第14話





「ふう」


 中庭の花壇のところで綾都がため息をついている。


 正門前に作られた花壇で、ここは一般に解放されているから、あまり近付くなと瀬希に止められている場所だ。


 さすがにふたりも綾都が、こんなところにいるとは思わないだろう。


「どうしてあのふたり、あんなに仲が悪いのかな」


 目覚めたときには最悪だった。


 瀬希は朝斗を無視しているし、朝斗はなにか知らないが瀬希を許せないらしく、同じように無視しているのだが、瀬希がなにかする度に文句をつけては喧嘩を繰り返していた。


 ふたりとも綾都には心配をかけまいと振る舞うのだが、だったらもうちょっと仲良くしてほしい。


「どうかされましたか? 綾都様?」


 呼び声に振り向けばレスターが立っていた。


 背後には昨日ジョージと呼んでいた近衛隊長が控えている。


 レスターの護衛といったところだろうか。


 座り込んだまま綾都はニコッと笑う。


「おはよう。レスター王子」


「もうこんにちはの時間ですよ、綾都様」


「その綾都様っていうのやめてよ」


「え? でも」


「歳もそんなに変わらないんだし、綾都、もしくは綾でいいよ」


「綾? ですか? 女の子みたいですね。本当に同性ですか?」


「……精霊はなんて言ってる?」


 綾都の問いの意味はジョージには伝わらないのだがレスターには伝わる。


 精霊たちは綾都のことは男だと教えてくれている。


 つまり疑う余地はないのだが、そう信じるにはあまりに美少女過ぎた。


「じゃあ遠慮なく綾って呼ばせて貰いますね」


「うん。ついでに敬語もやめてほしいな」


「はあ。でも」


「慣れてないから肩が凝る」


「そう? じゃあやめるね。ボクも敬語嫌いなんだ」


「ふふ」


 綾都が笑うとレスターが隣に並んできた。


「綾って呼ばせて貰う代わりに、ボクもレスターでいいよ」


「でも、王子様なのに」


「それを言うならきみは瀬希皇子のご側室だよ? 普通はこんなふうには話せない相手だよ」


 それを言われてしまえば綾都にも言い返せない。


 実際のところ、綾都は未だに側室がなにかすら理解していないのだが。


「なにかあったの? 遠くから見てもため息ばかりついているように見えたから気になってきてみたんだけど」


「瀬希皇子と兄さんが喧嘩ばかりしてて」


「でも、昨夜きみたちふたりと瀬希皇子はご一般に過ごされたんだよね?」


 言葉の裏の意味を綾都は理解しない。


「そうなんだけど」


 あっさり認められて、レスターは綾都は鈍いのか、それとも大物か判断しかねた。


「なんか朝起きたらふたりとも最悪の状態で」


「う~ん。さすがにボクにどうにかできる問題とは思えないね。もしかして綾が原因なんじゃない?」


「どうして?」


「おふたりとも綾には普通の態度を取っているんだろう?」


「うん。どっちもぼくにはやさしいよ。だから、余計に気まずいんだけど」


 綾は本当に気まずそうな顔をしている。


 同じ側室という立場で綾と兄が揉めるならまだ理解はできる。


 だが、側室に迎えられた朝斗と側室に迎えた瀬希が衝突するとなったら、原因はもうひとりの側室、綾都しか考えられなかった。


「もしかしてお兄さんが瀬希皇子のご側室になったのってきみのため?」


「多分ね」


「だったら間違いなく原因はきみだね」


「どうして?」


「きみを取り合って喧嘩してるんじゃないの?」


 レスターはクスクスと笑っている。


 年齢では綾都の方が年上だが、どうやらレスターは歳の割にませているようだ。


 いや。


 そうならざるを得なかったといったところだろうか。


「なんでぼくを取り合うの? 仲良くしてくれた方がぼくは嬉しいのに」


「う~ん。それはボクに言うんじゃなくて、おふたりに直接言った方がいいよ。きみが泣きつけば、きっとおふたりの態度も変わるよ」


「そうかな?」


「うん。きっとね」


 レスターが笑って言ったとき、ジョージがスッと前に立った。


「ジョージ?」


 レスターが座ったまま近衛隊長を見上げる。


〈馬車が来ます。あれは……シャーナーンの紋章!?〉


「え」


 レスターが驚いた声を出して立ち上がった。


 付き合いで綾都も立ち上がる。


 程なくして正門を通過して大きな馬車が入ってきた。


 レスターは咄嗟に綾を背に庇った。


 綾都は小さいので年下の彼の背にでも隠せるから。


 でも、綾都は彼の背からそっと顔を出して状況を見守っている。


 好奇心旺盛な綾都にこういう場面で大人しくしろと言われても無理だ。


 レスターの前で馬車が停まり、中から立派な体躯の青年が降りてきた。


 歳の頃は20歳前後だろうか。


 金髪に青い瞳をしていて肌は透き通るような象牙。


 だが、鍛えてあるせいか、ある程度日に焼けていた。


「こんなところでお逢いしようとはな。レスター王子。実は貴方の国へ出向いたばかりなのだが」


「お久し振りです、カイン皇子。この度はご足労させてしまったみたいで申し訳ありません」


「いや。華南でお逢いできたなら都合がいい。瀬希皇子と共に我等が逢える日というのはなかなかないからな」


 瀬希の名前まで出されてレスターは笑みを口許に浮かべつつ苦々しい気分だ。


「カイン。いつまで入り口を塞いでいる気だ? わたしが降りられない」


 馬車の中からそんな声がして綾都はムッとする。


(降りられない? どこが? あれだけ大きな扉なんだから、身体をずらせばいいじゃない)


