【皐月視点】検証
もし、里子から恋愛感情を寄せられたら?
困ったことに、いくら調べども膨大な答えが載っているはずのネットの海には事例を見つけることができない。
里親から迫って逮捕、なんて事件の記事を目にした程度だ。
ほとんどの里親候補は既婚者か中年層ばかりで、20代単身なんて相当なレアケースだものね。
彰子は実際のところ、どう思っているのだろう。
今後の親子関係に亀裂が走るような話題だ、軽々しく口にはできない。
告白に踏み切るまでに積み重ねや準備期間があるように、恋愛感情の有無を聞くのも積み重ねがあるのだ。
つまるところ、検証作業。
もっと簡単に噛み砕くと、脈アリサインのチェック。
私はさっそく検索して、いくつかの『好意のサイン』を覚えた。
学生時代、私はとんと色恋沙汰には関心が無かったから経験値は0に等しい。
あの人もしかして自分のこと好きかも? なんて浮かれて心乱されるなんてこと、普通だったら小中学生あたりで通る道なんだろうな。
サイン①、電話やLINEへの反応が早い。
そろそろ彰子のバイトが終わる時間か。
いつもはただ帰宅を待つだけだけど、今日は少しアプローチを変えてみる。
スマホを手に取ると、私は彰子へLINEを送信した。『お仕事お疲れ様(*^_^*)』と。
さて、どれくらいで既読がつくだろう。
家事をこなしつつ、スマホを忍ばせて震える瞬間を待つ。
「ただいまー」
……あれ?
てっきりすぐ返ってくるかと踏んでいたのに、既読すらつかず彰子は帰宅してしまった。
「どしたん?」
「あ、その、LINE送ったんだけど」
「え、ごめん。買い物頼んでた?」
「いや、ただの挨拶文だから気にしなくていいよ」
なんで今日は送ったの? と不思議そうな目を向ける彰子を横目に頭を抱えそうになる。
そうだよね、会話は家でできるんだからLINEでトークする意味ないよね。
同居してるってことは接点ありまくりだから、わざわざ顔の見えない場所で持つ意味がなかった。反省。
『おつありー_(:3」∠)_』
……が、気を遣ってくれたのか彰子から茶目っ気のある返信が来てほっこりした。
サイン②、ボディタッチをする。
私たちはTVを観ていた。この時間帯であれば毎週追っているドラマがやっているけど、今日は録画。
公共放送の某ドキュメンタリー番組が興味深い特集だったので、そっちを優先した。
今日のテーマは”人の可能性を広げるロマンであり、溝を深める諸悪の根源ともなりつつあるDB。その功績と功罪が明らかに”となっている。
「海外ではすでに、VBの自殺者が急増。やけっぱちになって犯罪に手を染める事件も枚挙に暇がない。かぁ」
日本もいずれこうなるのかねぇ、と彰子がデラウェアの粒をぽいぽい口に放り込んで不安そうなため息をつく。
「なんで自暴自棄になるんだろう。優秀な人が国を支えてくれるんだから、むしろ喜ばしいことなのに」
「DBは、持って生まれたズルだから。真面目に努力して上に行こうと野心に燃えている人ほど、何もかも与えられた奴は我慢ならないと思うよ」
「AIに仕事を取られた絵描きみたいな感じ?」
「それも近いね」
とくに技術革新が著しいかの国では、すでに社会問題になっているという。
DBの割合がもっとも高い国ゆえ、国民はあるひとつの残酷な現実にたどり着いてしまった。
何者かになれる人間の素質は、ほとんどが遺伝子の段階で決まっているのだと。
IT化が進み、AIに仕事を取られ。
努力で上り詰めた地位にまで、才能をカスタムされたDBがあっさり抜いていく。
スポーツがいい例で、国を代表する選手のほとんどはDBだ。
ドーピングよりも安全で合法だからと、よほどの天才を除けば五輪の出場枠もDBで固めていく方針らしい。
「なんでTVで特集されるくらい分かっていながら、日本も対立しか生まない”VBのほぼほぼ上位互換”のDB技術へ移行しちゃったわけ?」
「経済発展、だね」
給料が上がるには、経済発展が必要。
だが円安政策で、日本企業は企業体質を改革せずとも利益を上げ続けられた。
結果生産性が落ち、IT後進国となり、高い付加価値を生み出せなくなって。
さらに雇用の流動性の低さから、世界との競争力が保ちづらくなった。
「簡単にクビにできないからこうなっちゃったわけだ。再就職も年齢が上がると厳しくなるから、仕事ができない人はなおさら今の会社にしがみつくしかないもんね。まあわたしがそうなんだけど」
