第2話 酒は飲んでも呑みこまれるな

「それでさあ、会社の上司がねちっこい性格でね、自分が苦手な仕事ばかり押しつけてきてさあ……」

「分かるー。自分は楽してるくせに、あんたより、沢山の給料貰ってるんでしょ。おかしな格差社会だよね」


 ガヤガヤと賑やかな声が周囲に広がる夜の居酒屋の席。

 僕は招待状の通りに高校の同窓会に来ていた。


 あの競馬で当てた大金は全額引き出し、家の金庫に預け、僕はいつもの会社でのスーツ姿だ。


「ねえ、君、ちゃんと飲んでる?」


 麦茶の入ったグラスを片手に、部屋の隅で一人で飲んでいると、黒髪ロングの清楚な女性から声をかけられる。

 はて、この女性はどこかで見覚えがあるような気がするんだけど……。


「えっと、ひょっとして筒清つつしみさん?」 

「ええ、そうよ。伊瀬場いせば君、私のことを覚えていてくれたんだね」

「筒清さんこそ僕の名前を……」

「ええ、高校を卒業して離ればなれになったので心配していたのよ。あの時、連絡先くらい聞いていれば良かった……」


 筒清さんは茶色のコートを脱いでいて、黒いフリースに赤いチェックのロングスカートという地味めな格好だったが、顔つきや物腰の柔らかさはあの頃と変わらない。


 僕は高校で一緒の教室になった頃から筒清さんのことが気になっていた。

 でも意気地無しな僕に、その告白はできずに、いつも遠巻きから筒清さんを見てきたのだ。


「筒清さん……」

安希穂あきほでいいよ。興隆こうりゅう君」


 安希穂さんが微笑みながら僕の傍にゆっくりと寄ってくる。

 ちょっとお酒くさいけど、近くで見ても薄化粧で綺麗な女性だ。


「私、ちょっと飲みすぎたかも知れないわ。気分が悪いな……」

「安希穂さん大丈夫? トイレまで同行しようか?」

「ありがとう。興隆君は優しいね。でも……もっと二人っきりの場所で話をしたいな……」

「えっ?」

「ねえ、電話先交換したら、二次会は別の場所でしない?」


 僕はその日、初恋だった女性をホテルへとお持ち帰りした。


****


「もう信じられないわー!」


 次の朝、共に一夜を過ごした安希穂さんが逆上して僕に突っかかってくる。


「本当に私を酔った勢いで襲ってないでしょうね?」

「ああ、だから、この身に誓って何もしてないって……」 


 何だ、僕に気がある誘いじゃなくて、純粋にシラフに見せかけた高度な絡み酒だったのか……。

 ここに着くなり、泥酔で爆睡した安希穂さんをベッドに寝かせ、改めて僕は紳士に振るまって(床で寝た)良かったよ。


「じゃあ、興隆君。何でラブホテルで同室なのよ?」

「いや、どこのホテルも予約と先客で埋まっていて……」


 それに持ち金も少なく、空いてる普通のホテルは万単位の高額だったし、飲み屋から比較的近くて安上がりなホテルがここだったという話をしようにも余計に火に油を注ぎかけない。


「はあ、こんな所をお父様に見られたら最悪だわ」

「お父様って、安希穂さんってお嬢様?」

「ええ、お父様は私が大学入学後に財閥の仲間入りに選出されたのよ。今の私には許嫁だっているんだから!」

「ええっー、許嫁だって!」


 僕の純粋な心が粉々に吹き飛んだ。


「ああ、こうなる恐れがあるから飲み会には参加したくなかったのよ。交流目的とはいえ、誘いを引き受けたお父様を恨みたくなるわ」


 安希穂さんがカードキーをドアのセンサーにかざし、キーロックを外して部屋を出て行こうとする。


「いい? このことは二人だけの秘密よ。親にばらしたら、ただじゃおかないんだから!」

「場合によっては打ち首だからね!」


 今どき、打ち首もどうかと思ったが、金持ちのやることは分からないな。


 それにしても昔はこんな強気じゃなく、守ってあげたいようなピュアな性格だったのに。

 長年知らなかった分、安希穂さんは随分と変わったな……。


「はあ、しかも将来に結婚する男もセットだと……」


 フラれた上に許嫁付きという心をえぐるオプション。

 僕は初恋だった女性を前に見事に惨敗したのだ。

 でも今はそこで嘆く場合じゃないだろ。


「いや、僕だけじゃなく、安希穂さんにも十分なはあるよ! 君はこうなることも想定して同窓会に来た。知っていて行動に移した君も悪い!」

「何よ、子供染みた顔のくせに話の筋は通っているわね」

「このまま逃げ帰ったら君のお父さんにこのホテルでの出来事をばらす。もしばらされたくなかったら、こちらの要求も飲んでもらう」

「なっ、何が目的よ?」


 安希穂さんがドアノブから手を離し、僕のいる部屋へと戻り、目の前へとやって来る。


「簡単なことさ、明日のクリスマスイブの夜にレストランで一緒に食事をしたい」

「はあ? そんなことでいいの?」

「ああ、好きな人とディナーを楽しんで何が悪いんだよ」

「えっ、興隆君、私のことが好きなの? 困ったわね。私には許嫁がいるのに。これが恋の三角関係というものかしらw」


 そこで安希穂さんが、なぜ笑うのかは疑問だったが、僕は確かに手に入れていたんだ。

 恋という名の割引食事券を……。


****


 次の日、職場にて青空さんがニヤニヤと僕の横っ腹を指でつつく。


「ねえ、興隆。スマホで競馬ニュース観たよ。一億円当たったって?」

「ええ、そうですが? 今さら返しませんよ?」

「別に良いわよ。今回はあたしがお金を払った馬券じゃないしね」

「えっ、そうなんですね?」

 

 どうしたのだろう、大好きそうな競馬の話になっても、やけに食いつかない……。


「それよりもこの前、先輩がくれたディナー券が早速、役に立ちそうです」

「おおっ、ついに興隆にも春が来たか。そっか、今日はクリスマスイブだもんね」

「君の分の仕事は、今日はあたしが肩代わりするから、精々、頑張ってな」

「ありがとうございます」

「いいってことよ」


 そう言って青空さんは忙しそうに自分のデスクへと戻っていった……。


****


 クリスマスイブの夜。

 青空さんのフォローのお陰で仕事を定時に何とか終わらせた僕は職場の近所にあるフレンチレストランの席に座っていた。


 時間は夜の七時。

 約束の時間になっても安希穂さんは来ない。


「遅いな……」


 僕は安希穂さんに電話をかけるために席を空けて化粧室に向かう。


「もしもし、安希穂さん?」

『お前が伊瀬場興隆だな……』

「んっ、そうだけど、お前は誰だ?」

『ふふっ、そうだな、お前の上司が勤務してる会社繋がりの者さ。それよりも女は預かった。助けて欲しければ一億円を用意してレストランから離れた空き家に来い……詳しい場所は……』

「おい、待て、彼女の家は資産家だろ。金を要求する相手を間違えてないか? それに今どき現金を持ってこいだなんて?」

『能書きはいいから早く来るんだな……』


 そこで男との連絡が途絶えた。


 こうしちゃいられない。

 僕は店長に嘘の事情を説明して、レストランでの食事をキャンセルし、急遽、金庫が眠る家へ戻ることにした。

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