうじょう、それから調理をしてくださったリッチー殿達に感謝をささげ頂くように」


 口上を述べるジギーヴィッド。聞きいり共に祈りを捧げる隊士もいれば、早くもカトラリーを手によだれを我慢しながらゴーの合図を忠実に待っている者もいる。


「出穂さんて料理もできるんだな。めっちゃうまそうじゃん」

「一人暮らしの社会人なら自炊できて当然だろう」

「俺できねえけど」

「だからぶっ倒れたりするんだ。健康管理は食事と睡眠からだ」

「ぐぅ……耳が痛い……」

 イデオはキングにだけは生前の話をさらす。この二人だけの気安さがあるのだ。

 こそこそと話している二人には目もくれず、ジギーヴィッドは真っすぐに見つめるのは王女フレディアだ。


「フレディア様、食事の同席をお許しいただき深く感謝を申し上げます。ぜひ我々にお言葉を頂戴できましたらば」


 手を差し伸べ、金髪の若い頭を下げる。

 フレディアはびくりと身を固くしたが、固唾かたずを飲む周囲に気付いて、ジギーヴィッドの手に白くて細い手を重ねた。立ち上がる。


「……えっと」


 立ち上がって見回せば、厳つい男ばかりに囲まれてることがいやでもわかった。彼らが王女である己に従順な目を向けているのは承知している。


(なにを言えばいいのかしら……貴男方は私に何を求めてる?)


 無論、王女であることを待ち望んでいる。

 ようやく失意の自室から姿を見せたかと思えば、御身一つで半島まで脱走した。城まで送還され王からの叱責しっせきを受ければまた謹慎として部屋から出られなくなることが予想された中、えてスーベランダンへ立ち寄って公務におもむくことを父親から達された。

 今、だからこそ、フレディアに王女らしさが備わっているか、彼らは見たいのだ。


(……貴男達は私の中にお父様の娘であることを品定めしたいのよね。私を守るために命を張ろうなんて、嘘。守りたいのは、マーキュリーの安寧、国王の穏当な支配……私自身じゃない。私は、貴男方の中にはいないーーそう、この席は私じゃなくていい)


「……ごめんなさい、少し立ちくらみがして。外の空気を吸ってくるわ」

「フレディア様っ!?」


 ジギーヴィッドのまめだらけの手のひらから、少女が離れていく。


「そ、外へ行くなら、私も同行致します……!」

「結構よ、一人でいい!」


 かかとを鳴らしてボロい板間を、高貴なスカートがあっという間に滑って行った。

 ガチャン、とこれまたオンボロな金属音を立てて、食堂の向こう、宿泊施設の玄関が閉じられるのを全員が聞いた。


「え……?」


 王女が一人で城の外を出歩く。

 こんなことがあっていいのか?


 国王騎士団隊士達はぎょっとした驚き戸惑い焦燥しょうそう入り混じった顔で団長のジギーヴィッドの顔色をうかがう。


 だがしかし。


「フ、フレ、ディア……」


 ガタン、と足腰に力が入らない様子で、もたれるように椅子に座り込んでしまった。

 その爽やかな目元には焦り、絶望の汗がにじんでいる。


「フレディア! おい、何やってんだ騎士団長さん! アイツまたどっか行っちゃうぞ!?」

「……、そ」

「そうだろ!? 早く追いかけねえと!!」


 キングが語りかけるが、フレディアを監督して然るべきのジギーヴィッドはおびえた表情をしていた。


「だ、だめだ……俺には……拒絶されたら、フレディアに、拒絶されたら……俺は……」


 ブツブツと口走り、手、肩は震えている。

 他の隊士はフレディアが目の前で失踪したことと、命令を下さない騎士団長に、状況は混沌こんとんとしていた。


「――――クソっ!」


 猪の一番に飛び出したのはキングだった。食堂を抜けて玄関を駆け抜け、ボロいドアが悲鳴を上げながら閉じられた。


「あっ、キング!? ……行っちゃった」

「ほっとけ。そのうち戻って来る」


 イデオは我関せず、と目の前の食事に手を着け始める。


「戻って来るって……その時は、フレディア様もいっしょだよね……?」

「さあな」


 イデオは静かに食事をしたい。舌打ちをする。

 この食堂はざわめきが勝っている。

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