第4話

「えっと。どこから否定すればいいのか悩むんだけど、少なくともダグラス人ではないよ。日本人だから」


「にほんじん?」


「意味がわからないよねえ。そういう国があるとだけ理解してくれない?」


 皇子は顔一杯に疑問符を飛ばしていたが、一応素直に頷いてくれた。


 素直な人でよかったと綾都は安堵する。


「車の前に飛び出したから文句は言えないんだけど。跳ねられちゃって」


「跳ねられた? どんな風に?」


「どんなって……馬車とも比較できない速度で走ってきた鉄の塊に体当たりされて飛ばされたと思ってくれる?」


「……普通死ぬんじゃないのか? その状況」


 皇子もそこに気付いたらしい。


 今度は納得できないとその顔に書いていた。


「そうなんだよねえ。ほんとなら死んでるはずなんだよ、兄さんを道連れにして。でも、こうして生きてるし。わけのわからない世界にはいるけど」


「わけのわからない世界?」


「信じなくていいけどほんとに華南なんて国は知らないんだ。それだけじゃない。ダグラスって国も知らない」


「だったら何故ダグラスが国の名前だとわかったんだ?」


「頭の中でわかるように変換されるから」


 この言葉には皇子は黙り込んでしまった。


 そうして不意に口を開く。


 出てきたのはそれまでとは違う言語だった。


『ではこの言葉は理解できるか? 世界の共通言語であるダグラス語なんだが』


『それがダグラス語? あれ? 喋ってるね、今』


 瀬希がダグラス語に切り替えた途端、綾都もダグラス語を喋ってしまった。


 自分でも納得できなくて黙り込む。


『ではこれはどうだ? シャーナーン語なんだが?』


『シャーナーンって国の言葉なんだね。ああ。また喋ってるよ。どうなってるの?』


 綾都は頭を抱え込んだが、皇子はそれに取り合わない。


 重要な事態だと掴んだからだ。


『ではこの言葉は? ルノール語だ』


『俺にもわかるから、多分綾にもわかってるんじゃないかな』


「つまりなにか? ふたりともすべての言語を操れる?」


「相手が話した言語につられるみたいだな。そっちが元に戻した途端、俺の方も戻ったし。意識して使ってるんじゃなくて、相手に合わせてるらしい」


 瀬希はふたりをじっと凝視した。


 すべての言語を操れる者なんて普通は皇族くらいしかいない。


 それかダグラスの大統領クラスか。


 しかしこのふたりの外見は色だけなら華南のもの。


 顔立ちはまるで違うが。


 おまけに時々わからない単語を使う。


 これはもしや……。


「もしかしてこの世界とは関わりのない世界から迷い込んだ?」


「うわあ。物分かり早いねえ? 瀬希皇子」


 綾都が暢気な声を上げる。


 瀬希は頭を抱えたくなった。


 ダグラス人は関わっていないだろう。


 最近彼らも人形の召還獣を召還したとは聞いたが、その召還獣がすべての言語を操るという話は聞いていないし、そもそも彼らが召還した召還獣は普通言葉を喋れない。


 召還した人形の召還獣にも一から言葉を教えていると聞いている。


 つまりこのふたりが出現したことにダグラスは関わっていないということだ。


 ではルノールか?


 だが、ルノールに召還する力はない。


 ましてやそんな命の瀬戸際にあったのなら、危険を関知してなんらかの力が働き、こちらに飛ばされたと解釈する方が普通だ。


 取り敢えず……。


「お前たち……行く宛はあるのか?」


「あると思う?」


 綾都が途方に暮れている。


 その顔は兄である朝斗から見ても可愛いので、瀬希もドキッとして慌てて顔を背けた。


 赤い顔のまま話し出す。


「だったら暫く宮殿で面倒をみてやるからついてこい」


「いいのか? 素性を信じてくれたってことか?」


 朝斗が探りを入れる。


 瀬希は思わず苦笑した。


「お前たちの話を総合するに、とても敵国が絡んでいるようには聞こえない。寧ろ時空の迷子だろう」


「時空の迷子」


「この世界にもなんらかの力を持つ者はいる。ルノールの精霊使いとか、ダグラスの召還術とか。だが、どの力を使ったらお前たちみたいに、すべての言語を操るどこの国にも属さない存在を召還できるのかがわからない。わからない以上傍に置いておくしかないだろう。自国をうろうろされても困る」


