【皐月視点】デート(後編)

 出発から約15分。

 郊外へとひたすら車を走らせて、ようやくバイパス沿いに立地する大型ショッピングモールへと到着した。


 車を停めて、待ち合わせ場所となる1番街、ヨー○マート側南入口へと向かう。

 ここは初めて来たけど、噂通り巨大な施設だ。


 畑ばかりの広大な敷地を切り開いて開発しただけあって、彰子がバイトしているモールとは広さが比べ物にならない。約250店舗を擁するらしい。


 フロアマップを見る限り、だいたいの娯楽は充実している。映画館も、フードコートも、ボウリング場も、ゲーセンも、屋上遊園地も。


 お金さえあれば一日中遊んでいられるため、ファミリー層やデートスポットにはうってつけだと言えた。


 彰子、気遣って遊園地や旅行行こうとは言わなそうな子だし。こういうとこ連れてったら喜ぶかな。

 いや、私とよりは学校の友だちと行ったほうが楽しめるよね。

 駅から直通バスも出てるよって今度教えてあげよう。


 ……なんて、気を抜くと母親の目線で考えてしまう。いかんいかん。


 入り口付近のドリンクスタンドにいる、と教えてもらったこともあり。本田さんとはすぐに合流することができた。

 向こうもすぐ私に気づいて、ここですよと手を振ってくれている。


 光沢のあるドレッシーなパンツスーツに身を包み、いつもアップでまとめていた髪はおろして、ゆるくカールが巻かれている。

 手足の長さが映える服装だから、遠目からでも存在感を放っていた。

 いいなあ、スタイルのいい人って。


「お待たせいたしましてすみません」

「ああ、いえ、私もついさっき到着したばかりなので……」


 本田さんの声が中途半端に断ち切られる。涼やかな目元がくわっと、最大限に見開かれていた。

 視線は忙しなくきょろきょろと動き、表情は驚愕の色で固まっている。


「どうしました?」

「い、いえ……どこのお嬢様かと思いました」


 動揺した調子で分不相応の褒め言葉が来たものだから、ちょっと浮かれそうになってしまう。


 またまたー。たしかにモールの客としては派手な格好だけど、私の辞書にお淑やかの言葉は載っていないよ。

 こっちはこっちで、どこのモデルさんかと勘違いしたくらいなのに。


 彰子が見立ててくれた今の私の姿は、好んでする格好とは完全に真逆だから別人に映るのも無理はないか。


「すごいですよね、今の子のおしゃれスキルって。センスは子供に任せたのですが」

「ああ、そうなのですか……いいと思います。すごく」


 密かに親指を立てて、本田さんは何度も『ぴったりです』と褒めてくれた。

 好感触のようでなにより。あの子に感謝だ。


 好印象のほとんどの割合は『意中の人がおめかししているから』ってフィルターのが大きいと思うけど、褒められて悪い気はしない。


 さて、井戸端会議ではないのだからいつまでも立ち話しているわけにはいかない。

 少し歩きましょうか、と本田さんの提案に乗って、1番街からひたすら並んで歩き出すことにした。


 ちなみに、ずっとまっすぐ進んでいけば7番街まで続いているらしい。ひえぇ、広いなあ。



 ここまで店舗数が多くてジャンルも充実していると、ただ歩くだけで情報量も脳内への刺激もすごい。

 子供の立場であったら、すぐ親の手を振り切ってうろちょろしていたことだろう。


「……日野さん、もしかしてこういうの慣れてますか?」


 ぽんぽんと弾んだ会話のラリーが続く中、本田さんから突如上記の台詞をかけられたため足がもつれそうになる。何を見てそう思った?


「まさか。恥ずかしながら今まで未経験でして」

「そ、そうなのですか。ええ、意外。日野さんってすごくモテそうなのに」


 すごく落ち着いているから、と本田さんはなおも信じられなさそうに驚愕と称賛混じりに語尾を伸ばす。

 モテそうって、モデル体型の本田さんが言うことかな?


