note.58 「ただ、帰る場所がある……それならどこへでも行けるでしょ?」

「ジギー……!? どうしてここへ?」


 フレディアは驚きのあまり、ガゼボのベンチから立ち上がった。

 しかし、喜びの表情ではなく、ここでのジギーヴィッドの登場を怪訝けげんに思っているようだった。キングは自分の告げ口ではないことを示すために、ぷるぷると首を横に振った。


「駐屯する場所の周辺を把握するのも、戦略のうちです……馬を走らせていた時に、ここを見つけて、貴方がきっとお気に召す花園だと覚えていたのです。……そこの男の大声も聞こえはしましたが」


 息を弾ませたジギーヴィッドは、己の背筋を叱咤しったするように表情を引き締め直していた。


「フレディア様、お話がございます」

 

 食堂ではよろいは着用していなかったが、もしものためにわざわざ装備を整えてからこちらへ向かったのだろう。馬を下りた時に兜だけは脱いで走ってきた後が前髪に見えた。


「あの、さ……もしかして俺、おじゃま?」

「はい、邪魔です。王女を見つけていただいたことには礼を申し上げますが、いささか貴男は立場を理解されていないようですね」


 ギッとにらまれて、キングはやれやれと肩をすくめる。そういうことだったか、と。


(フレディア、お前は独りじゃあねえぜ。俺がいなくても大丈夫だ)


「ってことみてえだから、後は騎士団長さんとよくお話しな、フレディア」

「そ、そんなこと言われても……話すことなんて無いわよ。キングはどこ行くのよ?」


 ガゼボから夜の花園を出ようとする背中にフレディアは焦ったような声で追う。


「俺は飯に戻るよ。腹ペコだし」

「それなら私も……」


「フレディア様」


 男について行こうとしたフレディアの腕を、一介の騎士が強く握った。フレディアはぐっと引き寄せられて、ガゼボの屋根の下に戻された。


「ちょ、ちょっとジギー……!?」

「キング殿、花園の外に私が乗ってきた馬があります。王女を確保した謝礼として特別に乗って帰ることを許可いたします。それで帰路魔物に襲われる危険は少なくなるでしょう……ありがとう」


 言葉とは裏腹に、その眼光は抜き身の刀のように冷え冷えとして、抱き寄せたフレディアを隠すように仁王立ちしている。


(あのなー、俺丸腰なんだけど……まあいっか。おじゃま虫は退散退散)


 今度こそ、猫背気味にすたこらとキングは花園を出ていった。

 その背中が闇に見えなくなると、ようやくジギーヴィッドはフレディアの肩から手を離した。


「ひ、ひとりにしてって、言ったのに……なんで?」


 フレディアは赤らんだ頰をガゼボの影に隠しながら、責めるようにジギーヴィッドをめつける。

 細いその肩に添えられていた感触を思い出すと、言葉が暴走しそうだった。記憶の中の彼の手のひらとは違う。


「……もうひとりにはできません。私は――いや、俺は貴方からもう離れないと決めました」

「っ……!」


 フレディアはくしゃっと眉を寄せた。エメラルドの瞳が潤んで揺れた。


「どうして……いまなのよ……っ」

「すみません。こちらも騎士団長就任までいろいろと立て込んでいて……」

「そうっ! みんなみぃーんな忙しいものね! お父様もジギーも! 本当に大切なものより、仕事の方が大事なのよ……!」

「そうではありません! 大義をなすためには順序が必要だったのです。それに、フレディア様のお父上、マーキュリー王はその義を尽くすために、常に心身を砕いておられます」

「そんなことは、貴男に言われなくても知ってたわよっ! 本当は……――お母さまのお葬式でお父様が他国に出掛けなければならなかったこと――一刻も早く、お母様の祖国にマーキュリー王国との関係を示さなければならなかったこと……故マーキュリー王妃の祖国への王国からの親善は切れることはない、だからお父様自ら騎士団を率いて、虎視眈々と侵攻を狙っていた隣国への牽制けんせいのため、早々にった……それが政治なのよね?」


 フレディアはまくし立てるように述べると、ジギーヴィッドの顔色をうかがうように見上げた。ジギーヴィッドは目の前のか弱い少女よりも苦しみをたたえた表情で、重たくうなずいた。


「だから僭越せんえつながら厳しいことを申し上げたのです。フレディア様は王妃様の祖国との絆で、象徴である……マーキュリー王国の崩落を望むような輩に拐されたりされたら大変なことになる」