「雇用の保証のない立場ではお財布の紐は固くなるだろうし、子供も産み控えちゃうだろうから、悪いこととは決めつけられないけどね……」
大半の国は倫理上の問題からDBの私物化はためらっていたが、かの国に血と涙はない。
ルッキズム信仰と実力主義と学歴社会が基本となっている以上は。
どんどん遺伝子改良の技術を高め、人工的に知的猛者の産生を容易にする方針へと切り替えた。
後追いせねば、大半の国では経済発展で太刀打ちすることは不可能となるだろう。
「すでに優秀な人材は海外へと流れている現状を鑑みれば、続くしかなかったのだと思うよ」
世知辛い会話を交わしつつ、そういえばと目的を思い出す。
彰子、何のアクションも起こしてこないな。隣どころか向かい合って話しているし。
うーん、こっちから動いてみるか。
私は立ち上がると、彰子の隣へ移動した。
「……な、なに」
「こっちの位置のほうがTV見やすいから。嫌だった?」
「べつに。好きにすればいいと思うけど」
いきなり隣に距離を詰められたことに、彰子は動揺している。そりゃあ不自然だよね。
でも、これも検証のためだ。
ぴったりはくっつかず、数センチの感覚を空けて私は着席した。
さ、存分にボディタッチしたまえ。
何事もなかったように涼しい顔を取り繕うと、私はふたたびTVへと集中した。
が。放送が終われば、彰子はさっさと自分の部屋に籠もってしまった。テスト勉強するからと。
あ、あれー?
くっついてもこないし、手も握ってこなかったし、サイン③の『よく目が合う』も該当しなかった。
話すときは微妙に目線を逸らしちゃうし。私がじーっと見つめているせいなのか?
気になる人がいると目で追っちゃう、って書いてあったのにな。
やっぱり私の思い違いだったのだろうか。
これ以上の接触はテストに影響出たら申し訳ないし、結果が出てからでもいいよね。
自分の中で無理やり納得させると、私は明日の準備に取り掛かった。
そうだ、今日の夜食はおにぎりの他に卵焼きもつけてあげよう。残りは明日のお弁当に流用すればいいし。
具も、いつもは梅干しだから今日はおかかにしてみよう。とろろ昆布も巻いて。
サプライズ、喜んでくれるといいな。
……なんかこれって、私のほうからアプローチかけてるみたいだなー。
「脈アリのサインなんて、あてになりませんよ」
後日、本田先生から放たれた衝撃の一言に稲妻が走った。
帰り際の駐車場でばったり出くわし、立ち話もなんなんで車に乗って話し込んでいるうちに恋バナへと切り替わった。
”友達”だと思っている人の距離がやたらと近いけど、恋愛感情なのか親愛感情なのか判断に困る、と。
微妙にぼかして相談したところ、今に至るというわけだ。
「ど、どういうことですか?」
「世の中、そんなぐいぐいいける人ばかりではございません。奥手な人のほうが圧倒的に多いです。本命相手に失敗したくないだろうし、さりげないアピールでちょっとずつ外堀を埋めるのが無難ですね」
本田さんはスマホで『好意のサイン』と検索し、恋愛関係のコミュニティサイトをタップする。
「こういうのは解説サイトより、不特定多数の本音が覗ける匿名掲示板のほうが生の声が聞けるため参考にしやすいです」
そこには、『目が合う』『頻繁に連絡する』『デートに誘ってくる』『好意を言葉にする』は鵜呑みにしてはいけない現実が書かれていた。
『好きな人と毎日LINEをしていました。お祭りにもクリスマスデートにも行きました。なのに彼から”入籍したよ”と先日報告されたんです。もう何も信じられません』
『3年前から毎週遊びに行くほど仲が良くて、泊まるとかもなかったためヤリモクじゃないと思い告白しました。でも、相手は本当にただの友達として見ていたみたいです。私は断らないから誘いやすいんだって。男女の友情って成立するもんなんですね(T_T)』
『入社当初から優しくしてくれた先輩で、美人なのにフリーということですっかりその気になっていました。全部向こうから誘ってくれて、ラブホにまで行ったのに。告白したら特定の相手は作らないんだって振られました。承認欲求を満たすために、自分を好きな人をはべらしたかっただけみたいです』
……うーん。
ざっと目を通したけど、なかなか人間不信になりそうな書き込みばかりだ。
結局、告白まで来なければ相手が好きか嫌いかは分からないってこと?