 エスコート慣れしてそうなスパダリっぽい見た目だし、モールを選択肢が多いデートコースに選んでくれたのも経験者感があったのに。


「落ち着いてなんていませんよ。内心でははしゃいでおります」

「日野さんってけっこう肝が据わっておりますね……」

「そうですか? 自分を好いてくれた方と行動するわけですから、緊張よりも楽しい気持ちのほうが強くなると思うのですが」


 本心を伝える。色恋沙汰にとんと疎い人間としては、デートそのものに好奇心があった。


 少女漫画や恋愛ドラマの世界でしか見たことがなかった、あこがれのひととき。

 それがひとかけらでも味わえるのかなって、年甲斐もなく期待している自分がいる。

 学生の恋愛と社会人の恋愛は違うけれど、抱く恋心自体に変わりはない。


 楽しみにしてくれていたと受け取ったらしく、本田さんの緊張の表情が少し和らいだように見えた。


「あの」

「はい?」

「よろしければ、手、いいですか」


 おどおどと手元に視線を向けつつ、覗き込むように本田さんがスキンシップを求めてきた。


 あ、そっか。

 同僚ということもあり、友人同士のお出かけ感覚でいたけど。形式としてはデートだ。

 隣に意中の人がいるとなれば、そりゃあこれくらいの積極性は出したくもなるだろう。


「ええ、どうぞ」

 気づかなかったことを詫びるべく、こちらから指先をすくい取る。


 ひゃっと本田さんから可愛らしい声が上がって、『大胆ですね……』と彼女の耳まで徐々に赤くなっていくのがわかった。


 ああ、これが恋する乙女の顔なのか。この人は本当に私のことが好きなんだなって、今さら認識を新たにする。


 景色は3番街から4番街、化粧品店が集中するエリアになって、若いカップル連れもちらほら見えるようになった。

 腕を組んだり手をつないだりしているペアは、たぶんそうなんじゃないかなと思う。


 本田さんみたいに初々しい反応をしている人はなかなか見かけない。

 傍から見れば、私たちはわかりやすいんだろうな。


「いかがですか?」

 なにが? ってゆでだこみたいに桃色の肌に染まった本田さんが視線を向ける。


 聞くまでもなく暑そうに見える。指も手汗がどんどんにじんで、つないだ先からじんわり熱が広がっていくのがわかった。


 もっと先まで歩けば、私もいずれ同じ温度に茹で上がるのだろうか。


「ゆ、夢みたいです……」

「それはなにより」


 いつも毅然として、バリキャリオーラを振りまいている彼女なだけに。手を握ったくらいで、しどろもどろになりつつ猫背気味で歩く今の姿はすごくギャップがある。


 うつむく横顔にどこか既視感を覚えて、あれ? と疑問符がよぎった。同世代の女性と手をつなぐなんて初めてなのに。


「…………」

 会話が止まってしまった。こういうのは雰囲気を楽しむものらしいから無理に絞り出さなくてもいいんだけど、いくつか聞いておきたいことがある。


「本田さんって、いつから私のことを意識したのですか?」


 直球でたずねると。くっと本田さんの動きが一瞬止まって、肩が跳ね上がった。

 あれ、いきなり踏み込みすぎたかな。驚いてむせちゃってるし。


「すみません、大丈夫ですか」

 背中を叩こうかとつないだ指を離そうとすると、強い力で引き寄せられた。

 私に握られるがままだった指がぐっと絡んできて、静止の意思表示をされる。ここだけは譲れないらしい。


「……身も蓋もないことを申すなら、容姿……ですが」

「へえ、意外です」


 チビで童顔で手も足も短めの私は、本田さんとは真逆のスタイルだ。正反対だからこそ惹かれたのだろうか。


「ですので……”恋愛希望調査”で検索したところ、結婚相手に求める要素で『里親制度に理解のある方』とありまして。私も、以前話した通り子供関係の福祉に関わりたいと思っていたところでしたので……俄然興味がわきました」


