第3話
「イタタタ」
呟きながら朝斗は目を開ける。
なにか忘れている気がしてハッとした。
「綾都っ!?」
上半身を起こして振り向けば、綾都はすぐ傍で倒れていた。
「綾?」
そっと肩に触れる。
身体に響かないように調べてみたが、特に傷を負っているようには見えない。
ホッとした。
グルリと周囲を見渡す。
「どこだ? ここ……?」
どう見ても見覚えのない街並みだ。
古典的というのだろうか。
どこの物とも知れない街並みが続いている。
何故古典的だと思ったかと言えば、電線とか電柱とか、本来あるべきはずの物が見当たらなかったからだ。
それだけじゃない。
ふたりは車に跳ねられたはずだが、あそこは信号だったはずで、いきなりこんなところで寝ているなんて、どう考えても普通じゃない。
「う、ん」
綾都が魘された声を出して、朝斗は取り敢えず疑問を放置することにした。
「綾?」
「……兄さん?」
綾都が苦労して身体を動かして上を向いた。
そこに広がる景色に目を丸くする。
「変なことを聞いていい? 兄さん?」
真面目な顔をする弟に答えてやりたかったが、朝斗はあっさりと却下した。
「ここがどこだ? とか。どうやってここに来たのかとか。そういう問いなら悪いけど却下だ。それは俺が知りたい」
「……やっぱりそうか」
綾都は起き上がりたそうだったが、どうやら起き上がれないようだった。
それでやっぱり怪我をしているのだろうかと朝斗は心配になる。
「どこか怪我してるのか? 綾?」
「そういうわけじゃないけど。なんか身体に力が入らなくて」
綾都もさっきから起きようとしているのだ。
ここがどこかは知らないが、こういう知らない場所で寝ていて、問題視されたら困るから。
だが、身体に全く力が入らない。
朝斗は首を傾げてから弟が起き上がるのに腕を貸した。
ふらつきながら綾都が起き上がる。
だが、支えていなければ、すぐにでも倒れそうだった。
「どこかで休めたらいいんだけど。さすがに……」
朝斗が困ったように周囲に視線を走らせる。
そこへどう見ても真っ当に生きてませんと言いたい男たちが声を投げてきた。
「おい。そこの兄ちゃんや」
朝斗が声のした方へ顔を向ける。
綾都は動けないので兄にしがみついた。
なにかあると兄に頼るのが綾都の癖なのだ。
「えっらいキレーな姉ちゃん連れてるなあ?」
「「姉ちゃん?」」
ふたりが顔を見合わせる。
どう考えてもそれは朝斗ではなく綾都のことだろう。
女の子に間違われるのは慣れているが、さすがにこういうときは避けたかった。
男たちの目的が平和に「お茶しましょ?」なんてものじゃないことは、暢気な綾都にだってわかるので。
「悪いことは言わねえ。そこに置いてきな?」
「そうしたら命まではとらねえからよぉ」
男たちがイヒヒと笑う。
朝斗は弟を抱く腕に力を込めた。
綾都に付き合っているせいで、武道なんて習ったこともない朝斗では、三人もの男たちを同時に倒せないのはわかりきっている。
全身で庇うことしか朝斗にはできなかった。
「……兄さん」
綾都が困ったように名を呼ぶ。
このままでは自分のせいで兄を傷付けると思ったからだろう。
だが、朝斗は抱いた腕を離そうとはしなかった。
益々きつく抱き締める。
その様子に男たちが気色ばんだ。
「聞いてんのか、兄ちゃんよぉっ!!」
男のひとりが朝斗の襟首を掴もうとする。
するとそこへシュッとなにかが風を切る音がして、男が慌てて手を引いた。
「そんなところでなにをしている?」
ファンタジーゲームのごろつき風だった男たちの格好から見れば、格段に品が良さそうな豪華な衣服に身を包んだ青年が立っていた。
年の頃は20歳前後だろうか。
右手で剣を握っていて、綾都と朝斗は男たちより彼の方に怯えてしまう。
顔付きは気品があるし、どこから見ても美形で通る。
しかしふたりは剣なんていう物騒な物には耐性がなかった。
男たちは気色ばんで振り向いたが、青年が紫の衣装を身に纏っているのを見て、「ゲッ」と声を出した。
「紫の服……だと?」
「兄貴ぃ。どーすんだっ!? こいつ……皇族だぜ!?」
「「皇族?」」
その言葉の意味するところに綾都と朝斗は顔を見合わせる。
冗談ではないのだろうか。
彼が皇族?
「皇族ならちょうどいい。捕まえて売っぱらっちまえば金になる!!」
「下郎だな。相手の実力も見抜けないとは」
男たちが構えている間に青年が何度か剣を振ってみせる。
それだけでバラバラと男たちの服が切断された。
皮膚一枚傷つけることなく服だけ切断したのだ。
剣の腕前の差は明白だった。
その段違いの腕前に男たちは慌てて逃げ出した。
「覚えてろーっ!!」
という如何にもな負け犬の遠吠えを残して。
それを見送って青年が剣を腰に戻す。
綾都は兄に庇われたままで、真っ直ぐに彼を見た。
スレンダーだが鍛えられているのがわかる身体付き。
身長は兄よりも高いだろうか。
まあ年上だから当たり前だが。
マジマジと見上げてくる綾都に青年は少し困ったように笑う。
「そう熱烈に見られると困るんだが」
「熱烈って」
男同士で使う表現だろうか?
