note.55 「お父さんの……武器、で、宝」

「サレイ殿! 上ですっ、上っ!」


 単独で部屋の外にいたシタニは唯一状況が見えていた。

 くったりと人形のようにしていた子供が、考えられないような身体能力でサレイの腕を一瞬にして振りほどき、壁を蹴り上げ、天井に張りついたのだ。


「なっ!? いつの間にあんなところ……!?」


 まるでアシダカグモのように天井から獲物を見下ろしている。こちらへの間合いを測っている。ただの子供ではない――!


「お父さんのギターに触るナ……!」

「おとうさんの、ぎたー?」


(先程から子供が言っている”お父さん”というのは父親ではないのか……!? だって、コイツはヒトではないではないか!?)


 サレイはマーキュリー国王直下の騎士団に取り立てられる前、憲兵であった。サレイ家の者としては異例の、頭脳派としての出世。親近からは「サレイ家の男のクセに、剣一本で身を立てられない」「口ばかり達者でいざとなったら使えない」などとさげすまれてきた。

 しかし憲兵として一隊を監督する身分になり、サレイは学んだ。敵は自らの剣を振るうより先に抹殺すればいい。


「ヒィッ……!」


 黒い化繊のギターケースに手を掛けていた隊士の手元に、熱線が走った。九死に一生のタイミングでひっこめた手袋の端のみを焦がす。


(俺は、敵国への警護に当たったことも進軍したこともない。魔物討伐に駆られる鉄砲玉のような使われ方も退け、うまくやってきた――この子供、否、化物! 出会ったことが無い類……どう退ければいい!?)


 感じたことのない汗がサレイの額を伝い落ちた。


「サ、サレイさん……っ!」

「う、うろたえるなッ!! 相手は一人だッ!!」


 部屋の中の三人は、直ちに臨戦の体勢を整える。


「かかれぃッ! 化け物に容赦はするなァ!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ……」


 ある者は床を蹴り、ある者はベッドに乗り上げ、向かったことのない化物に取り掛かった。


「僕の、お父さんの、ギター……――!」


 腰に下げた剣を手にした四人の隊士は、天井の標的をにらみ上げていた――はずだった。

 またしても瞬時に消えてしまったのだ。


「なっ……!?」


 だが今度はすぐに姿を捉えられた。

 なぜなら山にされていた荷物の横で、幼い少年はギターケースに抱きついて身を固くしていたからだ。それはちょうど、小さな子供のプレゼントに大きなくまぬいぐるみを買い与えた時のような、健気けなげさ、純粋さ……大切なものを必死に奪われまいと、愛そうとしている姿だった。


(な、なんなんだ、この子供は……? なんなのだ、一体)


 マックスの様子に牙を抜かれたサレイは、思わずに声に出していた。


「それほどまでに……一体それはなんなのだ、ぎたーというのは?」


 今目の前にいるのは、確かにただの子供だった。だがその子供を化物に変化させるほどの、その黒い物体は何であるのか。そちらの方が気になってしまった。


(こんな小さな子供が身を挺してまで……彼らは何者なんだ? 彼らは何を運んできたのだ?)


 サレイの脳裏、邸宅に妻とともに置いてきた息子がマックスと重なる。

 息子がまだ立てないような齢に与えたぬいぐるみを、剣の稽古を始めるために捨てようとした時のことを。息子は大きな瞳を真っ赤にして涙を浮かべて初めて父親に抗議した。


「……お前ら、剣を下ろせ」

「サレイさん!?」

「言う通りにしろ!」


 武装解除を命じられ、釈然としないながら隊士達は剣をさやに納めた。


 サレイは膝を突いて屈み、未だ床に寝かせたギターにしがみついたままのマックスにもう攻撃しない意図を伝えるように、両腕を広げる。

 

「お前……君、名前は?」

 