 あー、なるほど。婚活は後回しだったからプロフィールは最近ぜんぜん更新してないけど、そこだけは当時から決まってたからなあ。


「私が言うのもなんですけど、珍しいですよね。結婚より先に里親に関心があるって」

「実は、私の親が昔から”週末里親”をやってた関係もありまして」

「ああ、そうなのですか」


 週末里親。月に1度、数日間だけ子供を預かる制度のこと。


 受け入れる側にとって、長期で子どもを迎えるのは重い決断。

 子育ては過酷なもの、と浸透している現在ではなかなか、他人の命を預かる責任は持てないとためらってしまう人も多いだろう。


 里子の多くは劣悪な環境下で育っているため、自己肯定感を1から育む必要がある。

 可愛げのある、物分かりの良い子供なんてほとんどいない。生半可な覚悟では親も子も傷ついてしまうだけ。


 そこで国が対策を打ったのが、週末里親となる。

 親戚の子を数日泊めるのと似た感覚で始められることから、里親を増やすためのアプローチとして注目されている。


「初めてうちに来てくれた子は、それはもう壮絶でして……お母さんが鬱病で、シングルだったため祖母の実家で暮らしていたのはいいものの。おばあちゃんの介護も、途中から始まって。小さいときから二人の世話をするのが当たり前だったそうです」


