note.51 その兜を脱ぐ。金の髪が木漏れ日に透ける。

 天使族は身が軽い。空を自由に飛ぶために。

 だがエール・ヴィースは地に落ちた。翼を失った天使である。


 そして、その身体を有する葛生出穂かつき いでおは、何故なにゆえエール・ヴィースが死して翼を失ったのか知らない。知らないから、自らの脚で庭園を跳び、軽やかに道なき森を駆け抜ける。


(リッチーの言う通り、剣でやり合う音が聞こえる。音は二人……人同士だな。魔物の気配はしない)


 一分も行かぬうちにイデオは速度を緩めた。

 木々の間から剣戟けんげきの主が垣間見かいまみえる。身を低くして、その様子をうかがうことにする。


 幹の陰からそっとのぞく先に、白鳥のような鳥が広げた翼でゆりに似た花を抱いているエンブレムの入ったよろいまとって汗をかいていた。取り囲む中心には二人が真剣で斬り合っている。


(あのエンブレムは、マーキュリー国王直属の騎士団……!? かぶとは取っているからして、稽古の最中なのか? しかし何故なぜこんな場所で……)


 稽古だと分かったのは殺気立っているのが中心の二人だけだから。残りは大きな声で発破を掛けたり、横で筋トレや素振すぶりをしているのが見える。水をんだバケツで顔を洗っている者もいる。

 バケツがあるということは井戸も近くにある。よく周囲を見遣れば稽古をしているらしいその場所は森の中にありながらひらけていた。薪が積まれた小さな小屋が少し離れたところに見え、そして井戸と来れば。


(もしかして、案内所で言っていたコイツらがやんごとなき人の、っていう――)


「あ、こんなとこにいた! 何やってんだよ出穂いでおさん!」


 気配を消すことに集中していたために、イデオはビクッと肩を揺らしてしまった。ぐらついた足の下で、小枝が音を立てて折れる。


のぞき?」

「……クソが」

「俺に怒ってます!?」



 背後から聞き慣れたやたらとデカい声は追って来たキングだである。舌打ちをしてイデオは立ち上がった。これ以上隠れていても仕方がない。当たり前に気付かれた。

 金属のれる音をさせながら、大柄な男達がこちらをにらみつけやって来る。


「うわ! すげえ! 中世騎士みたいなん来た!」

「お前は黙ってろ、ややこしくなる」

「やっぱ出穂さん怒ってるよね!?」


 キングいわく中世騎士の中の一人が、敵意を隠すことなく脇の剣を抜いた。その刃はイデオの端正な顎を映す。


「おい貴様共……オレ達が何者か分かっての偵察だよな? このマーキュリー国王直属の騎士団を相手どろうとは、めた頭数だな? ンー?」


 だが、不敵にイデオは笑う。


「切っ先が揺れてるぞ? 勤務中に深酒か?」

「ッ、貴様……オレを誰だと思って……ッ!?」


(おお……これが、つわものどもの戦いってヤツか! カッコイイな出穂さん!)


 緊張感の無い表情のただのミュージシャンが交じっていることを除けば、一触即発、といった雰囲気である。


 しかしその間に割って入る若い男がいた。


「よしなさい、サレイ殿。一般人に剣を向けてはいけない」


 サレイと呼ばれた隊士を制止したのは、イデオが陰でうかがっている時にはいなかった人物だ。よろいかぶとに同じくマーキュリー国王の紋章をかたどられている。そのかぶとを脱ぐと金の髪が木漏れ日に透けた。落ち着いた態度と裏腹に、凛々りりしい青年の顔が現れる。