本命で失敗しないために、なんとも思ってない人でデートの練習をするんだって最低な書き込みもあったけど。
そう考えると、恋はやっぱり惚れられたほうの勝ちってことなのかな。
「駆け引きなんて面倒なだけですし、もっとシンプルに恋愛ができたらいいと思うのですが」
「ええ、私もまったく同感です」
「実際、本当のサインってなんなのでしょうか……思わせぶりなことをしておきながら本命は別って」
私には未知の世界すぎる。
恋は水面下の戦いであって、すでに学生時代から火花を散らし始まっているのだろうか。
「簡単ですよ」
それまで静かに横で会話に応じてくれた本田さんが、突然私の手を取った。
そのまま、自身の頬へと引き寄せる。
……え?
予想外の行動すぎて、運転席のハンドルに頭ぶつけそうになった。
「本命ほどさっさと告白するか、されるようにアピールを重ねていくか。どちらかです」
ストレートな答えを口にすると、『質問します』とそれまで淀みなく喋っていた本田さんの声が急に重くなった。
心なしか、肩も小刻みに震えている。
「今って……その。つきあっている人はいらっしゃらないのですよね」
「は……はい」
「その”お友達”って、同性の方ですか」
「……はい」
「日野さんは同性から好意を寄せられることに、抵抗はございますか」
「い、いえ……性別よりもその人個人を見ると思います」
まるで、尋問されているみたいだ。
こんな光景、前にもあったよな。
彰子も似たような質問をしてきて。恋愛経験値が乏しい女に恋バナを求めても面白くならないぞってあのときは流してしまったけど。
「でしたら……その、そのっ」
意を決して、本田さんが決定的な一言を口にする。
里親を目指す者同士として。
いずれ、私のパートナーになっていただけませんか。
たった今放たれた一言が、夏の焦燥感あふれる空気に混じって耳に残響する。
本田さんの背後で燃え広がる、フロントガラス越しの夕日よりも赤いものを頬に見る。
「へ、返事はいつでも構いませんので」
耳まで赤く染まった本田さんが、ぱっと身体を引っ込めた。
あわあわと口の中で言葉にならない声を転がして、すばやく頭を下げる。
また明日と最後に残して、その場から去っていく彼女の背中を見送るだけしかできなかった。
え。え、ええええ。
遅れて、処理できない情報量に脳内が混乱に陥っていく。
視界が時計回りに揺れて、ぱっぱっと火花が散るように夕日の光がはじけて。
とてもこの状態で運転などできるわけがない。力なく、座席へともたれかかる。
ぐるぐる混迷を極めていく思考回路のなか、一番最初にたどり着いたのは。
『ちゃんとそういうときは彰子に相談するよ』
『自分から見ていい人が、子供から見てもいい人とは限らないからね』
いつか、娘と交わした約束の一言だった。
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