 ああ、ヤングケアラーってやつか。

 老後2000万問題もあって、老後資金に余裕がある家庭は少ない。というか待機児童ならぬ待機老人も社会問題のひとつだし。


 そこのおばあちゃんは貯金を切り崩して母子の生活を支えていたなんて話を聞くと、誰も責められない切ない実態だ。


「子供は親の愛情をたっぷり受けて、いっぱい遊んで学んですくすく成長するもの。それが当たり前じゃないと知って、衝撃を受けました」

「不景気も重なって、そもそも1家庭に求められる水準が高すぎたってのもありましたよね……」


 経済成長、賃金を上げる、教育費を見直す、子育てと両立するための働き方改革、負担の大きい教育現場の業務分担制、優生保護法の復活、そしてDB技術の導入。


 すべては十分な愛情と教育を受けられない、不幸な子供を増やさないための政策だ。

 それが多少なりとも実を結んで、1時期ほどネガティブな話題は聞かなくなった。


 しかし依然として、子供がもっとも必要としている『無償の愛を与えてくれる大人となる里親』の割合が増えないのは課題のひとつとなっている。


「で、ですので。本当に日野さんのことは尊敬しているのです」

「里親制度に踏み出す勇気を与えられたのでしたら、大変光栄ですね」


 映画を観た後、ちょうどお昼時だったのでレストラン街に入ることにした。今日は和食の気分だったので、回転寿司店で。


 昼食を摂りつつ、本田さんと引き続き里親制度についての話題を深めていく。


 話して分かったことだけど、彼女は本当に誠実な方だ。

 お互い里親としてやっていく将来のプランを第一に考え、結婚自体は数年先、彰子が完全に自立するまで待つと言う。


 仮に彰子が交際に納得してくれたとしても、やっぱり同じ学校の教員同士では複雑だろうし。

 親子の絆を育む時間が最優先だと、”里親制度に理解がある方”の条件を踏まえた意見を本田さんは提示してくれた。


 会計を済ませて、彰子へのおみやげのたい焼きを買って。私たちは外のベンチへと腰掛けた。

 店内の喧騒から離れて、より具体的な話をしたいと思ったのだ。


「ですが、数年先ってけっこうなものですよ? その間に心変わりする可能性もありますし……」

「こ、こういうのは先手必勝なので。まずは意識させなきゃ、振り向いてももらえないので」

「あはは、たしかに告白は本田さんが最初でしたね」


 何かございましたら、必ず隣で支えます。同じ教員として、同じ志を持つ者として。

 私の両手を取り、本田さんは真正面からこちらを見据える。

 覚悟と恋に燃える炎を湛えた、意志の強さを感じ取れる表情で。


 ああ。

 私は今、運命と巡り合っているのかもしれない。


 一緒の職場で、同じ方向を向いて、隣を歩ける人。自分と価値観が一致する人。

 そんな人に、心から好かれている。一生に一度あるかないかの、幸運な出会いが目の前に訪れている。


 出会いなんて、そうそう向こうからやってくるものではない。

 こんな方がパートナーであったら、毎日が充実しているだろう。優しく、賢く、美人で、相手の幸せを第一に考えてくれて。


 きっと、今よりももっとキラキラした毎日が待っている。

 輝かしい未来が、彼女の手を取った先に見えている。


「だから、どうか、私を……見ていただけますか」


 私を見据える本田さんの眼差しが一段と強くなり、距離が詰められていく。

 鈍い私でもわかる。このままいけば唇がぶつかるんだろうなって。


 手が重なって、本田さんの熱い体温を感じ取れるようになる。

 委ねて瞳を閉じれば、少女時代に夢見た光景が現実のものとなるんだろう。


 彼女の心音を直に覚えて、感触が伝わって。

 ようやく未知であった恋心が既知に変わるのかもしれない。



 だけど。


「ごめんなさい」


 吐息が触れて、首を振って、私はその先を制止した。


 行為の直前になって受け入れられないことに気づく人はいるけど、嫌だったわけではない。

 そのまま受け入れていれば、きっとそこから変わる未来もあったのかもしれない。


 あんなにムードがあって、心が通い合って、距離が近づいても。

 感情の機微を、ついに私は覚えることができなかった。


 人はときめきと呼ぶ、小さな心の萌芽。

 その感覚を。すでに私は知ってしまっていたことに、気づいた。


「わかりました」


 その一言で、本田さんは何もかもを悟ったようにすっと身を引いた。


 ありがとうございます、とお互い異なる想いを締めの挨拶に乗せて。

 最後に握手をして、それぞれ車を停めた場所へと歩いていく。


 小雨に変わった霧吹きのような雨粒を受けつつ、胸に手を当てる。

 本田さんの手を握っていた頃は、つなぐことでしか感じ取れなかった熱さを。

 今たしかに、手の中に覚えていた。


 アスファルトを鳴らすヒールの音が速くなっていく。

 拳を握りしめ、戒めるように私は額へ打ち付けた。


 ああ、そうだ。そうだったんだ。

 今さらになって私は思い知る。罪深き己の鈍さに。

 どれだけ、彼女たちをかき乱していたかも気づかないで。


『駆け引きなんて面倒なだけですし、もっとシンプルに恋愛ができたらいいと思うのですが』


 かつて、本田さんに言った言葉がよみがえってくる。よくもまあぬけぬけと、あれだけのことをしでかしておいて言えたものだ。


 試していたのは私のほうだったじゃないか。


 出発前に意味深に見つめてきた、あのときの彰子の瞳は。

 さっきまでの本田さんの熱を帯びた視線と、まったく一緒のものだった。


 私は彰子をわかった気になっていた。もし、私への気持ちが恋心によるものだとしたら、本田さんの誘いを間違いなく却下するだろうと。

 そんなはずはないのに。あの子は何よりも私の都合を優先し、我慢してしまう子だと。どうして想像が行き着かなかった。


 ツーショットも、今までは素直に応じていたごほうびも。彰子はいつしか、避けるようになっていた。どれだけつらい本心を閉じ込め、想いを秘めていたのかと思うと。

 言葉通りに受け取って踏み込まないでいた、己の所業に苛立ちが募ってくる。


 今、私自身に委ねられている選択はたったひとつ。

 彰子の恋心を、私はどう受け止める。

 私は心から彰子に幸せになってほしいと願っている。なら。


 すでに答えは、私の中にあったのだ。

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