note.30 幸せだった昔は、どうしてこんなにも残酷なのだろう。

 フレディアの母親であり、国王の后であり、国民の母であるその女性は、娘にだけ見せる笑顔がある。


「ため息を一回吐く度に、幸せを運ぶ精霊が翼を失ってしまうのよ」


 それは彼女が嫁ぐ前から聞かされてきた、言い伝え。

 

「いつも微笑みを絶やさずに、目を輝かせ続けられる生き方をしなさい」


 まだ母のスカートにしがみつくことが許されていた頃、フレディアはそんな話をよく聞かされていた。


「だってお母様! ばあやがアレもダメ、コレもダメって怒るの! これじゃあ私、何もできないわ」

「ふふ……フレディアのお転婆さん。この国を治める王女になるのなら、違う日々の楽しみ方も見つけなければね」

「窓から木に飛び移ること以上のスリルと面白味のあることなんてあるかしら」


 この時分のフレディアは、公人である身分など自覚もないし、そんな生活を退屈に感じていた。


「お母様、私がお姫様って本当?」

「なあに、いきなり。貴女あなたはマーキュリー王国のお姫様よ」

「そうしたら、お母様もお姫様?」

「私は……そうね、お父様のお姫様だったかもしれないわね」

「お父様はどうして、私にはお姫様って会いに来てくれないの?」

「お忙しいのよ。そして、お姫様の貴女も忙しいのよフレディア」


 母は小さな小さなフレディアの体を抱きすくめた。


「これから沢山たくさんのことが貴女を待っているわ。退屈なんてしていられないくらいに……」


 甘い香りのする我が子の髪に鼻をうずめる。フレディアはくすぐったそうに身をよじって、母親の膝の上に乗った。


「私が本当にお姫様なら、毎日を晴れにしてお外で昼食をとることにするわ! そして、お父様も呼んで城のみんなで鬼ごっこをするの。ばあやも入れてあげてもいいわ。あ、でもお母様はまた具合が悪くなったらダメだから、私が実のなる大きな木を植えてパラソルを立てて……お好きな紅茶を入れてあげる!」

「フレディアはやさしい子ね。素敵すてきな夢だわ」

「夢じゃないの! これはお姫様の命令なんだから!」

「そうね、ふふふっ……」


 幸せだった昔は、どうしてこんなにも残酷なのだろう。

 幼いフレディアはこのひと時が、自分にとっての何になるのか、まだ理解できないほどに小さかった。


(お母様は私を置いて、逝ってしまった……私の戯言たわごとや夢なんかすべて置き去りにして。お父様はずっと忙しいし、国も世界も百年前の異変からずっとめちゃくちゃのまま……最悪よ。そして私はよく知らない男を夫にし、ちんまりと椅子に座って一生を過ごすのだわ。……本当に、最悪よ)


 フレディアの自我は、嬉しさを隠そうとしない幼い自分を見つめていた。子供用のベッドに腰掛けて、星明りのように優しい声で語りかける母親の首にすがって笑っていた無邪気な自分を。


(お母様とちゃんとお別れしたかったのよ、本当は。生前にも家族そろうことなんてほとんど無かった。お葬式の途中でお父様は隣国に出掛けて行ったわ。緊急のお仕事って言ってたけど、お母様と御挨拶あいさつするよりも大切な事って何? 私も国民のために公務を任されたら、お父様のような人間になるの……? 最悪だわ)




