set list.2―clear after rain
note.3 リッチーはふわふわで。
モルツワーバ鉱山。
ここで採鉱されるのは石炭。
炭鉱の歴史は二百年程とかなり長いが、
ここに一人の炭鉱作業員の少年がいる。
うさぎのような長い耳。ピンク色の肉球、爪のやや伸びた四ツ指の手。ほわほわの長いしっぽ。
炭鉱作業員らしく丈夫なつなぎを着こんだ小さな
彼の名前をリッチーという。
モルット族――獣人の種族だ。
ポケットから取り出したのは、赤銅色をしたサイコロのような手のひらサイズの多角形。坑道の
「
発破玉に向かってぺこぺこと頭を下げ、両手を握り合わせて天を仰ぐ。長く細い息を神経質に吐き出し、ぎゅっと閉じた目をゆっくり開く。
仕事前のルーティンみたいなものだ。今日は緊張して仕方がない発破の役目である。
十五メートルほど後退したリッチーが前に腕を伸ばすと、坑道の空気が総毛立つ。
気弱そうだった真ん丸な瞳は真っすぐに先を見つめ、まるで野生の獣のごとく、見えない何かをじっと感じているようだ。
綿毛のようだったしっぽがぶわわっと逆立ち、長い両耳がピンと上にそそり立ったその時。
バチバチッ――!!!!
青白く細くうねる電流がリッチーの手から
が……。
放たれた電流は狙ったはずの発破玉を
「あーあ、考え事してたらはずしちゃったよーもう……」
独りで言い訳をしながら小走りに発破玉の元へ向かう。そして拾い上げた小さな塊をつぶさに観察した。
「うん、まだ消費されてない。よかった。無駄にすると親方に怒られるから……ん?」
モルット族の長い耳は音に敏感で、小さな音も遠くの音も、まるですぐ傍で聞いているかのように察知することが出来る。
「誰かが、『助けて』って言ってる……?」
発破玉を爆発させる予定だった突き当りの岩壁付近、何者かの声が確かにする。ぴくりと長い耳はその方角を向いた。
「た、大変だ! 岩壁の向こうから助けを呼んでる! ……あれ、でも何でこんなところに?」
もちろん、壁の向こう側は部屋や坑道はおろか、一言でいえば人の手の入ってないただの『山』。あっても虫の巣くらいである。
「おばけじゃないよね……?」
ひとまず回収した発破玉をポケットに。リッチーは誰かがいるらしい壁に向かい合った。
「あ、あの、僕の声聞こえますか!? 僕、モルット族のリッチーっていいます! あなたは誰ですか?」
冷たい壁にぴっとりと長い耳をあてて返答を待つ。
「……き? きんぐ? それは名前? 聞いたことない種族だけど……」
リッチー少年は
最近は物騒なことに、村を出て山を下りると、魔物に襲われる被害が頻出していた。もし、会話している相手が魔物で、壁を挟んで自分を奇襲するのを待ち構えているのだとしたら……。とても恐ろしい想像に、ひげがピピンと張り詰めた。
「え? 名前とかいいから? ……ああ、硬い岩盤や土に囲まれてまったく身動きが取れないんですね?」
尚の事どうしてそんな事態に、と疑問が沸く。
とはいえ、仕事としてその壁を吹っ飛ばそうとしていたわけで、無視してこのまま仕事を遂行しようにも人一人を一緒くたに爆破することになる。魔物ならいいが、人か魔物かなんてリッチーには判断がつかない。それに、鉱山の外にいる親方に相談してる間に窒息死するかもしれない。
リッチーは独りで決断を下す。
「ちょっと待ってて! 今そこを爆破して君を助けるから!」
「爆破!?」
今度ははっきりと声が聞こえた。
「大丈夫! モルットの……お父さんの作った発破玉があれば、小さいのも大爆発も自在に操れるんだ。僕の
リッチーが不安を取り除こうと説明したところ、「死にたくねー!」という必死な叫び声が聞こえてきた。
「安心して! 絶対に大丈夫だから! 僕を信じて!」
発破玉はあの壁から少しだけ離した場所に置こう。その方が中に閉じ込められてる人に被害が行く可能性は低いはず。
流す電流は、少ないよりは多めに。でも多すぎてはいけない。
(難しい加減だけど、やれないことはない……僕なら!)
