第15話

「この者。両国の友好の証にわたしに譲らぬか、瀬希皇子」


「お戯れを。できない相談です。すぐにお離しください。綾が怯えているのは、これ以上見たくありません」


「戯れ? 何故だ? わたしにもまだ妃も側室もいない。第一位の側室として迎えることは可能だ。そなたと立場は全く互角。それでも不服と?」


「……政治の道具にはできない相手です。お諦め下さい」


 瀬希は全く譲らない。


 頑固さでこの華南一を誇る瀬希である。


 これはどう言っても譲らぬだろうなとアレクにもわかる。


 だが、瀬希がそこまで執着する者なら、もっと欲しくなった。


「そうだな。どうしても手放せないというのなら我が妹姫、シャーリーをそなたの正妃として嫁がせよう。その代わりにこの綾という者をわたしに譲れ」


「兄上っ!?」


 カインが慌てているが、アレクは弟の方を振り向かない。


 レスターには瀬希が大事にしている者だから、彼は奪いたいのだとわかっている。


 それは瀬希にもわかっているだろうが。


 瀬希ならまだ信用できる。


 だから、秘密も明かしたのだ。


 だが、アレクでは……。


「アレク皇子。これ以上のごり押しは禁忌に触れますよ」


「……レスター王子」


 突然割って入ってきたレスターに、アレクが不服そうな目を向ける。


「綾都様は瀬希皇子がとても大切にされているご側室。今の貴方のやり方は禁忌に触れる。諦めた方が利口だと思いますよ?」


「そなたにそのような忠告を言われる日が来ようとはな」


 アレクは忌々しそうに綾都から手を離した。


 綾都は反射的に瀬希に向かって駆け出していく。


 瀬希は両手を広げて受け止めてくれた。


「瀬希皇子!!」


「間に合ってよかった。だから、ここに来てはいけないとあれほど念を押しておいただろう?」


「だって皇子が兄さんと喧嘩してるからっ!!」


「あ。あれは……」


 言い訳をしようとして瀬希も現状を思い出した。


 綾都の肩を抱いてアレクたちを振り向いた。


 いつの間に準備されたのか、アレクたちは近衛たちに囲まれて悠々と立っている。


 レスターもスッと瀬希の背後に控えた。


「改めて初めまして。ようこそ華南へ」


「「初めまして」」


 どちらも決して友好的とは言えない声だった。


 どうやらアレクにとって自分はライバルらしいと瀬希は感じ取った。


 これから苦労しそうだなと内心でため息をつく。


 物凄い人に目をつけられてしまったようだと感じながら。






 華南の帝との謁見を無事終えて、貴賓のための部屋に案内されたアレクは、早速弟に責められていた。


 カインは確かにアレクに心酔しているが、間違っているときは正面から責めてくる大事な部分をきちんと持っているので。


「どういうつもりなんだ? アレク? 瀬希皇子にシャーリーを嫁がせるなんて、あんな場所で言い出して!!」


 兄弟だけになるとカインの口調も変わる。


 瀬希やレスターと逢っていたときのふたりは余所行きの顔だ。


 決して素顔ではない。


 それは瀬希やレスターにしても同じだろう。


 素顔で触れ合うことのできない関係だった。


「どういうって……どうしても瀬希皇子から、あの綾という者を奪いたかったんだ。レスター王子に阻止されたし、なによりも瀬希皇子が頑として譲らなかったが」


「確かにあの頑固さは凄いな。アレク相手に一歩も負けていないし」


 噂でも聞いたことのなかった遠い異国の東国の皇子、瀬希があれほどの逸材だとはふたりとも思っていなかった。


 ライバルは叩き潰すものと思っているアレクにしてみれば、歯応えのあるライバルで有難い限りなのだろう。


 瀬希にはどんだ災難かもしれないが。


 レスターは優しすぎて、アレクには物足りないところがある。


 それでも油断できないだけのものを彼がなにか秘めているのがわかるので、アレクは彼を最も警戒しているのだが、瀬希はどうやらそれを超えそうだった。


 力のあるなしではない。


 内に秘めた資質。


 それで瀬希はレスターを超えている。


 アレクとすら逼迫するかもしれない。


 それはカインも認めていた。


 並の男ならあんな風にアレクに睨まれれば、その眼光を真っ直ぐに受け止めることなどできないので。


「しかし男なんて、それも一度他の男のものになった男なんて手に入れても仕方がないだろう? アレクはそういう趣味だったか? それはまあかなりの美少女振りではあったが」


