set list.3―アメノチハレ!

note.10 「機構から派遣されしただの中間管理職じゃ」

 重力は感じるものの、ともすれば三半規管がエラーを吐き出しそうな、上も下もどこもかしこも真っ白な景色。


 また己の意志とは関係なしに拉致されたのだ――――。


 渋谷からさらわれた時とは異なる感情が噴き上がるのをキングは感じていた。


「待たせたな、萩原旭鳴はぎわら あさひな。お前を地球は日本の渋谷まで送り届ける」


 束ねたあおい長髪にマタドールのような白い装束。ベッコウあめ色の瞳がキングを見下ろす。

 まぎれもなく、エール・ヴィースである。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」


 慌ててキングは立ち上がった。さっきまで掛けていた毛布が消えていることに気付く。

 はっとして周囲を見渡すと、キングとは少し離れた位置にギターケースやほかの機材が安置されているのが見えた。


 だが足を踏み出そうとした途端くらり、と体が傾ぐ。キングはおかみさんにもらったクォルタンを全部飲みきっていなかったこと思い出した。


「まだ帰れない! 俺は、まだあそこでやるべきことがあるんだ! こんないきなり俺が居なくなったと知ったら、リッチーだって……」

「お前は元の地点へ戻す。当初から伝えていたことだが?」

「そうだけど……っ!」

「……?」


 キングは白い部屋から逃げ出したところから今の今までをエール・ヴィースに話して聞かせた。

 リッチーと友達になったこと、音楽が無いモルットの人々に自分の歌で元気を伝えたいという気持ちや、音楽についての問にまだ答えていないことが心残りだとも。


「……そうか、知ってしまったか……」

「知って……? 何のことだ?」


 白いマントを翻して、エール・ヴィースはキングの傍までやって来た。


 知ってはいけないことを知った罰として、存在を消されるのでは――?


 キングはよくありそうな映画の展開を思い出す。

 だが実際には、まだ本調子ではないキングの隣にすとんとエール・ヴィースが立膝でしゃがんだだけだった。


「どこまで、原住民に聞いたんだ?」

「お、おお怒ってます……?」

「脱走の件なら怒ってはいない。俺の監督不行き届きだ。もし何らかの心残りがあるなら、俺が引き継ごう」


 引き継ぐということはキングの代わりに、リッチーに音楽の問を答えてくれるということだろうか。

 キングの代わりに、親方やおかみさんに音楽を伝えてくれるということだろうか。


(随分と至れり尽くせりな心優しい宇宙人なこった。あ、宇宙人じゃなくて、天使族って言ってたっけ? それを教えてくれたのもリッチーだけど)


 怒っていない、というのは事実のようである。一見無表情のようだが、いだベッコウあめ色の向こうにキングの姿が映り込んでいた。


(でも、リッチーは俺の最初のファンだ……俺の音楽ひっくるめて、友達なんだ。黙ってさよならなんて、俺が嫌なんだよ!)


「何か言い残した事や、やり残したことはあるか?」

「……――アンタは」


(ガキくせえこと言ってるってわかってる……このまま日本に戻れば、夢だったってことで忘れることもありだ。それにこのエール・ヴィースって人も、面倒事はゴメンだろうし……けど、だからといって、このままよくわからないコースを走らされるのは、俺はもう嫌なんだ! 今の俺には、俺の歌を届けるべき場所がある!)


 キングは口の中が乾いていることを感じながら、唇を動かした。


「アンタは音楽を――音楽を知らない人たちに言葉で伝えることが出来るか?」

「音楽を、言葉で?」

「ああ、そうだ。俺の心残りを現状のまま引き継ぐってことはそういうことだ。リッチーは音楽を知らないのに俺の歌で泣いてくれたんだ。それがどういうことだか、アンタは本人に説明が出来るか?」

「……それは難しいな」

「……え?」

「音楽の形態、成り立ちや歴史なんかは言葉でいくらでも伝えることは可能だが……音楽自体を言語で無知な人に教えようと思うと、かなり難度が高い。しかも受け取った側の感情まで整理して事象を説明するとなると、大分ややこしい」