トクトク、と胸が跳ねる。
(緊張はする。失敗が怖い。仕事ではいつもそうだ。だけど……今はこう、きゅうっと、ちょっとだけ心臓が痛むくらいに……わくわくしてる)
綿毛のようだったしっぽがぶわわっと逆立ち、長い両耳がピン、と上にそそり立った。
バツッ! バヂヂヂヂヂ――――――ッ!!!!
青白い光が明滅する。瞬きをするまでもないコンマの時間を置いて、爆音――そして岩壁が崩れる
「危ない……っ!」
リッチーは思わずふわふわボディを落下する人影の下へ滑り込ませた。固く
「助かったぜリッチー!」
「どういたしまして。えーっと……きんぐさん?」
「おう、ステージではキングって名乗ってんだ。キングでいいぜ……って、あれ? リッチーはどこだ?」
「君の下敷きになってますよー……」
リッチーの腹の上にキングはちょうど尻餅をついた形でいた。
「わりぃっ、今
「うゥ、ウヒヒっ! くすぐったいよ!」
地面に突いたと思った手元を見れば、巨大なうさぎのようなぬいぐるみがマズルをひくひくとさせて、困ったようにキングを見つめている。衣服を着ている様は絵本の世界染みている。それはリッチーなのだが。
「な、何でぬいぐるみが」
「ぬいぐるみ? 僕はモルット族のリッチーだよ」
「お、お前がリッチー? 俺を助けてくれた?」
「う、うん。えへへ……」
下敷きにしていたふわふわを触ったらリッチーで。
キングを助けてくれたのはリッチーで。
リッチーはふわふわで。
「ああ、着ぐるみかなんか着てるのか」
「ちっがーーーーーーーーーーう!!!! もうっ、早く降りてよ! 重い!!!!」
「あっ、ごめん」
ようやく
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一見用途不明だが多目的な白い部屋。
コンセントは使用者もおらず、ぽつねんと剥き出しになっている。
「まさか……」
「これは脱走じゃのう」
キーロイは腕を組んでふむ、と
白いブラウスに
その横で、
「イデオが
イデオと呼ばれた青年は、顔に掛かった後れ毛を耳に掛け直して、眉根を寄せた。
「何かということもないが……
「ふうむ」
キーロイは小さな手のひらを目の前にかざした。ちょうどそこに半透明なボタン群が現れる。指先でスイスイ操作すると、黒い画面が浮き上がった。イデオも注視する。
「操作ログによると、萩原旭鳴は転移装置を作動し、ラボを脱出したようじゃ。地球人は他人を見て模倣する程度の知能は持っておったな。おそらくだが、わしが呼び出した際のイデオの
「そんな、あいつはただの日本人だ。ノーアウィーン世界を何も知らない」
「だから、たまたまだと言っている。ほれ、見てみろ。転移先は――
「……モルツワーバ山の、土中!?」
キーロイはひとしきり笑うと、中空に表示されていた大量の文字列を
「ま、面倒なことになる前に萩原旭鳴を回収するんじゃな」
「俺がか?」
「わしはまだやることがあるでな。何かあれば連絡を寄越せ。そのピアスでな」
「いつまでに完了したらいい?」
「んーそうじゃのう。イデオは気が済んだのか?」
その問いにイデオは、首肯も否定も見せなかった。ただ、少し
「まあ、わしの管理不行き届きから始まった縁じゃ。もう少し機構に黙っておくことは出来るが?」
仕方がない、といった風情でキーロイはイデオのシャープな顔を見上げる。だがイデオはその視線を断つように
「いや、いい。迅速に地球に帰そう、萩原旭鳴を」
(俺は、エール・ヴィースなんだから――)
硬い足音と共に、イデオの姿は陰影のない真っ白な壁に溶けて行った。
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