運命的な誘い

 夕飯中の礼子の来訪に、健太はまずは夕飯とお風呂を済まさせてくれと懇願し一度彼女を家へと帰した。恐らく今日も、遅い時間まで礼子宅での飲み会は続くだろうことは、想像に難くなかった。


「お待たせしました」


 健太がインターホンを押して言うと、


「遅いー」


 不機嫌そうな礼子の声が、返ってきた。

 もしかしたら機嫌を損ねて今日は帰らせてもらえるかと思ったが、当然そんなことはなく、健太はまたまたまた礼子の部屋にお邪魔した。


「今日、休みだったんですか?」


「せいかーい」


 上機嫌な礼子。

 健太が、礼子の今日の勤務状況がわかった理由は、彼女の部屋が昨日に比べて綺麗になっていたからだった。


「一生懸命頑張りましたよ、岩瀬さんを家に上げるために」


「ありがとうございます」


 社交辞令で、健太は微笑んだ。そもそもそこまで部屋を汚すなよ、と思ったが口には出さなかった。


「お休み、満喫出来ましたか?」


 健太はこの前座っていたところと同じ場所に腰を落とした。目の前の机には、既に飲み始めていた礼子が開けたであろう日本酒の酒瓶が置かれていた。


「満喫出来ました。お昼からずっと飲んでましたものっ」


 礼子に手渡されたおちょこを、健太は危うく床に落としかけた。動揺は必至だった。


「……お昼から?」


「はい。最近の世界情勢はありますが、この前久しぶりに新潟の湯沢にロケで行けまして」


 目の前に日本酒がある意味を、健太はなんとなく察した。

 余程嬉しかったのか、エヘヘ、と礼子は笑っていた。


「いやー、やっと開けられたんですよ。この日本酒」


 日本酒は、四分の三は失くなっていた。


「体に良くないですよ?」


 健太のそれは、本当の心配だった。毎日毎日浴びるように酒を飲んで、これじゃあアルコール中毒者だとさえ思った。


「……いつもはこんなに飲みませんよう」


「そうですか?」


 毎夜の騒ぎ声。

 数日続く彼女との晩酌会。

 とても、それが本当だとは健太には思えなかった。


「本当ですー。もう、岩瀬さんのこと嫌いになっちゃいますよっ」


「……ハハ」


 日頃の礼子ならしなさそうなお茶目な反応に、健太は苦笑しか出来なかった。


「まあ、ここ最近は少し浮かれているところはあります」


 しかし、どうやらこの晩酌会には事情があるらしい。

 一応、怪しさはない足取りで、礼子は一旦席を立った。


 しばらくして戻ってきた礼子が持っていたのは、緑色の冊子だった。


「……これは?」


「再来期にやる連続ドラマの台本でーす」


 大層嬉しそうに、礼子は言った。

 健太は台本と聞いた途端、なんて恐れ多いものを持たされたんだと少し震え上がった。


「大丈夫ですか、部外者に見せて」


「駄目かもです」


「おい」


「アハハ。大丈夫です。だって岩瀬さん、誰にも言わないでしょ?」


「……まあ」


 それを言うことはイコール、そもそも有名人である彼女と夜な夜な晩酌をしていることを言うことと同義。そんなこと、健太には口が裂けても言えるはずがなかった。

 少しして、健太は一つの疑問を抱いた。


「でも吉田さん、あなた連続ドラマだったら既に何度も出ているんじゃないんですか?」


 かの映画で脚光を浴びて以降、礼子の出演するドラマ、映画の本数は他の追随を許さない。それ程の人が、どうして一つのドラマ程度で盛り上がれるのか。


「そうですが。……今度は、月九ドラマの主演を任されることになったんです」


「ほう」


 月九ドラマは、ニュース以外のテレビをあまり見ない健太でも知っていた。某テレビ局の月曜九時から放送されるドラマの総称のことだ。


「最近は月九も低調と聞きましたが、それでも嬉しいものなんですね」


「あたし達の学生時代、ドラマと言えばまだまだ月九は強かったですから。……そんな栄誉ある時間帯のドラマに出れることが、嬉しくて。嬉しくて」


 感慨深げに、礼子は優しく微笑んだ。

 嘘偽りのない素敵な礼子の笑顔に、健太は少し見惚れていた。


「それで、最近は浮かれてお酒の本数も増えた、と」


「はいっ!」


「それなら尚更、体調管理は万全にするべきだと思いますよ?」


「はい……」


 憧れの月九を引き合いに出したためか、酒に酔っている礼子にしては珍しく素直に反省の色を見せた。


「でも、少しくらい浮かれるのはしょうがないんです。この時間帯のドラマに出るために、知名度上げのため、日曜朝の情報番組のパーソナリティーになったり、朝が弱いのに色々頑張ったんですっ」


「なるほど。それで最近はマルチに仕事をしていたんですね」


「今の時代はドラマの番宣のために俳優がバラエティーによく出ますし、あたし、バラエティーは苦手なんです。マネージャーとしては、後々の練習のためでもあるってことでした」


「良いマネージャーを持ちましたね」


「はい。本当、いつもあたしのことを第一に考えてくれる、いい人です」


 でも、友達ではないんだなと健太は思った。仕事仲間というやつなのだろう。


「ちなみに吉田さん、吉田さんが演じる役はどんな役なんですか?」


「はい。ロボットです」


「なんですって?」


 思わず、健太は聞き返していた。

 聞けば、今度のドラマのストーリーは、荒廃した世界でロボットの女性と異世界転移した主人公のラブストーリーとのことだった。

 あまりに飲み込みづらい話に、健太は適当な相槌しか打つことが出来なかったが、礼子が冗談で言っている雰囲気は一切なかった。


「実はあたし……自分の役のキャラがまだ掴めてなくて」


 困り顔で、礼子が言う。

 当たり前だ、と健太は思う。


「そうだっ」


 しばらく困り顔をしていた礼子が、突然手を叩いた。どうやら妙案を思いついたらしい。

 薄々、健太は嫌な予感を感じていた。


「岩瀬さん」


「はい?」




「ちょっと、演技の練習に付き合ってくれませんか?」

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