明るい未来

 目標となる児童福祉司を目指す中、もっとも嬉しかった出来事を挙げるなら児童福祉法改正案だ。


 諸事情で、親元で暮らせない子どもたちの自立支援について。

 厚生労働省はついに、最長22歳までとする対象年齢の制限を見直す方針を固めた。


 仮に既卒となってしまった場合でも。

 就労支援など他の制度につなぎ、自立のめどが立つまで暮らせるように変更するという。


 ケアリーバー(施設退所児)の孤立を防ぐため児相と連携し、必要に応じて支援を行っている市町村もすでに出てきている。

 これで少しでも、進学を諦めたり貧困にあえぐ不幸な子が減るといいな。



「それじゃあ、元気でね」

「せんせまたねー」


 今日はひとり、わが施設の子供の委託が決まった。


 駐車場にてお別れの挨拶を交わして、見送りに来てくれた他の子供たちと一緒に手を振る。

 自分も施設を出るときはこんな感じだったっけ、確か。


 最初のうちはわたしの後ろに隠れたり、口数もほとんどなくて緊張しているみたいだったけど。


 面会交流を辛抱強く重ねるうちに、子供は里親候補の方にだんだん懐いていった。

 絆を育んでいく光景はいつ見ても心が温かくなるね。


 ……まさか、その里親さんのひとりが昔の知り合いとは思わなかったな。



「ご立派に成長されましたね、光岡さん」

「お褒めに預かりたいへん恐縮です。まだ若輩者の身ですが、力になれるよう全力を尽くす所存です」

「私も里親としては新米ですよ。ですがようやく、目指していた一歩を踏み出せて喜ばしい限りです」


 かつての高校時代の教員、本田先生はわたしへ恭しく頭を下げる。


 何かございましたら包み隠さずご報告いたしますので、よろしくお願いいたしますと。

 それから記憶と変わらぬきびきびとした足取りで、先に進む里子と奥さんらしき女性のもとへと歩いていった。


 もう立場は違うのに、いつも厳格なイメージがあった方に頭を下げられるのは恐れ多すぎる。

 緊張でさっきから体は汗ばみガチガチだ。


 そっか、本田先生も里親を目指していた方なんだね。だから皐月には惹かれるものがあったのかなあ。


 同じく夢を追って叶えた、遠ざかる背中へと祈りを送る。

 どうか、3人が良き家族になれますようにと。


 車が発進したのを見届けて、長い息を吐くと。施設へとわたしは踵を返した。

 次はべつの家庭訪問の時間が迫っている。相談業務だけでも多岐にわたるため、休んでいる暇はないのだ。


 大学を卒業してはや数年。

 福祉施設で実務経験を積んで、任用資格を取得して、地方公務員試験に合格して、最近やっと児相に配属されたばかりだ。


 ようやく念願叶って”児童福祉司”と職業欄に書くことができたけど、名乗れるようになっただけでまだぺーぺーなことには変わりない。

 今はひたすら、仕事の流れをつかんで慣れるのみだ。



「それでは、失礼いたします」


 家庭訪問が終わり、お昼休憩の時間になった。

 今日は外勤のため、わたしはひさびさに学生時代にバイトしていた飲食店で食べることにした。


 ここのモールも、久しぶりだな。

 春先ということで『新生活応援フェア』ののぼりや看板があちこちに飾ってあって、店内は暖色をベースとした温かみを感じる季節装飾がなされている。


 桜をイメージした薄紅色のプリーツハンガー、天井から下がってて綺麗だな。

 一足早いお花見だ。


「へいらっせー」


 微妙に気の抜けた声に出迎えられ、懐かしさを覚える。

 遠くからでも目立つ赤毛と、日本人離れした顔立ち。アスカは当時と変わらぬ面影を残して、店頭に立っていた。


 彼女は高校卒業後に正社員として別店舗に配属され、最近本部にその働きぶりを認められてマネージャーに抜擢されたらしい。

 どうやら今日は、ここの応援に回っているようだ。


「あっれー、光岡さんじゃん」

「およ」


 知り合いの職場で知り合いとエンカウントするとは珍しい。

 カウンターに注文したラーメンを取りに来たところで、背後から三井さんに声をかけられる。いまお店に入ってきたばかりみたいだ。


「よかったら相席してもよろし?」

「よろしよろし」


 お昼時だけど、今日はあいにくの春雨。

 客席は比較的空いているから、注文自体もそんなに待たずに来るだろう。まあ厨房ざっと見た感じ、アスカともう一人だけで回してるみたいだけど。


「三井さんも外回りなんだ」

「まあ営業っすからね」

「営業かー。メンタル試されるね」

「逆に言えば、めげない心さえあればいいんだけどね。食いっぱぐれはないしコミュのスキルは培えるし」


 春季限定らしい『紅白ラーメン』をすすりつつ、しばしの近況トークを交わす。

 紅白ラーメンつっても、ただ白い餅と赤く色づいた餅のっけただけの醤油ラーメンだけどね。

 餃子まで食紅で赤くなってるのは笑ったけど。


 ちなみに山葉さんは近くの市役所に勤めていて、たまに顔を合わせる。

 窓口業務もまた、いろんな市民を相手にしないといけないから大変だよね。


 市役所職員って勝ち組だなーって勝手にイメージ抱いていたけど、市によって給料格差があるって前に聞いたし。

 繁忙期は定時で帰れないみたいだし。


「てか、光岡さんはそれ以上にメンタル試される仕事でしょ。物売ってるうちらとは違って、いっぱいいっぱいな親御さんと向き合うわけだし」

「よくぞ聞いてくれました……」

「いろいろ溜まってるならうちに吐き出しちゃいなよ」

「んー、守秘義務もあるからだいぶフェイクは入れとくね」


 地区担当制のため、割り振られた場所にある家庭はすべて一人の職員が請け負う体勢となっている。


 担当者は変わらないため、ずっと同じ人が見守ってくれるという安心感は与えられるものの。

 一度嫌われたらずっと目の敵にされることも意味する。


 今日訪問に行ったご家庭は、何度か虐待の通報を受けたケースだ。

 そこの親御さんからは、何度も罵声を浴びせられたこともある。


『一生懸命神経をすり減らしながら、日々子育てに励んでいるのに。子供の大声だって夜驚症やきょうしょうによるもので、職員のくせにその言葉も知らないだなんて。あなた、本当に子供を育てたことがあるの?』


