エピローグ
美しき世界にあふれゆくもの
正直言えば、結婚式は非効率だと思っていた。
お金はかかるし、この不景気に身内から徴収するのは良心が痛む。
当事者が幸せアピールするだけのイベントでしかない。指輪買って籍だけ入れればいいじゃんって思っていた。
だけどそんなの、花嫁衣装に身を包んだ彼女の姿を見たら全部吹っ飛んでしまった。
一生に一度の晴れ舞台。最愛の人の生涯一美しい姿は、ここでしか見れないんだって。
何よりも。わたしたちの門出を祝ってくれる敬愛すべき友人知人たちは、口を揃えてこう言ってくれたのだ。
大切な人の幸せを祈り、祝いたいと願ってここにいるんだよと。
「やあ、お待たせ」
控室のドアの先には、天使様がいた。
っていうと大げさな表現だけど。ドレスもベールも小物も、すべてが純白のまばゆい光を放っている。
ふんわり広がるレースの長いトレーンは、まさしく神々しい翼そのものに見えた。
神話の女神様がつけてるようなヨーロッパ調のリーフティアラが、より一層造形美を引き立てている。
この日のために、ブライダルエステへ皐月は通っていた。
美しく磨き上げた素体がさらに映えるメイクを、プロによって可憐な仕上がりに施されている。
ドレスはふたりで厳選に厳選を重ねて、これ以上はない一着を見つけ出したものだ。
妥協のない美と美が組み合わさった至高の御姿は、視界に入れるたびに目頭が熱くなって尽きぬ多幸感が積み上がっていく。
まばたきを繰り返して、心のシャッターを何度も切った。
「どうかな」
目を見開き固まっているわたしへと、皐月は顔色を伺うように上目遣いでこちらを見上げてくる。
奥さん、式の前にわたしが悶絶死してまうよ。
破壊力の高すぎる仕草に心臓を撃ち抜かれて、わりとマジで視界がぐらつき仰け反りそうになった。撃たれたフリがうますぎる大阪人並みに。
「こ、この世のものとは思えない」
動悸の激しい胸部を押さえて答える。
きれいやかわいいはいつも言ってるので、それ以上の褒め言葉を必死に考えた末にでてきた台詞がこれだ。
つくづく、己の語彙力のなさが恨めしい。
「それはよかった」
君もすごく似合ってるよ、と耳元でささやかれた。
くすぐったい声と褒め言葉にまた心臓が疼いて、心拍数が上がっていく。
「本当だよ。最初見たとき宝○がいるって思ったもの」
「ならこっちは、天使が迎えに来たのかって思った」
「おいおい、大人の階段のぼるまえに天国への階段のぼってどうするよ」
お互い大げさな表現に顔を見合わせて笑う。
でもわたしは何一つ嘘なんてついてない。某番組でも美しいの最上級は死に近いものだって言ってたし。
ちなみにわたしは皐月とは対象的に、女性用タキシードに袖を通している。
ドレスと迷ったけど、試着した皐月を見て一瞬で変わった。
華は一輪だけでいいと。
いつまでも散ることなく咲き誇れるように、隣に立って見守れる存在でありたいと。
そういった考えから、この服を選んだ。基本デザインはスタンダードな白タキシードだけど、裾はロングドレス並みに長い。
本来のクールさを残しつつ、女性らしい柔らかさも感じられる。
並んで歩いても見劣りしないデザインに、センスの高さを感じた。
「もう、すっかり大人の顔だね」
「皐月に引き取られたときの年齢越したもの」
当時17歳だったわたしにとって、皐月の年齢は立派な大人。
ハタチを過ぎれば誰しも、大人としての貫禄が身につくと思っていた。
必死に背伸びして、知ったふうな口を聞いて。思考だけでも大人に近づこうと子供なりにあがいていた。
けどそれは、稼ぐ立場になったから。守るべき人がいるから。
いつまでも子供のままじゃいられないんだって、必死に大人のフリをせざるを得ないだけなんだ。
フリが身についてきても、趣味嗜好は変わらない。
未だにわたしはお酒よりもジュースが好きで、昔夢中になって読んだ児童文学は今読んでも面白いと思っている。
きっとみんな、心には少年少女が住んでるんじゃないかな。
「ふふ、いろいろ伸びたなあ」
皐月は腕を伸ばすけど、無駄に身長が伸びてしまったわたしの頭頂部には届かない。
今は床を引きずるほどの長いドレス姿だから、無理して踏んでコケさせてはいけない。
ちょっと屈んで、どうぞ、と促す。
指がすぐに伸びてきて、つむじへ触れた。風もない屋内で、髪が揺れたように錯覚する。ふわっと意識が沸き立った。
今日は衣装的にも完全にリードする側なのに、伸ばされた指の優しさに甘えたくなってしまう。
わたしはまだまだ、この人の前では里子の顔だ。
「少人数結婚式ってプランがあるんだね。段取りがシンプルでちょうどいいと思うよ」
「余興とかいらないから、テーブル回って談笑するくらいが楽だよね」
わたしたちが選んだ挙式は、レストランウェディング。
挙げる以上は美味しいものを食べたいし出席者にも満足感を与えたいし、ホテルやハウスウェディングよりは予算が抑えられるということでこのプランにした。