綾都が悩んでいると朝斗が慌てて綾都の顔を自分の胸に伏せさせた。
「兄さん?」
「兄妹か。お前たちどこの者だ? 外見的特徴は華南人と同じだが、顔付きが違う。そんな自国民はわたしは知らない」
「華南人?」
言葉の意味がスッと頭の中で置き換えられる。
今更のようにふたりは気付いた。
彼らと自分たちは同じ言語を使って会話しているわけではない。
使っているのは全く異なる言語だ。
おそらく綾都たちは日本語を。
彼は母国語を使っているはずだ。
その証拠に今意味のわからない単語が出て、その意味が脳内で変換された。
華南人。
華南という国の人間と。
ふたりの脳にはそう理解できた。
「……すみませんがここはどこでしょう?」
「華南の王都、宮古だが?」
また意味のわからない言葉だ。
だが、すぐに脳内で変換される。
つまり華南という国の首都で宮古と呼ばれている場所なのだ。
どうして理解できるのだろうとふたりは悩んだ。
「訊いているのはわたしなんだ。答えてくれないか?」
「兄さん。この人は悪い人じゃないよ。隠さないでほんとのことを言おう?」
腕の中から綾都が訴えてくる。
朝斗だってできるなら味方が欲しい。
だが、出逢ったばかりで信じるのも危険な気がした。
「俺たちが答える前に名乗ってくれませんか? それでこちらだけに打ち明けろと言われても困ります」
皇族と言われたのを思い出して、朝斗はなるべく丁寧に喋った。
後で不敬罪とか言われても困るから。
青年は薄く笑った。
「どうやら兄の方が用心深く頭が働くらしい。相手の身元を先に知るのは確かに重要だ。相手の身元もわからずに信じていたら、自分たちの方が痛い目に遭う」
「貴方が遭わせるの?」
兄の腕の中からやっと顔を向けて綾都が言う。
青年は不思議そうな顔をした。
「何故そんな真似をしなければならない? お前たちが敵国の人間だというなら、それも考えるが外見からして、それはあり得ないし。いきなり危害は加えない」
この言葉を信じていいのかどうか朝斗は迷う。
この言葉は裏返せば敵国の人間、もしくは敵国と通じている人間と判断されたら、危害を加えることも検討すると言っているのも同じだったからだ。
「信じよう? 兄さん? 敵国ってどこのことか知らないけど違うんだし」
「相手が先に名乗ったらな」
朝斗に嫌味を言われて青年が声を出して笑った。
爽やかな笑顔に綾都がビックリしている。
「これは失礼。わたしはこの華南の第一皇子、瀬希だ」
「つまり……将来の王様?」
「いや。華南は王ではなく帝だが? そんなことも知らないのか?」
瀬希と名乗った皇子はキョトンとしている。
綾都の質問が意外だったようだ。
「そもそも俺たちは華南って国を知らないんだ。王か帝かなんて知ってるわけないだろ」
バカにされたのが気に入らないのか、朝斗の口調は刺々しい。
「華南を知らない? そんなバカな……」
「じゃあ貴方日本を知ってる?」
「にほん? 知らない。どこのことだ? それとも二本のことか?」
「どうして数を数えないといけないの?」
綾都は頭を抱えてしまう。
それは瀬希にしても同じだった。
「日本」という言葉が意味不明だったのだ。
単語として理解できない。
「頼る相手間違えたかもな、綾。この人俺たちのこと理解できてない」
「説明も途中で判断しないでよ、兄さん」
ふたりの会話からどうやら理解できなかった単語が、ふたりにとっては重要らしいと、瀬希もようやく理解した。
「済まないがわたしにもわかるように説明してくれ」
「えっと学校はある?」
「がっこう?」
「学舎。そう言った方がわかりやすいか?」
朝斗が言い方を変えてくれて瀬希もやっと理解する。
「学舎か。ないわけではないが、がっこう? ……だったか? そんな風には呼ばないな。ただの小屋だから」
「小屋ねえ」
朝斗はこの皇子にいい印象を抱いていないので、言い方もイチイチ刺々しくなる。
それは皇子が親切だからだ。
綾都を見て親切な男は信用できない。
それが朝斗の偽りのない感想である。
「もうっ。兄さんもイチイチ突っ掛からないの!!」
綾都に叱られて朝斗も口を噤む。
「じゃあその小屋に勉強……勉学を学びに行ったりすることはある?」
「わたしはないが一般はあるらしいな。ある程度の人数が集まれば導師たちが教えてくれるらしい。それがどうかしたか?」
「えっとね。だったらその規模を数百人単位にして」
「数百人? なんて数だ」
あり得ないと皇子が唖然としている。
そんなに凄いことなのかなあと綾都は首を傾げる。
「人数に驚くのは後にして貰える?」
「ああ。済まない。それで?」
「数百人単位が集まれる場所に学舎があって、そこに行こうとしてたんだよね。そうしたら信号で仔猫が飛び出してきて」
「しんごう? なにかの暗号か?」
「あっと。道を渡ってもいいか悪いかの合図?」
「成る程。お前たちの言うことは難しいな」
感心されて綾都は可笑しくなる。
自分がやけに落ち着いているのは、きっと兄が一緒だからだろうと感じつつ。
「それで道を渡ったらいけないのに、そこに仔猫が飛び込んできて、助けようとして飛び出したんだ。車の前に」
「くるま?」
「自動車……ない?」
「自動車? ああ。ダグラスにはそういう乗り物があるらしいな。あまり一般的ではないらしいので、ダグラスでも未だに馬車を使用するらしいが」
ダグラス。
そう言われたとき、意味が脳内で変換される。
そういう国があるんだなとふたりは理解した。
「その珍しい乗り物が普通にあってね?」
「つまりお前たちはダグラス人か? だが、その外見は……。まさか召還獣?」
皇子の奇妙な問いに綾都は頭を抱える。
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