 そんなふうに綾都は怒ったが、カインと呼ばれた皇子は怒ったふうもなく、スッと身体をずらした。


 レスターは声の主を知っていたので身体を強張らせている。


 カインは軍に所属しているし、度々旅にも出ているから、こうして出会したり自国に訪れられるのも、まだ理解はできるがこの声の主が出向くという事態が理解できない。


 ゆっくりと獅子と例えたいような青年が降りてくる。


 外見的特徴は典型的なシャーナーン人だが、美貌がずば抜けていた。


 カインは凛々しい美貌だが、この若者はなんていうか王者の風格がある。


 綾都は唖然と彼を凝視した。


(歳の頃は23、4歳ってところ? それとももう少し下かな? あれだけ威厳があると年齢も年上に見えるだろうし。瀬希皇子も皇子の貫禄があると思っていたけど、なんか桁が違うね。この人。間違いなく皇子だ。シャーナーンの)


「久し振りだ。レスター王子」


「お久し振りです。アレク皇子。貴方がお越しとは思いませんでした。なにか我が国にご用でしたでしょうか?」


「急用というほどのものでもない。諸国漫遊の旅とでも思ってくれればいい。そなたの方こそどうして華南に? 確か国交はないはずだが?」


「その国交を開くために華南に来たのですよ。瀬希皇子の噂も予々聞いていて親しくないと思っておりましたし」


 ダグラスへ偵察に行っていたことなどおくびにも出さないレスターである。


 アレクはクッと笑った。


「瀬希皇子か。確かに噂には聞いている。相当優れた皇子だとか。逢うのが楽しみだ」


「とても優れた皇子で、それに素敵な方です。お逢いになればアレク皇子にもご理解頂けると思います」


「そなたがそんなふうに言うのは珍しいな。瀬希皇子はそれほど優れた皇子なのか? これは益々逢わねばならんな」


「すぐに人と比較なさるものではありませんよ、アレク皇子。アレク皇子はアレク皇子で素晴らしいし、瀬希皇子には瀬希皇子にしかない良さがある。それを認め合っても羨むことはあってはならないと思います」


「つまらないな。優等生の返事だ」


 そう吐き捨てたアレクの視線が、レスターの背後から顔だけ出している綾都に向かう。


 軽く口笛を吹きそうになって慌ててやめる。


「随分綺麗な姫君を連れているな。いつご婚約なさったのだ? レスター王子?」


「え?」


 意外なことを言われてレスターが背後を振り向いた。


 そこではちょこんと綾都が顔を出している。


 これでは隠している意味がないとレスターは青くなる。


「いえ。この方はわたしの婚約者では」


「では側室に? 勿体無い」


「いえ。そういうわけでも」


 レスターの歯切れが悪い。


 瀬希に対してライバル意識を抱いているらしいアレクに、その瀬希の側室だとは言いたくないのだ。


 綾都を思わね争いに巻き込みそうで。


「兄上。その者華南の服装を身に纏っています。それにどうも男物を着ているようなのですが」


 兄が気を取られている人物をよく見ようとカインは早速綾都を観察している。


 いつの間にかジロジロ見られている綾都は咄嗟にレスターの背にしがみついた。


「綾都様」


「ごめん。なんか怖い」


 ふたりとも格が違うというのだろうか。


 それとも次元が違うというべきか。


 綾都は凝視されるだけで凄く怖かった。


「男? これが?」


 アレクはレスターがいるのも忘れ、ズカズカと彼に近付いた。


 レスターは咄嗟にどうするべきか行動を決めかねている。


 背後に回ったアレクが綾都の顎に手をかけた。


 怯えたように見開かれた漆黒の瞳を見詰める。


「これが男? 確かに外見は華南のものだが、特徴は華南とは違うような? それに随分立派な服だ。もしかこの者を奪いに来たのか? レスター王子?」


 真横から言われてレスターは顔がひきつる。


 そんなつもりは毛頭ないが、ここで否定してもややこしくなる気がする。


 どうやればこの場を凌げるだろう?


「シャーナーンのアレク皇子とお見受けします。どうかその者を離して頂けませんか?」


 よく聞き慣れた声がして綾都は振り向きたいのだが、顎をまだアレクに固定されていて振り向けない。


 全く動じていない声にアレクが、綾都の顎を捉えたまま視線を向ける。


 既にカインは兄の傍に寄っていた。


 瀬希が臆することなく近付いてくる。


 その様子をふたりのシャーナーンの皇子はじっと眺め、レスターは救いを求めるように彼を見た。


「そなたは?」


「華南の第一皇子、瀬希と申します。初めまして」


「そなたが瀬希皇子かっ!?」


 アレクは大袈裟に驚いた。


 何故かというと本気で驚いたからだ。


 カインと同じ年なのは聞いていた。


 だが、カインも歳の割りに大人びていると思っていたが、瀬希はまた趣が違う。


 清涼感のようなものを醸し出していて、見ているだけで目が吸い寄せられる。


 レスターが逢えばわかると言った意味がわかった気がした。


 静かに器の大きそうな青年だ。


「綾がなにか失礼をしたなら謝ります。綾は怯えております。どうか離して頂けないでしょうか」


「この者は綾というのか。そなたのなんだ?」


「わたしの第一位の側室です。その意味がおわかりなら手をお離しください」


 黒い瞳は揺るぎなくアレクに据えられている。


 自分を前にしても全く臆しない者にアレクは初めて出逢った。


 レスターですらアレクの前では多少は身体を強張らせ身構えるのに、瀬希は全くの自然体だった。


 ぶつかり合う視線の強さは互角。


 アレクは内心で「面白い」と笑った。


 こういう相手は今までいなかった。


 どうしてもっと早く逢いに来なかったのかとも思う。


 付き合いさえあれば退屈しない時間を過ごせただろうに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る