また、ここの会場は敷地内に小さなチャペルを完備しているため、料理にこだわりつつ挙式もしっかり行うことができる。
勧めてくれたウェディングプランナーの方に感謝だ。
「そういえばさ、VBの出生率増えたんだってね。っていうか増やせって各地で呼びかけられている。まさかDB神話が崩れるとは思っていなかった」
「そう? 私はいずれこうなるとは思ってたよ」
聞くと、あの豪雨の経験が関係しているらしい。
「生き残るものは『優れた者』ではなく、『環境に適応した者』だと思うんだ。自然災害で人は貧富関係なく死ぬときは死ぬし。たとえばナマケモノは名前の通りバカにされてるけど、あれは極端に代謝を落とした生存戦略。絶滅せず厳しい自然界で種を残していることを考えれば、立派じゃないかい?」
「まあ、確かに人間界でも似たようなことがあったしね……」
DBには、いくつかの欠点があった。
昔起きた”DBにのみ強く症状が現れる夏インフル”で危惧した通り、世界のとある地域で発生した病気は驚異となって各国の新聞の一面を飾った。
そのウイルスの危険性はさほど高くなく、感染力もそこまで脅威ではない。
感染しても早期に治療すれば、大事には至らない。
症状もほとんどは重症化せず、咳と発熱と関節痛といったありがちなものだ。
VBが罹ったのであれば。
「北センチネル島って知ってるかい?」
「あー……近づくと島民に殺される島だっけ」
「そうそう。少数民族保護法によって外部との接触は禁じられてる。理由は、何万年もの歴史がある先住民族だから。それだけ長い間、限られた人間たちが隔絶された島で血を繋いできたということは。伝染病への免疫を持っていない可能性がきわめて高いんだ」
それと似たようなものだ。
DBの大半がばたばた亡くなっているという報道が相次ぎ、一気に世間は緊張が高まった。
国を支えてくれる優秀なDBたちも、あっけなく命を落としてしまうかもしれない恐怖に。
幸い日本には入念な対策により持ち込まれずに終わったけれど、これで偉い人は認識を新たにした。
優秀な遺伝子なんてものはない。
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」であることを。
遺伝子がどういう環境で生存に有利に働くかは、誰にも分からない。
現代社会の人類にとって障害としかみなされない人間も、将来は有効な人間になっているかもしれない。
だから、できる限り多くのパターンの「障害(形質的イレギュラー)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となることを。
「あとは単純に、子供ができづらくなるという研究結果だね。組み換えを行った野菜などのF1種では、 それの種子を蒔いても発芽こそする。が、組み換えた情報をエラーとして排除する機能が働き、成長が止まってしまうってすでに分かってるし」
「そりゃ、少子化対策を掲げてた国にとっては本末転倒だね」
「自然界で生きて行くのが難しい人類が霊長類なのは、社会性があるからなんだ。文明を発展させて、どんな個体も生かす機能的な社会を作り出すことで生き延びてきたと」
「へー、さすが社会科の教員だけある」
ともかく、これで冷遇されがちだったVBが見直されたのは大きな変化だ。
わたしも少しは、生まれてきた意味があったのかな。
「失礼します」
ちょうどドアがノックされて、担当プランナーの方が入室してくる。
今日のスケジュールを最終確認して、一通りの説明を受けて担当さんは部屋を後にした。
まずは、親族紹介。といってもわたしたちの関係性は複雑なものであって、伝えている人も来る人もごくわずかだからほんとに形だけの紹介だ。
ぶっちゃけ、記念撮影の体を取るため。
「みんな揃ってるようだし、そろそろ行こうか」
「ではお手を取ってくださいまし、愛する君よ」
仰々しい台詞に乗せて、皐月が左手を差し出す。
薬指にはもちろん、この日のためにふたりで選んだ結婚指輪が光っている。
5月の穏やかな陽光に照らされ、より一層今日はその輝きを増していた。
「今日はよろしく。皐月」
「こちらこそ」
天候も皐月の声も会場の雰囲気も歩む未来も。
全てが明るく、温かかった。
写真撮影を終えて、いよいよ挙式の時間が迫ってきた。
親族とゲストの方々がチャペルへ移動した後、プランナーさんが軽く挨拶をする。それからわたしが先に入場した。
天井は10m近い高さがある、開閉式の全天候型。
窓の外には緑萌えるケヤキが生い茂り、見事な快晴の空の下できらきらと若葉が煌めいている。
5月に挙式を予定して、ほんとうによかった。木漏れ日のまぶしさに目を細め、天井から吹かれてくる緩やかな風を受けて。
わたしはパートナーの入場を待った。
やがて、チャペルのドアがゆっくりと開かれる。