 夜驚症は睡眠障害のため、治療法は睡眠衛生の徹底や漢方薬による治療で経過を待つしか無い。

 多くは成長の過程で症状が落ち着いていくものだから。


 だけど、日々子供のギャン泣きで睡眠を妨げられ。

 いつ虐待と疑われるかはらはらしながら過ごす、親御さんのストレスは計り知れないものだろう。


 どうしたら、手を上げず子供と一緒に暮らせるか。

 職員は何年もかけて、信頼関係を築いていくしかない。


「でも、嬉しいこともあるよ。あなたが担当で良かった、って感謝されたり。施設を出た子が先生に会いたくなって遊びに来たー、とかたまにあるもの」

「うへー、聞いただけでうちには務まりませんわ。理不尽にガミガミ叱られてよくキレないね」

「わたしがその昔、理不尽のカタマリだったからなぁ」


 だから、今になって手放さざるを得なかった母親の気持ちを痛いほど実感している。

 親だって人間なんだという、当たり前の理屈を。

 身の回りの世話をなんでもこなし、なんでも受け止めてくれるのが当たり前ではない。


 すべてが親の責任だと周囲に追い詰められ、孤立していく前に。

 ひとりでも親の立場になって、味方として寄り添ってくれる大人の存在が必要なのだ。


「ま、世知辛い大人の話はここまでにしといてさー」

 お冷を呷った三井さんが、急に落ち込み気味だった声のトーンを明るめに変えた。


「式、もうすぐなんでしょ。楽しみにしてるね。山葉さんもそう言ってたよ」


 意味深に小指を立てて、三井さんは歯を見せて笑った。

 学生時代の屈託のない笑顔をいつも見せていた面影が、一瞬重なる。


「うん。ようやくね」

「でも、なんで5月? 6月のほうがジューンブライドで縁起いいのに」

「そりゃー、譲れぬこだわりがあるもので」


 いまいち腑に落ちない顔を浮かべる、三井さんと一緒に店を出た。

 帰り際に、アスカからも『ちゃんと家族サービスはしてやるんだぞー』と冷やかされる。


 相手が相手だからアスカは躊躇しそうだと思ったけど、良いメシ食えるからって出席してくれるらしい。


 応援してくれる、たくさんの友人を得られたことに。改めてわたしは感謝した。

 さ、午後もまた頑張りますか。



「おかえりぃ、あきちゃん」

「ただいま」


 仕事を終えて帰宅すると、現在の里子であるレイちゃんが玄関まで来てくれた。


 彼女は中学生のときから預かっている子で、金銭的な事情で(病に倒れて収入の目処が立たなくなったらしい)実親と暮らすのが難しくなり今に至る。


 高校生になった今は、ちゃん付けでわたしに懐いてくれるようになった。


「お水、朝忘れてたでしょ。替えといたよ」

「あー、ありがとう。助かるよ」


 レイちゃんは、窓際にあるサツキの盆栽を指差した。

 水を得た苗は枝ぶりが良く、葉が瑞々しい若草色に伸びている。


 いけねいけね。最近植え付けしたばっかだから、根がしっかりと張るまでは水を切らしちゃならないんだった。


 毎年美しい花を咲かせてくれてるのだから、この子も家族と同じくらい大事にしないとね。

 皐月との思い出の品でもあるんだし。


「母さんもそろそろだろうから。帰ってきたらご飯にしよっか」

「あきちゃんもかーちゃんでしょ」


 べつに奥さんなんだから名前でいいのに~、とませたうちの子は肘でつついてくる。


 いやあ、子供の前で配偶者の名前を呼ぶってなんか生々しくて嫌かなって。

 いくら婦妻であっても、うちらは人の親でもあるのだから。

 あとは単純に役割で相手を呼ぶあこがれがあったのもある。


「あきちゃんって、皐月さんとどんな条件で知り合ったの?」