「つまり体のいい監視か」


 朝斗は吐き捨てたが、お人好しの綾都は、そんな兄を叱り付けた。


「兄さん!! ダメだって言ったでしょ!! そんな言い方!! 少なくとも宿無しじゃなくなったんなら助かってるじゃない!!」


「それはそうだけど……」


 朝斗はジロリと瀬希を見る。


 瀬希の顔はまだ赤い。


 綾都を意識しているのは間違いなかった。


 なのではっきりと引導を渡してやる。


「言っておくけど綾都に手を出すなよ? これでも弟なんだから」


「おとうと?」


 言葉が理解できないのか。


 いきなり瀬希が幼児並の発音になった。


 綾都が首を傾げて、そういえば誤解されたままだったと気付く。


 ごろつきたちから助けたあの状況では、綾都のことは女の子だと思っただろうから。


「ごめんねー。ぼくこれでも男だから。兄さんの、朝斗の双生児の弟なんだ」


「……本気で? 冗談じゃなく? しかも双生児?」


 ジロジロと検分されて綾都は赤くなる。


「この皇子様。本気でぼくのことを女の子だと信じてたみたい」


 兄を振り向いて言うと兄は苦々しい顔をしていた。






 瀬希と会話してかなりの時間を潰したので、朝斗は立ち上がるときに弟に手を差し出してやった。


「立てるか? 綾?」


 兄の手に綾都が手を伸ばし掴む。


 だが、足に力が入らない。


 どうしても立てない綾都を見て瀬希が驚いた顔になる。


「どこか悪いのか? それとも自動車にぶつかったときに怪我をしたとか?」


「いや。綾は無傷だ。ただ綾は身体が弱くて」


「身体が弱い?」


 じっと瀬希が見ているが綾都は相変わらず立てなかった。


 その姿は女の子なら思わず庇いたくなる代物だ。


 これで男だというのだから宝の持ち腐れだ。


「仕方ないな。綾。じっとしてろよ?」


 そう言って朝斗はヒョイッと弟を抱き上げた。


 抱き上げた後でマジマジと弟を見る。


 綾都も不思議そうだ。


「どうしたの? 兄さん?」


「ごめん。ちょっとおろす」


 それだけ言って朝斗は綾都をおろした。


 散々悩んだが対象が瀬希しかいなくて渋々頼み込んだ。


「瀬希皇子」


「なんだ?」


「凄く嫌だしできれば避けたいけど、他に対象がいないから頼み込むよ」


「そんなに嫌なら頼まなければいい。なんだか……嫌な予感がする」


「抱き上げてもいい?」


 朝斗があっさり言って綾都がギョッとして兄を見た。


 しかし言われた瀬希の方がギョッとしていた。


 焦って飛び退く。


「どうしてわたしがっ!! 大体体格も違うし、そちらの方が小さいんだっ!! 無理に決まってるだろう!!」


「だってこの場で綾より思いのは、絶対に瀬希皇子しかいないし」


「……どういう意味だ?」


 瀬希もようやく意味もなく頼んでいるわけではないと気付いた。


 できれば引き受けたくないが理由は知りたかった。


「綾が……軽いんだ」


「いや。それは見ればわかるが?」


「そうじゃなくてっ。いつも綾を抱き上げるのは俺の役目だったんだ。抱いたらどんな重さか、俺が一番よく知ってるよ!!」


「だから?」


 理解しない瀬希に朝斗はイライラする。


「だからっ。信じられないくらい綾が軽いんだってっ!! 全然重さを感じない!!」


「「……」」


 これには瀬希も重さがないと断言された綾都も驚いて朝斗を見た。


「俺がおかしいのか、綾がおかしいのかわからないから、絶対に綾より重い瀬希皇子を抱き上げられるか確認したいんだって!!」


「成る程。そういうことか」


 事情を聞いて瀬希はため息をついた。


 理由はわかったが、さすがに引き受けるのは自尊心が許さない。


 さりげなく近くに置かれている岩に目を向ける。


「重さを確認できればいいんだろう?」


「そうだけど」


「だったらあの道端に落ちている岩は確実にわたしより重い。持ち上げてみればわかるだろう?」


 言われて朝斗が視線を向ける。


 確かに瀬希より重そうだ。


 朝斗には絶対に持ち上がらない重さだろう。


 できれば綾都以外の男なんて抱き上げたくないし、あっちにするかと朝斗はあっさり方針を変更した。


 内心で安堵しながらも瀬希は結果を確かめるような眼差しを朝斗に注いでいる。


 岩なので持ち上げるまでが一苦労だと朝斗も瀬希も、ついでに綾都も思っていたが、朝斗はそれをヒョイッと軽々と、しかも片手で持ち上げてしまった。


 ポーンと放り投げて片手でキャッチしてみる。


「兄さん!!」


 思わず綾都が絶叫した。


 しかし落下速度がついて更に重くなっただろう岩を、朝斗はなんの苦労もなくキャッチする。


 掌で。


 その様子に瀬希も綾都も唖然とした。


 これはただ事ではないかもしれないと三人ともわかったが、朝斗は念のため、もうひとつ試した。


 岩を地面に置いて思い切り片腕を叩き付ける。


 するとメキメキと音がして岩は呆気なく割れた。


 真っ二つにしてしまった朝斗に瀬希も驚きを隠せない。


「成る程。どうやらおかしいのはお前の方だったみたいだな」


「みたいだな。自分でも信じられない。なんだよ? このバカ力は?」


 綾都がやけに軽く感じたわけだ。


 これだけの重さの岩を粉々にできる腕力だ。


 それはまあ病弱な綾都なんて重いとは感じられないだろう。


「元からではないんだな? この怪力?」


「こんな力は俺にはなかったよ。どうなってるんだ?」


 朝斗は混乱している。


 どうやらふたりに起きている異常は、言語がすべて理解できるということだけではないらしい。


 それはわかったが、ここでいつまでも立ち尽くしていても仕方がない。


「取り敢えず宮殿に向かわないか? わたしも黙って抜け出してきたから早く戻らないとまずいんだ」


「ごめんねー。兄さん。抱いて~」


「綾。お前」


 状況を無視してまるで何事もなかったみたいに振る舞われて朝斗は複雑な顔だ。


 チラリと綾都が舌を出す。


「だってどんなに変わっても兄さんは兄さんでしょ?」


「まあ確かに俺は俺だ。じゃあさっさと移動しよう」


 諦めたのかそういうと朝斗は弟を再び抱き上げた。


 複雑な顔を綾都に向ける。


「なに?」


「俺のせいでお前のせいじゃないってわかってるけど、こう重さを感じないとお前が容態を悪化させたみたいで不安だよ」


「すぐに元気になるから」


「だといいな」


 朝斗に異常が出ているように、綾都にも異常が出てもおかしくない。


 それが身体の具合を悪くする可能性を朝斗は危惧していた。


 ふたりのやり取りから、それを見抜いて瀬希も複雑な顔を向ける。


 だが、同情的発言はしなかった。


 ふたりを先導して歩き出す。






 こうしてふたりは華南の宮殿に世話になることになったのだった。

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