衝撃的な憂い事
礼子の泣き顔を見ていたら怒る気も失せた。一時はそう思った健太だったが、ソファで丸くなって寝ていたカルパスを抱き抱えた当たりで心を鬼にする決意を固め、文句を礼子に連ねた。
「……はい。ごめんなさい」
当人としても失態だったと思っていたようで、礼子は落ち込みながら謝罪をした。
良心の呵責に苛まれながら、カルパスの身の安全確保のためだと割り切った。
「まったく。また同じようなことをするなら、これからはカルパス、ウチで預かりますよ?」
「……出張の時は、そうしてくれると助かるかも」
「え?」
「いっいえ……その。最近、またロケでの仕事が増えてきまして……。泊りがけになることもしばしばあって、餌だし機能付きのホームカメラを買ってご飯はちゃんと上げているんですが……。やっぱり少し不安なんです」
世界的に流布した疫病も、流行から三年経ち、ワクチン接種なども始まったことで、マスク非強制など、ようやく規制も緩和されつつある。故に、ここ数年まともに行えていなかったロケの仕事も、最近では復活傾向にあった。
といっても、テレビはあまり見ない健太にその話はあまりピンと来なかった。ただ、そうなんだ、と感心するばかりだった。
「それで、この子も懐いてるようですし、その間は岩瀬さんにこの子の面倒を見て頂けると助かるなって」
「……なるほど」
礼子の話を聞いて、率直に言えば健太は少し困った。つい先日、礼子のマネージャーが自宅に押しかけ、礼子との関係を解消しろと迫ったのは記憶に新しい。毎夜の晩酌は続けているものの、深入りしすぎるとまた怒られそうだと思ったのだ。
「だ、ダメでしょうか……?」
しかし、礼子が涙混じりに断りづらい雰囲気を作ったこと。そして、なんだかんだ腕の中で眠るカルパスに愛着が湧いてきていたこと。
「わ、わかりましたよ」
健太は、せめてカルパスが寂しい思いをしないように、と言い訳がましく思いつつ、礼子の申し出に応じた。
「ありがとうございますっ!」
大層嬉しそうに、礼子は頭を下げた。
そんな彼女に、不思議と健太は悪い気がしないのであった。
「……で」
浮かれそうな気持ちを押し留めて、健太が目を細めたのはそれからすぐのことだった。
「なんで、また窓を開けて外出したんです?」
礼子不在時にカルパスを預かる話をされたと言え、健太はその話をすることを忘れていなかった。
むしろ、今さっきカルパスを預かる話に話題が転じたのは礼子の不注意が発端だった。では何故、礼子は不注意をするに至ったのか。そこを解消しないことには、また礼子は同じことを繰り返すだろう。
「……実は」
重々しい玲子の態度に、健太はこれはまた面倒ごとだと悟った。気付けば身構えていた。
以前健太は、素面の時にまるで他人を頼れない礼子を叱責したことがあった。そして、困ったときには自分を頼れとさえ言った。
……しかし健太は、礼子の職場友達を作る、という願いを叶えることが出来なかった。
なんだかんだ最終的に、礼子には職場友達は出来たのだが、彼女の仕事関係の相談は自分の手には負えない、と健太は痛感していた。
前の一件があるから、礼子からお願いされようものなら健太はそれを叶えるべく尽力しなければならないのだが……果たして、件の女性の悩みは一体何なのか?
頼む。
健太は願った。
頼む……!
どうか、自分でもどうにか出来る話であってくれ……!
「……実は、今度、月九ドラマの番宣で特番に出演することになって。それが不安でうっかりしてしまいました……」
仕事の相談でしたー。
いやいや、仕事の話とはいえ、まだ自分の手に負えないかはわからないじゃないか。
頷きながら、健太は再び頼むと願った。
「その特番、所謂モノマネ大会で」
「……はぁ」
「あたし、その番組でサプライズで歌を披露することになってしまったんです」
「……何か問題でも?」
「……笑わないで聞いてくれます?」
「……はぁ」
「あたし、音痴なんです」
頬を染めて赤裸々に告白した礼子に対して、健太は首を傾げた。
モノマネ大会というのなら、美声を披露することを主目的にするわけではないのだから、音痴なら音痴なりのセカンドビジネスチャンスになるのでは、と思ったのだ。
「い、一応あたし……清純派女優で売ってるんです」
絶えず赤裸々に礼子は言葉を紡いでいく。
「そんなあたしが下手くそな歌を歌って、イメージダウンに繋がるのではないかなって」
健太も絶えず、首を傾げていた。
「それに、あたしが歌う時はサプライズとして歌手本人も一緒に登場することになっているんです。隣で下手くそな歌を見せて、恥を掻かせるわけにはいかないんです」
「あー、それはまあ、そうかもですね」
他人に迷惑をかけてはいけないという趣旨の発言に、健太はようやく納得した。
「ただ……」
ただ健太は、納得こそすれど、疑問は尽きなかった。
「それ、俺より他に頼れる人いませんか?」
「……こ」
頬を染めた礼子は、唇を尖らせて俯いた。
「こんなこと頼めるの、岩瀬さんしかいません……」
不貞腐れたようにも、照れてるようにも見える礼子の態度に、健太はクラリとした。
どうやら礼子にとって音痴であることは、改善に一役買えそうな仕事仲間より、健太の方が頼れる案件らしい。恐らく、彼女の大女優なりのプライドなのだろう、と健太は推察した。
「わかりました。引き受けましょう」
そもそも過去のやり取りがある時点で、健太は礼子の願いを無下にすることは出来なかった。
「あ、ありがとうございますっ」
嬉しそうに快活に礼子が頭を下げるが、健太の中の憂いは尽きなかった。
「でも、俺に出来ることなんて限られてますよ?」
「……正直それは、重々承知しています」
それは良かった、と健太は安堵のため息を吐いた。
それと同時に、ならば俺を頼るなとも思った。
そして更に言えば、そんな頼れるかもわからない相手に何をさせるつもりなのか、と考えてみることにした。
「岩瀬さん。お願いがあります」
健太が考えている最中、畏まって礼子が頭を下げた。
「あたしと、カラオケに行ってくれませんか?」
そう願い出た礼子に、健太は再び首を傾げた。
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