「それも政治なのよね……?」


 のぞき込むフレディアのエメラルドの瞳はスーベランダンの海よりも深く、静かで、しかしながらいつあふれるかもしれない危うい揺らぎを持っていた。

 その眼差まなざしに耐え切れなくなるのは、ジギーヴィッドであった。


「フレディア王女様、私にご命令をッ――!」


 まるで崩れ落ちるように膝を突き、月のように輝く金髪の頭を垂れた。


「私の家はマーキュリーの歴史とともに歩んできた。マーキュリーが地図から消えるとき、私達一族のその道は王国と違えることは絶対にないだろう。だが……フレディア! 貴方のいない国を守っても俺に大義はないんだ……! 悲しむのもいい、苦しみもつらさも、優しい貴方の部屋に閉じ込めようとするいじらしい心がそうさせたことにしよう。貴方の顔を見られない日々も、俺は許容する。だけど、マーキュリーを捨ててどこか遠くへ行くことはもうしないでくれ……俺はメリヤールの人間だ、マーキュリーから離れることは出来ないんだ。もう、俺の知らないどこかで独りになろうとしないでくれ……! 俺を、このジギーヴィッド・ゼス・メリヤールを――貴方の騎士として永遠に置いてくれ……!」


 血を吐くような幼馴染おさななじみの独白を目の当たりにして、フレディアは気が遠くなるような気持がした。


(わた、しは……独りになった心を慰めるために、私自身の身体も、独りにしなければあの時は耐えられないと思った……でも、独りになったのは貴男だったのね、ジギー……)


 その頃に城内を歩く子供は、兄弟姉妹が生まれなかった王家の一人娘であるフレディアと、父について仕事を学ぶため城内入りをしたジギーヴィッドだけであった。


 二人は主従関係にありながら、友達のようにころころと笑っていた。

 そしてそれを目を細めて見守っていたのが、フレディアの母親であり、マーキュリー王国の母でもある王妃だった。


 フレディアの幼少時の学習に、ジギーヴィッドも付き合い字を書き、ダンスの相手をした。逆にジギーヴィッドの剣の稽古の時には、危ないからと言っても聞かないフレディアがほかの隊士とともに声援を送っていた。


 そんな淡いまばゆい時代は長くなかった。

 その転機となったのが王妃の病死であった。


(あの日々を失ったのは、みんな同じ。もう戻らない時を嘆くのは、辞めないといけない。わかってる……)


 自分より大きく強い男がこうべを垂れている。

 しかしフレディアには、転んだ痛みに耐え、涙をこらえて唇をんでいるあの頃の少年と寸分違わないように見えた。


(貴男は大人になったのでしょうね、騎士団の隊長として仕事を任されるくらいに――私も、貴男のように大人にならなくては……! 今の私には、悲しみを脱ぎ捨てる勇気がある! 勇気をくれたのは――そう、あの男の音楽!)


 フレディアはすっと花園の夜気を吸い込んだ。

 母親が見守る庭と、同じ香りがする気がした。


おもてを上げなさい、ジギーヴィッド・ゼス・メリヤール騎士団隊長。私、フレディア・マーキュリーが第一王女として最初の命を与えます。よくお聞きなさい」

「――!? フレディア……?」


「私とともに来なさい」

「ど、どこへっ? 俺は、仕事を、メリヤール家を離れることは出来ない……!」

「たった今から、私が貴男の国になる――祖国になる。私のために働き、命を燃やすの! 私のために仕え、剣を振るって! 私を守って!」

「はっ、その覚悟はもとより! ――しかし……貴方はマーキュリーの一人娘ですよ? 行くところなど……」


 フレディアは笑った。

 ジギーヴィッドは、初めて十七になった少女の心からの微笑みを見た。美しいと思った。


「そうよ、どこにもない。ただ、帰る場所がある……それならどこへでも行けるでしょ?」




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「大道芸大会の参加料が金貨二十枚!?」


「って、どうなの……?」


 イマイチなキングの反応。

 リッチーは食べ終わったサラダボウルに顔を突っ込みそうになった。


「だからさあ……銅貨十枚で銀貨一枚分の価値。銀貨十枚で金貨約一枚分の価値なのね」

「約?」

「世界情勢が不安定ゆえに、レートが日々変わってるということだろう」


 子供を諭すように以前と同じ説明をするリッチーに被せてきたのはイデオ。イデオも夕食は終わっている。


「そうなのー? じゃあどうすりゃいのさ?」


 理不尽だとぶうたれるキングは、もう残っていない唐揚げの皿を恨めしそうな目を向けてスープをかき混ぜた。


「僕が行ってきた役所の感じだと、金貨二十枚稼いで払える芸人が来てね、って雰囲気」

「はあー出ましたよ……そういうウエメセなやつね」

「いじけないの! ……でも現実的に、僕達はそんなお金持ってないわけで……明日からめちゃくちゃ働くか、もしくはーー」

「もしくは?」


「出場しない選択肢もある」

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