【皐月視点】デート(前編)

 返事が遅れてすみません、と本田さんへとLINEを送る。


 日程は、今度の土曜日でいいかとメッセージが届く。

 たしか、その日は駅で開かれるお祭りの初日だっけ。


 彰子、こういうのは行きたいって言うだろうか。

 それとも、高校生なんだからいいって言うだろうか。


 ここ最近は、幼子のように甘えてくるようになったあの子の顔が浮かんできた。

 約束したのだから恋愛事情は包み隠さず話す必要があるとはいえ、内心はやっぱり複雑だろう。


 ”親の顔を優先せねば”という罪悪感からいったんスマホを置いて、彰子の部屋へと向かう。


「彰子、いま大丈夫?」

「いいよ」


 入室して、淹れたばかりのお茶を置いて。今週末のお祭りについて説明する。

 彰子さえよければ、一緒に行かないかと。


「ごめん。その日バイト。あと、終わったら友人と周る予定」

「あ、ああ。そうだったんだ、ごめんね」

「言わなかったっけ? 前に」


 こちらを見ようともせず、素っ気なく彰子は返す。

 ……機嫌が悪いときに声をかけちゃったかな。タイミングを見誤ったかもしれない。


 家族が一番優先だよという焦りから、告白の件を報告したその日に予定を建てようとするとか。気遣ってるのが見え見えだ。


「答えてくれてありがとう。わからないところがあったら遠慮なく呼んでね」


 手早く会話を済ませ、さっさと退散することにする。

 とりあえず、本田さんにはその日でいいよと返信することにして。


「……あのさ、」

「ん?」


 ドアノブを掴んだところで呼び止められて、振り返る。

 下ろした髪の毛をくるくる指に巻きつけつつ、さっきよりは温度のこもった声で彰子が呼びかけた。


「最終日だったら空いてるから」


 最終日? 何の日だったか疑問符が浮かんで、お祭りのことかと解に行き着く。

 壁を作られていなかったことに安堵して、不安に張り詰めた心が途端に弾んでいくのを覚えた。


 気遣ってくれたのか、単純に行きたい気持ちから声を掛けたのか。

 どっちにしても嬉しいことには変わりない。


「うん、めいっぱい楽しもうね」


 心から湧き出た安堵から頬が緩み、自然に笑顔がほころんだ。

 手を振ると、彰子もぎこちなく振り返してくれた。


 よし、これで予定は決まった。

 居間に戻り、本田さんへと了承のメッセージを送信する。


 力が抜けて、ほーっと息を吐き出す。

 背後のソファーへと、崩れ落ちるように体重を預けた。

 四肢を投げ出し、除湿の心地いい風へと当たる。


「…………」

 ちらっと、窓際に飾った小さな盆栽に目がいく。

 基本的には屋外で育てるものだけど、今日は暴風雨がすごいためか一時避難させたようだ。


 母の日に彰子がプレゼントしてくれた、サツキの苗。

 1年中きれいな姿を楽しめるように、盆栽に植え替え剪定したものを。


 サツキの盆栽は枯れやすく、育てるのが難しいらしい。

 土が乾燥してはいけないが、湿気の状態も好ましくない。

 おまけに水道水とは相性が悪く、雨水かフィルターに水道水をかけて専用の水を与える必要がある。


 野生のサツキは厳しい環境化でも花を咲かせるというのに、温室育ちとなればこれだ。

 だけど彰子は、今日までかかさず手入れを続けている。


 水はけのいい土に変えたり、肥料を与えたりして。

 そもそもこの盆栽知識も、すべて彰子から教えてもらったものだ。


 自分と同じ名前のものを、丁寧に育てている。

 プレゼントである以上、私がしっかり管理しなければいけないのに。仕事で忙しいだろうから自分でやるって譲らなくて。


 盆栽に向ける彰子の表情には、我が子の成長を見守っているかのような慈しみを覚える時がある。

 じゃなきゃ、あんなに手間暇なんてかけられないだろう。


 植物の世話なんて水やりだけしてればいいと思っていたけど、いろいろやることがあるんだね。

 って教育者が言っていい言葉ではなかったな。


 育てる立場ながら、私も近頃はいろんな意味で意識してしまっているなあ。



 特に何も起こらぬうちに、約束の日は訪れた。

 7月ももう後半に差し掛かろうとしているのに、未だに気象庁からの梅雨明け宣言は出ない。

 数十年ぶりの冷夏か、と報道では作物への不安の声を聞くようになってきた。


 せっかくのお祭りなのに、朝からこの雨では屋台とかどうするんだろうか。

 せめて夜までには止んでくれるといいんだけど。


「うん、似合ってるよ」


 顔の周りを忙しなく這い回っていた彰子の手が離れて、目の前に手鏡がかざされる。


 鏡に映る自分は、なんだか自分以外の人間を眺めているようだった。

 初デートだからって見立てたがる彰子の言葉に甘えたけど、想像以上のメイク技術に私は衝撃を受けていた。


「んな宇宙猫みたいな顔しなくても」