 お年頃で興味津々なのか、レイちゃんは馴れ初めを聞いてきた。


 相方がさん付けなところに格付けを感じる。

 皐月からは未だに子ども扱いされるせいだ絶対そうだ。

 確かに客観的に見て、今の自分が大人として成熟してるとは言い難いけど。


 今の恋愛の主流は恋愛希望調査で条件となる相手を絞って出すものだけど、わたしたちの出会いはいろいろと斬新だ。


 まさか里親と里子でーすとは言いづらいし、教師と教え子だったんですよとはもっと言いづらい。

 フィクションじみている。事実は小説より奇なりだ。


 なので。


「かーちゃんとかーちゃんはねぇ、いとこ同士だったんだよ」


 嘘は言ってない、いちばん無難な表現へと逃げた。


「へー、接点そこからなんだ。珍しいね」

「でしょ?」

「だって、意図的に探さず出会ったわけでしょ。いとこ同士だから積み重ねもあったかもしれないけど、身近な場所に運命があるってすごいことだよ」


 夢がふくらむ言葉に乗せて、レイちゃんは目を輝かせながらロマンチックだと受け取ってくれた。


 運命、ねえ。

 お見合い婚やマッチングアプリで相手を探すのが今は当たり前だから、こうした自然恋愛は確かに運命的な確率なのかもしれない。


 自分が好きな人が自分を好きって、これ以上に嬉しいことはないもの。



 その後、皐月が帰宅して3人で和気あいあいと食卓を囲んで。

 夜のドラマも終わり、レイちゃんは自分の寝室へと向かっていった。


「ふー……」


 冷蔵庫からジュースを取り出していると、お風呂から上がったばかりの皐月が隣に並んでグラスを掲げた。

 晩酌どうですか、のサインだ。


「よろこんで」

「ふふ、今日も一日お疲れ様でした」


 深夜をまたぐまでの、わずかな時間。

 このひとときが、一日のなかでもっとも好きだ。


 どんなに仕事が忙しくなっても、ふたりの時間は毎日こうして作ってあげたい。

 ちいさなふれあいの積み重ねが、永遠の愛へとつながるものだから。


「さ、どーんとお姉さんの胸に飛び込んできたまえ」

「あいよー」


 遠慮なく、豪快に両腕を広げる皐月の胸へとわたしはダイブする。

 誰にも見せられない、甘えたわたしを見せられるのはこの人だけだ。


 よーしよしよしよしと幼児みたいに頭を撫でくり回されて、温かさと柔らかさと香りと愛を堪能する。


 ああ、幸せ。

 蕩けていく頬と思考に、今日一日の疲れまで抜け落ちていくようだった。


「さつきー。もっとー」

「はは、甘えん坊さんめ」


 たっぷり抱擁を受けて、風呂上がったばかりなのにまた頭がのぼせていく。


 口調まで幼児退行したわたしは、お返しとばかりに皐月の頬を挟んだ。

 疲れてるのはわたしだけじゃないからね。


「っ……」

 そっと、淡紅色の唇に重ねた。


 皐月は年齢を感じさせないくらいどこもかしこもぴちぴちで柔らかいけど、ここはもっと瑞々しい。


 重ねるたびに、もっと触れていたいととめどない欲が湧き上がっていく。

 願わくば、朝がこのまま来なければいいのにと思ってしまうくらいには。


「皐月ってほんときれいだね」

「彰子だってずっとかわいいよ」


 そのかわいいは子供扱いされてそうでなんとなく癪だけど、実際甘えるときは子供に戻るので何も言い返せない。


「あとは、遺伝子工学の発達かな。遺伝子の配列をリセットできる”エピジェネティクス”って操作が可能になって、元通りの細胞に若返る研究が進んでいるから」


「でもあれ、山中因子を発現させる必要があるんでしょ? 元に戻る際にガン化するリスクもあるって聞いたけど」