「ああ。それなんだがな。あれはどう見ても童貞で処女だ」


「え? なんでそんなことがわかるんだっ!?」


 純情なカインは青くなったり赤くなったり忙しい。


「男も女も知らない感じだったな。あの綾と呼ばれていた側室は」


「……しかし側室というのは閨の相手をするためのもので」


 カインはしどろもどろである。


 この弟はこれだから可愛いとアレクは笑う。


 それは屈託のない優しい笑顔だった。


 決して他人には見せない顔だ。


「歳はよくわからないが、随分幼く見えた。なのにかなり大事にしている感じだったからな。瀬希皇子が大事にしすぎて成長を待っている。そんなところじゃないか? あれはまだ肉体関係は持っていない。賭けてもいいぞ」


「……だが、それなら側室とは言わないんじゃ……」


「ああ。そうだ。本当に大事にしていて成長を待っているのだとしても、側室に迎えている事実が解せない。その場合、側室に迎えたいとしても我慢するだろう。もっと時期を見合わせるはずだ」


 瀬希の人柄ならそのはずなのだ。


 見抜いた人格と現実が合わなくて、アレクは首を捻る。


「なのに側室に迎えている。その矛盾が解せない。周囲はきっと肉体関係はあると思い込んでいるだろうからな。そうさせる必要がどこかにある、ということかもしれない。カイン」


「なんだ?」


「あの綾という側室のこと、密かに調べてくれないか?」


「おれは馬に蹴られて死ぬ趣味はない」


「……大丈夫だ。あれはどちらにも恋心はないと俺は見ている」


「だが、アレクにも逆らうほど大事にしていたじゃないか」


「だから、彼を手放せない理由が、どこかにあるんじゃないかと疑っているわけだ。調べてくれないか? 帝からも瀬希皇子からも、彼は華南人だと聞いたが、あの顔立ちは華南人のものじゃない」


「……確かに」


 それは認めざるを得なかった。


 噂に聞いているダグラス人の色彩を持ちながらも、顔立ちは異国人を思わせるという人型の召還獣を思わせる。


 あの綾という少年の存在はそれを意識させた。


「気取られるなよ」


「おれはそこまでドジじゃない」


 そう言ってカインは出ていった。


 窓辺に立つアレクの脳裏に怯えたように見上げていた漆黒の瞳がよみがえる。


 綺麗に澄んでいたら、きっと見惚れるほどだっただろう。


「怯えさせたのは失敗だったかもしれないな」


 誰にどう思われても気にならなかった。


 小さな子供に怯えた眼で見られた。


 ただそれだけのことが胸を刺す。


 そしてその子供は助けを求めるように、アレクの手を振り切って瀬希皇子の胸に飛び込んだ。


 思い出して唇を噛む。


 何故だか腹立たしかった。


 心が痛みを訴えるほど。


 不思議な心の訴えるほど。


 不思議な心の動きにアレクは翻弄される。


 さっきカインに頼んだ調査は、もしかしたら単に彼のことが知りたい。


 そんな尤もらしく意味付けしただけかもしれない。


 そうとは認めたくないが。






 その日の夜にはアレクの元にカインが戻ってきていた。


 カインが情報源として目をつけたのは、実は宰相、大志だった。


 瀬希皇子を目の敵にしている彼なら、きっと獣医学ひた隠しにしているような秘密でも、他国の皇族の自分たちにでも打ち明けるだろうと踏んで。


 そしてその読みは的中した。


 カインは重苦しい顔付きで、兄の前に立っている。


「随分戻ってくるのが早かったが、もうわかったのか?」


「ああ。宰相に的を絞れば簡単に情報は手に入った。私情で動く宰相では、どれほど有能でも国のためにはならないという見本だな」


「どうしてそんな憂鬱そうな顔をしている?」


 アレクは不思議そうに弟を見ている。


 弟の様子から余程の情報を掴んだのだろうとはわかる。


 だが、ここまで重苦しい雰囲気になる情報というのに心当たりがなくて。


「あの綾と呼ばれていた側室の本当の名は綾都というらしい」


「綾都……綺麗な響きの名だな」


「華南の名前は嫌いだと言っていたくせに」


 ボソリと言われてアレクがちょっと顔を赤くした。


「綾都には双生児の兄がいて、そいつの名前は朝斗というんだが、ふたりとも瀬希皇子の側室らしい。綾都が第一位。朝斗が第二位だ。綾都を側室に迎えるまで、瀬希皇子は男も女も近付けなかったとかで、綾都を連れ帰ったときは周囲は泣いて喜んだそうだ」


「連れ帰った? どういう意味だ? 華南の貴族でもなんでもない?」


「あのふたりの素性は全くの謎だ。本当のところ帝も知らないらしい」


 帝も知らない?