 彰子と鏡を交互に凝視しているうちに、何が可笑しいのか彰子の表情がくずれた。

 恐れおののいたかー、なんて彼女には珍しい茶目っ気を振りまきながら。


「ど、どこでこんなプロ並みの技術を獲得したの?」

「マイノリティになりつつあるVBですから」


 自信とも皮肉とも取れる一言に、彼女の並々ならぬ努力の証を見る。

 もとから美形を作り出せる世の中になった結果、並の容姿ですら厳しく選別されるルッキズム社会が加速してるもんなあ。


 美形で当たり前、そうでない奴は美容整形か化粧技術を磨けって風潮で。

 VBとの溝が深まっている理由のひとつなのに。


「やっぱ美形はいいね。もとがいいから何やっても映えるって」


 彰子が施した化粧、彰子が結ってくれた髪型、彰子が厳選した勝負服。

 まるでパーティー会場にでも向かうような気合の入れようで、私はさっきから彰子の言いなりに着飾られている。


「本当に食事をしに行くだけだよ?」


 ますます、彰子の考えていることが分からない。他人のデートに、どうしてここまで気合を入れるんだろう。


 ”母”でいなければならない私の”女”の姿なんて見ても拒否反応が出るだろうと、できるだけ飾らない格好で出ようと思っていたのに。


「自分から見ていい女は、他人からも見ていい女だと思われたいじゃない」


 意味深な台詞を吐いて、彰子は目線お願いしまーすとスマホを向けた。

 普段は私がさんざん彰子を撮りまくっているから、珍しいシチュエーションとなる。


「ち、ちーず」

 言われるがまま、ぎこちなくピースサインを取った。


 撮られっぱなしもなんだかなので、せっかくだからと彰子と一緒のショットを撮ろうと提案するも。


「今日はいいや」

 いつもはすんなりツーショットに応じるのに、なぜか彰子は頑なにカメラマンの座から外れようとしなかった。


「あ、そろそろか」


 そうこうしているうちに時間がやってきたので、玄関に向かう。

 彰子ももう少ししたら出発するらしい。

 だったら途中まで送ってあげようかと提案したのに、これも却下されてしまった。


「じゃあ、行ってくるね」

「行ってら」


 鞄を持って、慣れないヒールの靴を履いて。

 彰子に挨拶をすると、なにか言いたげな表情で彰子が服の裾をつまんできた。


「ん? 忘れ物とか?」

「…………」

「それとも、まだ撮りたい?」

「…………」


 彰子、黙ってちゃわからないよ。

 じっと私を見つめたまま、彰子はなにかを訴えるように揺れた瞳を向ける。


 沈黙が数十秒流れて、さすがにこれ以上は遅刻しちゃうよとしびれが切れそうになっていく。


「え、」


 声に出そうとした瞬間。

 肩が強く押されて、ぐらっと身体が傾いた。

 ヒールのため、バランスが取れず背後のドアへと背中を打ちそうになって、


 間髪入れず、彰子が背中に腕を回してきた。


「っ…………」

 支えられたからか、衝撃が落ちて軽く背中がドアへとつく。

 ドアにもたれる私に折り重なるように、すぐ目の前に彰子の顔があった。


 鼻先がぶつかりそうな距離。

 何も言わず、強い輝きを放つまなざしに捉えられる。


 ちょうど数分前、化粧を施してもらった己の顔を別人だと錯覚したように。

 娘とも教え子とも従妹とも違う、新たな顔が今の彰子にはにじんでいた。

 熱く、深く、私の奥底まで侵食していくような、何かが。


 君は、今視界に映っているこの人は、本当に私の知る彰子なの?

 当たり前の景色が根底からひっくり返され、揺らいでいく。


「ごめん、時間取らせて」


 声とともに、彰子が私から離れていった。

 ばらばらになったピースがもとにある場所へと戻っていくように、夢心地にあった意識が明瞭になっていく。


 彰子からはとっくに、さっき感じた別人のようなオーラも、射抜かれそうな眼光も消え失せていた。

 いつもの、私の知る娘の顔へと戻っている。


 なんだったんだ、さっきのは?


 遅れるよ、と彰子に促されてようやく身体が動いた。

 そうだった、急がないと。

 弾かれるようにドアノブに手を掛けて、外へと出る。


 夏特有の湿気と蒸し暑さに出迎えられ、濁った天からは今日も止まない雨が降り注いでいた。


 ここまで梅雨が長引くと、照りつける熱気に包まれた真夏の晴天が恋しくなるほどだ。

 力強い生命の息吹が鳴りを潜めた空は、長らくひとつの悩みを抱えてぐるぐると淀む私の心境を現しているかのようだった。


 なのに、どうしてだろう。

 こんなにも落ち着き沈んだ空模様なのに、耳には騒々しい音がこびりついている。


 それが雨音ではなく自分の心臓の音だと気づくのは、乗車してからだった。

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