「抗がん剤の研究も進んでいるよ。昔の薬はがん細胞と一緒に正常細胞を壊してしまうから、患者の負担が大きいデメリットがあったけど。がん細胞だけを狙い撃ちする光免疫療法も受けられるようになったんだ」

「わー、かがくのちからってすげー」


 DBの行き過ぎた研究ばかりが報道されて、正直怖いところもあったけど。

 ちゃんと良い方向に向かう研究も進んでいるんだね。

 TVってこういうのはあんまり報道しないんだよなあ。


「DBは正直、他国の報道のほうが怖いね……かの国なんかはついに人工子宮が導入されたって聞くし」

「そう? 出産やつわりの苦しみを減らせていいとも思うんだけど」


 でもそれだと、単身者でも子供を持てるしね。つか国で秘密裏に大量生産されてんのかなって疑うと、なにそのディストピアって震える。

 家族形態の崩壊になるから、たぶん日本じゃ導入は無理だろうな。


 子供には何よりも親的存在の愛情が大事なんだって、わたしも皐月も今の仕事と里親制度で知ったから。


「どんなにAIの知能が高くなっても、人と密接に関わる私達の仕事は人間以外には務まらないと思ってるよ。だから、教育現場の働き方改革を推進してる今の時代はいいものだなって思う」

「最後に愛は勝つってやつ?」

「人間である以上はね」


 ひらがなも”あい”から始まるしねー、と洒落を言って皐月はわたしの手を取った。


 重ねて、指を絡める。

 指先から伝わるぬくもりが、ほわほわと頬に熱をともらせていく。


 思えば、最初に彼女を意識したのも指先に触れてからだったな。

 手をつなぐって、親密な関係でなければできないこと。

 子供は親に触れて、愛情を感じるもの。


 わたしは、皐月から数え切れないほどの愛情をもらった。そして、愛したいと思うようになった。


 でも、実の親だってわたしに何もしていなかったわけがないのだ。あの頃のわたしはそれを愛だと受け取れなかっただけで。


「…………」

 皐月と指を絡めながら。

 先日届いた、達筆な文字で綴られた一枚のはがきを思い返す。


『大学卒業、就職、そしてご入籍おめでとうございます。ただ、それだけをお祝いに筆を執りました。いまさら何様のつもりで寄越しに来たのかと、思われても仕方がないと思います。不愉快でしたら破棄していただいて構いません。ですが、今でも私たちはあなたの明るい未来を祈り、願っております。いつまでも』


 もう、顔も忘れてしまった、もとの親からの言葉。

 養育里親は実の親にも同意を得る必要があるため、たとえわたしが打ち明けなかったとしても親戚づてに皐月とのことは耳に入ったかもしれない。


 胸中は推し量れなくとも、お祝いの言葉を頂けるのは嬉しいと思った。

 さんざん迷惑をかけたのはわたしなのだから。

 信じて里親に承諾した従姉とこういった関係になるなんて、受け入れられなくて当たり前の案件だろう。


 どう言われても思われても、この人と人生を歩みたい気持ちは変わらない。

 わたしは隣の伴侶に寄り添い、ともに幸せになろう。

 願ってくれたとおりに、明るい未来を歩み続けられるようにがんばろう。


「来月、楽しみだね」

「きっといい式になるよ」

 その先の未来に思いを馳せて、ふたたび唇が触れ合う。


「愛してる」

「うん、ずっと。この先も」


 愛の言葉を交わし合って、接吻を交わして。

 言葉と体で何度も愛のやりとりを重ねていくうちに。

 今日も一日は幸せな時間で締め括られていく。


 明日もまた、いい日でありますように。

 刻一刻と、その日は迫っていた。

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