 マックスはゆっくりと顔を上げた。


「僕は、マックス。お父さん、呼んでくれた。僕は、マックス」

「マックス、か。その……もう君の大切なものを奪ったりしない。すまなかった」

「しない?」


 サレイは大きく、二度頷いた。

 やっとマックスは体を起こして、正座するような形でサレイと対峙たいじした。


「わかった。僕も、建物、人、壊さない。守る」

「聞きたいのだが……その、ぎたーとは何だ?”お父さん”の得物か? 財宝か?」

「お父さんの……武器、で、宝。とても、とてもだいじ」

「武器であり、宝?」


 てっきりぎたーという銘剣か何かだと予想していたサレイは復唱し、マックスを見つめた。目の奥、火が揺らめいている。


「武器って……! サレイさん、やっぱりこれは」

「待て。旅人なら武器の一つや二つ持ってなければ町から出ることもできない世の中だ。ことは大きくしない」

「しかし、我々はマーキュリー王女を護り、此度こたびの大会の安全を……」


 子供と対等に会話しようとするサレイを初めて見る隊士は、狼狽うろたえながらも自分達の意義を唱えた。危険分子は見つけ次第取り除いた方がよい。

 だが、当のサレイは当初この部屋に乗り込んだ際の烈火を忘れたかのように、穏やかな表情をしていた。


「我々が護るように、この少年――マックスも大切なものを守っているんだ。一人で」


 立ち上がりマックスに背を向けたサレイは、隊士達が唖然あぜんとする中部屋を歩いて出て行った。ちゃきちゃき、と鋼の擦れる音が徐々に遠ざかる。


「ま、待ってくださいよサレイ殿~っ!」


 現場に取り残された三人の隊士達は、同じく剣のさやを鳴らしながらサレイの後を追った。


 階段を下るごつごつした足音を耳で感じなくなってから、ぺしゃりとお尻を床につけて座り込んでいたマックスは、小さく自分の任務完了を唱えた。


「守った……」


 ロストテクノロジーであるホムンクルスの本能が、警戒態勢を閉じた。


 否、それは以前より――。

 

 マックスは静かにまぶたを閉じる。


(僕がリッチーのコマンド、実行しようとした時……僕の中、何かが邪魔しようとした)


 外界から情報をシャットアウトすると、ちろちろとくすぶる火が感じられた。

 今それは小さいが、意図せず大きくなるタイミングがある。

 抑えきれない衝動――コマンドは、破壊スル。


「……ううん、僕、守る、みんなを……壊さなイ」


 マックスの回路はこれまでまっすぐだった。

 考えたことはすぐに手足に伝達され、どのような生物よりも的確に、正確に動かすことができた。寸分の狂いもなく、目前の標的を自分の想像の通りにすることができた。


 しかし、違和が残る。


 相手がたまたま引いたからよかったのだ。

 排除スル――何かがリッチーの指示を上書きしようとした。

 もしそちらを優先していたら……。


「これは、バグ?」


 マックスは己の胸に聞いてみる。

 けれども心の音などホムンクルスに元から無いのだ。




    [▶▶ other track   ▶ play now]




 夕飯の刻。

 スーベランダン中心街から外れた庭園を越えた向こうに位置する簡易宿泊所には、筋骨隆々の男ばかりが二十数名、食堂に集まっていた。


「メリヤール隊長、点呼が完了しました」

「はい、ご苦労様です」


 マーキュリー国王直属騎士団のさらに精鋭が集合しているのは、一人娘であり王女のフレディアを護衛するため――――だったのだが、何故か不満げな本人が隊長・ジギーヴィッドの隣にちょこんと席に着いている。


 フレディアとジギーヴィッドがついたテーブルは他の隊士達とは別で、長い木製の簡素なテーブルの一端。空席のそこらには、キング達を座らせ懇談をはかるつもりで、配膳の最中は二人だけが並んで知る。

 ただ、ジギーヴィッドからすれば単なる懇談ではなく、フレディアのバザールでの様子を知るための手段だ。


「フレディア様、少しよろしいですか?」

「……わかってるわよ」


 食事の時間はさすがの騎士もよろいを脱ぐ。帯刀はしたままだが、軽装になったジギーヴィッドは金髪の凛々りりしい美青年然として、フレディアと並ぶとその美男美女ぶりがよくわかる。

 だが、貼り付けたような笑顔の額には青筋が浮いていた。


「いいえ、わかっておられません! もう少しご身分をお考えになって行動されてください」

「だからっ、わかってるわよ! こうしてちゃんと大道芸大会の視察の公務に来てるじゃないの!」

「じゃあ何故王室指定の宿から従者の目を盗んでまで、おひとりで街を歩かれてたんですか? 危険なのはご承知いただけておりますか?」

「危険っていったってマーキュリーきっての高級リゾート地よ? 人目だって多いだろうし、警備だってそこら中にいるし」

「警備は私達がするんです!」

「ぅ……でも」

「でももだってもありません。そろそろご自覚をしっかり持たれてください。貴女あなたはマーキュリー国王位を継ぐただ一人の王女なのですよ?」

「……っ、でも――!」


 二人のやり取りは食堂全体に丸聞こえだ。指摘することは勿論、口を挟んだりはばかったりすることも出来ず、王女の次の言葉をどの隊士も耳を澄ませて待ち構えている。


「わ、私だって……」


 そこへ、ゴン、と年季の入った木製のサラダボウルが置かれ、フレディアの言葉を遮った。


「おい、ジギーヴィッドさん、その辺にして飯にしようぜ?」


 ジギーヴィッドが視線を上げると、そこには少々憮然ぶぜんとした表情の旅芸人が見下ろしている。キングだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る