「――――私、なんで生きてるの……」


 王女の閉じた睫毛まつげは、震えながら目尻を透明な感情でらした。彗星すいせいのように、その軌跡はついぞ消えてしまった。


 遠目に見えるモルツカーン山脈は、既に闇の中に輪郭を隠す。

 日が暮れたバザールではあちらこちらで火をく旅人が一日の疲れを忘れようと、食事や酒を共にして仲間と談笑に興じていた。


「寝言言ってますね? 何の夢を見てるのでしょう」

「そろそろ起こしてあげよう。起きて、陛下ー」

「リッチーも段々扱い雑になってきましたね。陛下と呼ぶ割には」

「ここに居たらある程度はしようがないよ……フレディア様ー?」


 カレンは自身の旅を続けるための準備を始めていた。リッチーと話しながらでも、視界が悪いとは思えない程に大剣の手入れを的確に行っている。

 その横では、キングが温かい湯を口の中に含んでゆっくりと飲み下していた。喉を温めるためだ。

 それぞれがこれから迎える夕時に向けて前を向いている。


「んぅ……あら、私寝ちゃってたのね」


 その頃に王女フレディアが昼寝から起床した。

 固い地面で寝ていたはずなのに、王室のベッドで眠った時よりもまぶたが軽く感じて、控えめに腕を上げて伸びなどした。


「おはようございます、フレディア様。起きたところで申し訳ないのですが……」


 リッチーが言い辛そうに言葉を濁す。呑気のんきに目をこすっていたフレディアは、途端にひくっと肩を引きらせた。


「待って! もう少しっ、もう少しだけここに居させてくれないかしら!? 邪魔になるのはわかってるわ、でも――っ」

「いえいえ、追い出そうとかは思ってないんです。えっと、そこは有料席にする予定で……」


 今朝リッチーが言っていたように、今夜は作戦がある。

 近くに座って歌を聞きたいなら席料を取る。ただしワンドリンク付き。後ろの方で立って聞いたりするなら無料。曲が終わるごとにお金を貰えるようにMCに一工夫する。

 フレディアが昼寝に陣取っていたところは有料席としたい場所である。キングはそのままでいいと言うが、リッチーは少しでも有料席は数がある方が良いと考えていた。焚火の周囲をそうするにしても、半周分くらいはキングとチューナーなどの機器、カレンが座ることになる。


 フレディアがこの世の終わりのような顔色をしているのを横目にしていたキングが、突然ぶっきらぼうに横槍よこやりを入れた。

 

「リッチー、フレディアはサクラでそこに置け。見本として置いとくんだよ」

「なるほど、それはいいかも!」


 リッチーは確かに、と手をたたく。

 昨日来てくれたお客さんも、突然の料金システム変更に戸惑うことはあるだろう。先にお手本として誰か客がいるなら、それで納得してくれることも考えられる。


「そうしたら……フレディア様、こちらにお掛けください」


 高貴な身が夕暮れに冷えないように掛けていたタオルケットを畳んで、フレディアの席として草葉の上にリッチーが広げた。


「私、まだここに居ていいの……?」

「もちろんです。その代りなんですが、キングの歌を聞いていってくれませんか?」


 聞きなれない言葉に、フレディアは眉根を寄せて首をかしげた。

 それを見てキングががっくりする。


「アンタが寝る前も俺歌ってたんだけど」

「寝る前って……ああ、何か大きな声で騒いでたやつ? 何かの呪術かと思ってたわ。それがうた・・?」

「呪術ってオイッ!」


 異世界の国代表がこの様子だということは、昨晩の客の反応も、おそらくそういうことなのだ。他人の感情を操る奇術か呪術か、怪しい心得をもった芸人だとキングは認識されていたのかもしれない。


「今度はギターも弾く。弾き語りだ。俺達はそれで路銭を稼ごうと思ってる。それから――フレディアも元気にする」


 宣誓した。

 己の技術が、種も仕掛けも無い、ただの音楽であると。

 どのくらいが通じたのかは、まあ今晩結果になるはずだ。


 フレディアは母親が亡くなってから、進んで外に出ようとしなかった。現代でいうところの引籠ひきこもりともいえる。

 それが許されたのは、幼い子供が母親を亡くして落ち込んでいるのが、城の者にとっては心痛む光景だったから。大人の憐憫れんびんと同情。少しは外に出た方が良いと進言する世話係もまれにいたが、フレディアはことごとく断った。


(私を元気に……? やっぱり怪しげな外国の呪術じゃないの……そうよ、私が元気が無いように見えるのは、何もかも嫌になったから。もう、放っておいてほしいからよ。なんなら放っておいてもらうための演技だわ。それをこの男、私を元気にするだなんて狂言にしても馬鹿馬鹿しい。私の嘘なのに……)


「俺の名前はキングだ。名前聞くだけ聞いて名乗ってなかったよな」

「キング?」

「そうそう、これから売れてくからよろしく!」


 ピックが弦をはじいてジャーン、と得体えたいのしれない音が鳴る。フレディアはすぐにリッチーからもらったハーブ湯のカップに目を落としたが、眩しい太陽を見つめてしまった時のように、まぶたの裏にはその屈託のない笑顔が焼き付いてしまって困惑した。