 それはアレクにとっても意外な情報だった。


「ある日王都にお忍びに出ていた瀬希皇子が、どこからか連れ帰った双生児。それが綾都と朝斗らしいんだ。連れ帰ったその日に綾都が側室に迎えられ、レスター王子が訪ねてきたこともあって、綾都と朝斗は初めて皇族として会食の席に出た。事件はそのときに起きたそうだ」


「事件?」


 ここでカインから聞いたのは、会食の最中に突然、綾都がルノール語を話したこと。


 そしてそのふたりにはルノール人にしか見えないはずの精霊が見えること。


 そういう内容だった。


 実際にはなにがあったのか、理解しているのはルノール人だけらしい。


 華南人には見えないので、綾都と朝斗が精霊を前になにをしたのかは、華南人にはわからなかったからだ。


 ただ精霊たちの騒動が終わった後の、ルノール人の興奮が凄すぎて、余程凄いことをやったのだろうと、華南人たちにもわかったという。


「おれの推測だが瀬希皇子は知ってるんじゃないか?」


「会食の席でなにがあったのかを、か?」


「あのふたりは瀬希皇子の側室だ。なにがあったか打ち明けていても不思議はない。だから、華南人で詳しい事情を把握しているのは、おそらく瀬希皇子ひとりだ」


「成る程な」


 思いがけない情報にアレクは深々とため息をつく。


「それとアレクの推測を裏付ける証言と、逆に否定する証言を聞いてきた」


「なんだ?」


「まず裏付け証言。綾都が側室に迎えられたとき、彼は随分と体調を崩していたらしいんだ。どうやら彼は虚弱な体質らしく、あまり健康ではないようだ。そのせいで瀬希皇子は大事に自分の宮に隠している状態らしい」


「つまり側室に迎えてからも肉体関係を持つことはなかった?」


「その時点ではな。だが、レスター王子がやって来た夜、瀬希皇子は正式にふたりを側室として迎えている。閨を共にしたと公になっているな。これが否定する証言だ」


 どうだ。


 これでも綾都は処女だと言えるかと目線で指摘されて、アレクは難しい顔になった。


 状況証拠は確かにクロだ。


 綾都は瀬希に抱かれていると見るべきなのだろう。


 だが、アレクの男としての勘は、綾都は汚れを知らないと訴えている。


 あの怯えたような眼も躯も、とても男も女も知っているようには見えなかった。


 幾らアレクが勝ち気とはいえ、顎を掴まれただけでガタガタ震えていたほどだ。


 普通ならシャーナーンの世継ぎ相手なら誘惑してくるものなのに。


 それもなかった。


 抵抗ひとつできず瀬希皇子が助けてくれるのを待っていた。


 あの様子からは男を知っているとは思えない。


「それでも俺は……彼は童貞で処女だと信じる」


「……頑固だな。そんなに気に入ったのか、彼が?」


「気に入る入らないの問題ではなく、男としての勘だ。これでも俺はお前と違って、それなりに遊んできた。両手で足りない数の恋人と付き合ってきたんだ。経験者かどうか、それくらいならすぐにわかる」


「悪かったな」


 遠回しにまだ童貞のくせにお前に言えるのかと言われて、カインは赤い顔を背ける。


「なんて言うんだろうな。彼の見せる反応は演技ではないし、演技ではないとなると、どうしても経験しているようには見えないんだ」


「……騙されないことを祈る。それで? どうするんだ? まさかダグラスまで行かない間に、それらしい人物に逢えるとも思わなかったが」


「明日ロベール卿に接触してくれ」


「ロベール卿に? おれはあいつは好きじゃない」


「だが、ルノールで素直に情報を漏らしそうなのは彼しかいない。レスター王子に問い掛けても、多分無駄だろうから。彼が一番情報を把握している気はするんだがな。でなければあそこまで庇わない気がするから」


「おれは朝斗と呼ばれる兄の方は知らないが、レスター王子はあの綾都と呼ばれていた側室を、どうもこちらに渡したくないみたいだったな。明日ロベール卿から情報を聞き出して、それがどう転ぶか」


 カインの言葉にアレクは頷く。


「惜しむらくはレスター王子もロベール卿も精霊使いではないことだろうな」


 カインはそう言ったが今度はアレクは頷かなかった。


 以前から胸に燻っていた疑惑が浮かぶ。


 それが当たっているかどうか、明日はっきりするような気がした。


 ロベールには精霊使いの力はない。


 彼にできるのは精霊を見ることだけ。


 それも特殊な光景などは見られない程度の力しかない。


 その彼の判断と綾都をこちらに渡すまいと振る舞ったレスターの態度の違い。


 その意味がはっきりすれば、この疑惑にも答えが出る。


 そんな気がした。

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