「……やっぱ、そう、だよな?」


 めちゃくちゃ話、わかるじゃん。

 と、キングはズッコケそうになった。

 エール・ヴィースは考える素振そぶりも見せず、ここまで即答してみせたのだ。


 しかし、それと同時にキングには疑問が湧いた。


(この人って、宇宙人じゃなくて天使族ってリッチーが言ってたけど……天使族ってのには音楽の文化はあるのか。モルット族だけが特殊ってことでいいのかな?)


 何にせよ話が通じるのは有難い。


「なら、俺をもう一度リッチーのところまで連れてってくれ!」

「モルツワーバにか? 何をするつもりだ?」

「決まってる! もう一度歌うんだ!」

「歌を……?」

「音楽が言葉で説明できねえなら、音楽を見せてやればいい。そして――その時胸に受け取ったもの、きっとそれが音楽だ。俺はそれをリッチーや親方、おかみさんに届けたい!」


 エール・ヴィースは一瞬だけ目をみはった。が、すぐに曇る。


「お前がそれをした場合……最悪、この世界が滅ぶ可能性がある」

「な……っ、何でだよ!? どうしてそんなことに!?」


 エール・ヴィースはすっと立ち上がると、キングから背を向けた。


「……これ以上は機密で俺からは話せない。引継ぎも、出来ない」

「はあ……っ!?」


 とんだてのひら返しだ。

 事の訳の分からなさにキングの腹の底がふつふつと煮えたぎっていった。


 己が何故なぜこんなにも苛立っているのか、キングはわからない。けれども、止められない。


「おいッ!!!! アンタにとって、音楽って何だ!!!???」


 喉から血が出るかと思った。

 個人の感情故にミュージシャンの限られた喉を使ってはいけない。理性ではキングはそう理解している。それでも手の届かない白いマントにぶつけてしまいたかった。


「あれだけの演奏が出来るクセに、何で音楽を信じようとしないんだ!? 俺が歌ったら世界が滅びるだと!? 俺はこの世界のことなんっにも知らねーけどよォ、音楽で世界がダメになるわけねえだろうがッ!!!!」


 もはや自分が何を口走っているかも把握しないままに生まれてきた感情を生のまま投げつけた。


「俺は日本だろうがインドだろうが知らない宇宙のどっかだろうが、どこにいたって音楽と一緒にいたんだ!! どこにでも音楽が存在してるって……その人の心にもともと無くたって、もし俺が音楽を失うことがあっても――!!!」


 びく、とエール・ヴィースの背中が引きる。


「アンタは天使族とかナントカで使命を負っていろいろ世界のために駆けずり回ってるらしいが、音楽一つでこの世界が何とかなっちゃうようじゃあアンタらなんてどうってことねえッ!!! 音楽は……歌は――!!!! 世界を滅ぼさないッ!!!! 音楽はどんな世界にも存在しているッ!!!! いつだってここにあるんだ――――っごほ……ッウェっ……」


 細胞という細胞すべての空気を吐き尽くしたかのように思えた。最後の方はもう声もかすれていたし、喉が熱い。でもキングにはまだ言いたいことがあった。雨上がりのミミズのようにのたうち回る。


「ふむ、手古摺てこずっておるな?」


 そこへ小さな子供の声が響き渡る。


「キーロイ……!? 機構に呼び出されているはずではっ?」

「ヒョッヒョッヒョ、身代わりを置いてきたのでな。ところで――」


 真っ赤な双眸そうぼうがキングを捉えた。


「まだおったか、地球人?」


 達観した老人のように落ち着き、総てを統べる王のような余裕のある身のこなし。なにより、声は聞こえるのに、口は開かず表情も無のままの不気味さ。


「ごほっ、アンタ、は何者だ……!?」


「わしはキーロイ。機構から派遣されしただの中間管理職じゃ」

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