「聞きに来たぞ、キング!」

「おう、昨日はありがとうな。今日も楽しんでってくれ」


 作戦立てていた今夜のゲリラライブだったが、身構えずとも話好きな旅人や好奇心旺盛な商人がひっきりなしにキングに話しかけにきた。むしけしかける暇など無いくらいだ。新鮮な話題を商人は常日頃求めているのだ。


「お嬢さん、隣失礼するよ」

「ええ、どうぞ」


 サクラとして座っているフレディアも初めこそ活気に面食らっていたが、今では他の客に席を譲るくらいの余裕を見せていた。

 健気けなげに役目を果たして身を小さくしている王女の様子を見兼ねて(もっとも様子を察するだけだが)、カレンが小声で呼ぶ。


「フレディア様、こちらにおいでなさいな」

「カレン、いいの?」

「はい、こっちはいてますから。それに簡単にですけど、髪を結って差し上げることも出来ます。川に落ちて寝て、そのままでしょう?」

「じゃあ、お言葉に甘えるわ」


 キングは客と盛り上がっては、弾き語り続ける。


「お、このオンガクもいいね!」

「今日はノリがいいオンガクばっかりだ! いいぞいいぞ」


 フレディアは大剣をしまってスペースを空けたカレンの前に座った。こうして並ぶと、フレディアがまだ発達途上の少女だということがよくわかる。カレンが人型の女性の中では長身でもあるが、それでも骨格が違いすぎる。


「使い古しのくしで申し訳ございませんが」

「そんなことないわ。カレンはヘンケレーデン族だったわね……とても大変だったわね」

「永く生きていればいろんなことありますよ。まあ老人は永く生きすぎた、なんて嘆いていましたけど」


 細くても艶やかなフレディアの長い髪から、ピンを一本一本手探りで抜いていく。抜き終わったらくしを毛先から通す。毛先の絡まりが取れたら今度は頭頂から。


「はずしたピンの中に、飾り付きのピンもありますね。私には目視できないですけど、失くさないようにしまっておいてください」

「ありがとう。――これは亡くなったお母様からいただいた物なの……でも手ぶらで来ちゃったからしまう所が無いわ」

「そうでしたか。なら私のポーチをひとつお分けします」

「カレンは誰にでもそんなに優しいの? いつかだまされちゃいそう……そんなことなかった?」

「どうでしたかねえ? 国内も国外も周りましたが、思い起こすと優しい人の方が多かった気がします。だからこそ、こうして私も生きているわけですし」

「それは――結果論ではなく?」

「難しいことを仰います。そうしたら、私が死ぬまでに出会ったすべての人を、数え直さないといけませんね」

「そ、そうよね。ごめんなさい」

「とんでもございませんよ。さ、三つ編みの完成です」


 カレンが手元の感覚だけで編んでいたのはおさげだ。


「先程のピンはつけない方が良いでしょう。繊細な細工でしたから、身元がバレます。……陛下が理由わけあってこちらにいらっしゃるのは私も察しています。なるべく目立たぬ髪型にしましたが、お気に召しましたか?」

「ええ、とっても嬉しいわ。ありがとう、カレン」

「どういたしまして」


 キングが大きな声で歌うと、客は手拍子と口笛を貢ぐ。

 そんな様子を眺めながら、フレディアは一つ、ため息をいた。


(ごめんなさい、お母様。また幸せを運ぶ精霊の翼を失わせてしまったわ……どうしてかしら、こんなに国民が楽しそうにしているのに、王女の私は心の底から笑えない)


 カレンにもらった動物皮の小ぶりなポーチにすべてのピンを片付けて、再び膝を抱いた。


(元気が無いフリはもう止めないと。でも……どうやって笑っていたか、思い出せないのよ……)


 ひと際大きくギターをかき鳴らし、拍手が沸く。客が沸く。

 キングはチューニングをしながら、立ち見の客にまで目を配らせる。そうしてなるべく多くの聴衆を気にかけて話しかけることで、ライブに一体感をもたらすのだ。


「こんな歌が聞きたいってリクエストあるか? 気分を上げたいとか、誰かにプレゼントしたいとか」


 キングが呼び掛けると、一人の青年がおずおずと手を挙げた。


「あ、あの、連れに僕の心を告白したいんですけど……告白が成功する曲、できますかっ?」

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