「っ、メリヤール隊長!? いつこちらに!?」

「つい先程到着した。仕事を終えたので宿泊所に入ろうとすれば、こちらから声が聞こえたので参った次第だ。どうしたというのだ?」


 今まで殺気立っていた騎士団の男達は一斉に膝を突き、メリヤールという男にこうべを垂れた。


「こ、この者達が我々の訓練を盗み見ていたので怪しいと思い尋問をしていたところでありました……!」


 金髪の男は片眉を上げ、それからキングとイデオを品定めするように横目で観察した。


 メリヤール家はマーキュリー国内では随一の家柄を誇る戦士の家柄だ。代々マーキュリー王家に仕え、支え、王国とともに歴史歩む名門である。

 しかしそんなもん、地球出身の二人は知ったこっちゃない。


 キングがきょと、としていると、つかつかと歩み寄って来る。


「うちの隊士がとんだ御無礼を。私はマーキュリー国王直属騎士団隊長、ジギーヴィッド・ゼス・メリヤールと申します」


 手袋を外した武骨な手を差し出された。大きなてのひらは皮が厚く、まめだらけであった。

 いつまでってもイデオが反応を示さないので、代わりにキングが握手に応じる。


「隊長! そんな輩に敬意を払うなど……」

「君達こそ、そんな奴ら・・・・・に接近を許すなど訓練が足りないようだな? 私が来たからにはしっかりとしばき上げてあげよう」

「っ、は! 何卒なにとぞお願い申し上げます……!」


 しゅんと項垂れた大柄な男達は、ジギーヴィッドの号令で宿泊施設の方へ駆け足に戻って行った。


 はっきり言ってこういった体育会系ノリはキングは苦手だ。強そうな恰幅かっぷくのいい男達が観光ガイドに載っていそうなよろい姿で闊歩かっぽしているのにも、見慣れて飽きてきた。


「あのさ、その、隊長さん?」

「なんですか?」

「マーキュリー国王のなんちゃらってことは、フレディアがいつこっち来るか知ってる?」


 次の瞬間、キングのあごにイデオの鉄拳が入る。


「……メリヤール隊長殿、俺達は大道芸大会に出場するためにスーベランダンにやって来たんだが」


 ボーカルが舌んだらどうするんだ、といううめきを足元に聞き流しながら、イデオはしれっと話をすり替えた。


「ふっ……あっははは……いや、失敬……ふふ。ああ、大道芸大会出場者の方でしたか」


 先程までの威厳に満ちた様子とは打って変わって、年齢に見合った笑い方をする。部下たちを下がらせたからこそ見せられる顔なのだろう。もしかすると、本当はキングよりも若いのかもしれない。


「おーい! キングー! イデオー!」


 またしても遅れてやって来た聞き慣れた声は、マックスとはぐれないように手をつないだリッチーだ。


「うぐぐ……、遅かったなリッチー」

「遅かったなじゃないよもー! 大変だったんだから! マックスが変形しようとするから止めてたら……」


 ここまでの苦労を語ろうとして、リッチーは切れた息を整え顔を上げる――が、その先は飲み込まれた。目の前に国王直属の騎士がいれば当然である。


「ど、どういう状況……?」


 目を白黒とさせてマックスの背中に隠れてしまった。


「リッチー……? ひょっとして、貴方あなたがフレディア様とバザールで行動を共にしていたモルット族の?」

「え!? どうしてそのことを知ってるの?」


 小動物のようにおびえていたが、ジギーヴィッドの言葉を聞いてリッチーがひょこひょこと出てくる。


「フレディア様から、旅をしているモルット族がいると聞いていたもので。珍しい話でしたので記憶に残ったのです。申し遅れましたが、私はこの度の大道芸大会でフレディア様の護衛を任されている者です」

「そうだったんですね。びっくりしちゃった」

「と、すると……」


 期待の視線がジギーヴィッドからマックスに注がれる。


「いやいや、キングは俺な!」

「ああ、失敬。貴方がキング殿ですか、なるほど……」


 目線はキングよりも低いので、イデオの一撃から文字通り立ち直ったキングは、意図せずジギーヴィッドを見下ろす形になる。


(お、俺が”キング”でなんか都合悪いのかよ……?)


 それでも騎士として鍛えられた精神と肉体からじろりとした冷えて湿度ある視線を向けられると、キングは思わずたじろいだ。


「……まあ、いいでしょう。折良く我々われわれの待機する宿泊所にまだ空き部屋があります。ご案内しますので、ぜひバザールでのお話などお聞かせください」

「お、おう。ありがとう?」


 お礼を言う。お礼を言ったが、セリフに反してすぐさまきびすを返してしまったジギーヴィッドの態度にいささかの違和感を覚えて、疑問形になってしまった。


丁度ちょうど良かったね。お言葉に甘えようよ」

「んー……リッチーがそう言うなら、そうするか」


 何だか釈然としないものの、これから先が長いことを考えれば宿が決まったことはめでたい事だ。

 キングはマックスとイデオにも目でお伺いを立て、ジギーヴィッドのきしむ足音に従った。

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