パイプオルガンの荘厳な奏と共に、光の外からお義母さんと一緒に皐月がバージンロードを歩いてくる。
透き通ったベールを揺らし、赤い絨毯にふわりと広がるロングトレーンの輝きは言葉に表せないほど美しい。
そのまま光に融けていきそうな、華やかで儚い姿から目が離せず。わたしは呆けた顔で立ち尽くしていた。
両脇に並ぶ出席者の方も見惚れているのか、目を丸くしたまま固まっている顔を何名か見かける。
職場の同僚、おめかしした友人、懐かしき面影を残す当時の先生方、お世話になった施設の職員さん、一緒に生活したかつての子供たち。
それから、レイちゃん。
大きくなったね、きれいになったねって、涙ぐんでいる彼女に釣られてもらい泣きしそうになる。
そして。皐月がお義母さんから離れ、わたしと同じ高さにたどり着く。
育ての親御さんの手から、わたしの手へ。託される。
「病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しいときも」
「愛し、敬い、慈しみ、助け合い、支え合って」
「その命ある限り、真心を尽くすことを誓います」
ふたりで並び立ち、誓いの言葉を読み上げていく。
今日ここに集ってくれた、祝福してくれるすべての方々へ。わたしたちはともに歩み続けることを誓う。
漫画や映画とかではここでエンドロールが流れそうだけど、明日からもわたしたちの日常は続いていく。
終わりではなく、第二の人生の始まりが。
だから今日は、人生の通過点、ひとつの節目でしかない。
ゆえに、この特別な日を。大好きな人と無事迎えられた軌跡と奇跡を、心から誇りに思う。
言葉に表したあとは、行動を持って愛を誓う。
わかりやすく言えば、誓いのキスを。
人前でするって死ぬほど恥ずかしいけど、その覚悟を持って挙げようと決めたのだから。
うんだから膝よ笑うんじゃない。もうちょっと耐えてくれ。
「大丈夫。いつも通りでいいよ」
尋常でない動悸と緊張で膝から崩れ落ちそうなわたしを、皐月は真正面から見据えて励ましの言葉をかけてくれた。
恥ずかしくたって失敗したって、すべてがうまくいく人生じゃない。どんな日になったって、一生の思い出になるからと。
その言葉が胸に温かくこぼれ落ちて、どうにか平静を取り戻したわたしは一歩近づく。
それから、静かに距離を詰めた。
盛大な拍手と口笛とフラッシュの光に包まれて、今、わたしたちの誓いの儀は幕を下ろした。
「奥さん大事にしろよー」
「末永くお幸せになりやがれよー」
お祝いの声と一緒に両脇からフラワーシャワーが舞って、今度はオルガンではなく事前にリクエストしたラブソングが流れ出した。
厳かな雰囲気だった式場は一気に華やかな空気に彩られていく。
こういったお祭り騒ぎのムードもいいよね、なんて隣を歩く皐月に目配せする。
ラブソングを口ずさみながら、皐月は晴れやかな笑顔で笑ってくれた。
二重の意味での五月晴れだ。
チャペルを抜けて、青く爽やかな空の下、四季折々の花が咲き誇る中庭へ。
その、片隅で。
わたしがここに決めた理由のひとつである花が、決して派手ではないけど確かな存在感を放って可憐な姿を見せてくれる。
サツキの、花。
ただし一般的にイメージされる赤や桃とは違い、黄色の品種。ちょっと黄緑がかった珍しい色。
「あれ、サツキかあ。黄色って珍しいね」
同じ名前の響きを持ってるゆえか、皐月も花の存在に気づいたようだった。指差して、物珍しそうに注目している。
サツキは元来黄色の色素を持っていないため、不可能とされてきた。だけど複雑な交配の末、こうして見事な花弁を広げている。
黄色のサツキ。花言葉は”協力を得られる”だという。
ひとりではできないことも、大勢が協力すれば成し遂げられる。紆余曲折の末に交配に成功したこの花のように。
もうひとつの意味は、家族。
家や家族を恋しく思うときに、海外では黄色いサツキを贈って気持ちを伝えるのだという。
今のわたしたちにも、いくつか共通する面がある。
だから今日、この場所で家族になる誓いを交わそうと思ったのだ。
さあ、物思いに耽るのはこのくらいにして。
こんなに素晴らしい天気と景色なのだから、写真の一枚も撮らないでどうする。
「まずは、ふたりで撮ろう。それからみんなでいっぱい撮ろう」
「うん。ありがとう、こんなにきれいな場所に私を連れてってくれて」
「それはこちらの台詞だよ」
ありがとう、わたしの家族になってくれて。
数え切れない感謝を胸に秘めて、手招きしているみんなのもとへ皐月の手を引く。
視界に広がる美しい世界には、たくさんの幸せがあふれていく。
どれかひとつには絞れず、複数の要素が重なってわたしたちの関係性は形作られている。
これからも、この先も。
わたしにとって皐月は従姉であって、里親であって、先生でもあって、そして最愛の人だ。
(了)
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