【皐月視点】仲良きことは
目覚めたときには夢の内容は大抵忘れているものだけど、寝覚めの気分によっていい夢か悪い夢だったかはおぼろげにわかる。
ほとんどは記憶にも残らない、無難な夢。
だけど今日は起きたときから胸がずっしりと重くて、頬には涙の跡があった。
体の一部をごっそり持っていかれたような、空虚が胸の内に広がっている。
なのに、そこまで嫌な寝覚めではない。
つらいときに誰かに優しくされて流す、ひだまりのような温かさもじんわりと覚えていた。
天候のせいかな? カーテンの向こうはめずらしく晴天のようで、初夏の日差しが薄暗い室内に漏れている。
徐々に蒸し暑い室温をパジャマの下に覚え始めて、枕元のリモコンに指を伸ばした。
夜のうちに切れてしまったらしい。
まぶたをこすって、上体を起こそうとする。
と、重りのような何かに押さえつけられているのを感じた。
「…………」
彰子だ。
しがみつくように私に覆いかぶさっている。
あ、そっか。
昨日、私が寝相の悪さで暴れないように縛ってとか言ったっけ、そういえば。
布団は跳ね除けられてないし、枕の位置から動いていない。とりあえず彰子の安眠は守られたってことだろう。
しかし、暑くないのかな。
布団に潜って私にぴったりくっついて。私は暑いぞ。
悪いけど、ゆっくり抜け出そう。さいわい今日は日曜日だし。
「…………」
が、なかなか彰子は私から分離しない。
私を担げるだけあって力は意外と強く、身体を動かすたびに離さないと言わんばかりに密着してくる。
ミノムシかいな君。
体格的にも彰子のほうが大きいしなあ。
「ごめんね、彰子。もう起きないといけないから」
気持ちよく寝ているところを起こすのは忍びなかったが、物理的に抜けられないため声をかけるしかない。
ここまで眠りが深い子だったっけ?
一緒に布団に入って消灯したから、まさか何かやってて寝不足だったってことはないだろうし。
「…………」
あ、やっと起きた。
何度か呼びかけているうちに、うっすら彰子のまぶたが開かれた。
「おふぁおぉ」
「はい、おはようさん」
ろれつがぜんぜん回ってない挨拶が、ゆるんだ口端からこぼれる。
会ったときは人に懐かなそうな鋭い目つきとオーラだったのに、ずいぶん変わったものだよね。
一匹狼からイエネコくらいの変化だ。
「ちょっと身体をずらしてほしいんだ。まだ彰子は寝てていいから」
「んー……」
が、まだ寝ぼけているのか彰子の声と目はしょぼしょぼと頼りない。
そのうちゆるゆると腕が伸びてきて、私の頭部へと手のひらが落ちてきた。
そこだけは明確な意思を持っているように、わしゃわしゃと力強く頭部を掻き撫でて。
「……き、よく眠れた?」
「え、うん。まあ」
「えがったぁ」
どっかの方言みたいな安心の言葉を述べると、ふぇふぇと蕩けそうな笑みを浮かべながら彰子は崩れ落ちていった。
シーツへと身体がずれたため、やっと自由が効くようになった。
あどけなくも慈愛にあふれた表情に、一瞬だけもっと上の人間を目の前にしているように錯覚する。
彰子、たまに年上に見えるときがあるんだよね。
ふたたび静かな寝息を立て始めた彰子へと、丁寧に毛布をかける。
ほわほわと、顔全体に温みが広がっている。頭部からだ。
さっきの感触がまだ残っていて、むず痒く疼き立っている。
誰かに頭を撫でられるなんて、親ですらいつあったか覚えていないもんなあ。
くしゃっと、私は前髪を掻き上げた。
感触を名残惜しむように。
彰子は開店時からバイトとのこと。
夕方までみっちり働いてくるらしい。休日だからね。
見送って、自室へと戻る。PCの前に座って。
さて。私の今日の予定は交流サロンだ。オンライン形式の。
簡単に言えば、里親同士の相互交流の場。週に何度か開催されている。
委託後も、職員さんが家庭訪問等で良好な関係を築けているか様子を見に来てくれる。
けれど、里親の苦労は当事者同士でしか分かち合えない。
継続率向上のためにも、つらさを一人で抱えないことは大事なのだ。
指定された時間にweb会議を立ち上げる。
参加者は予想通り、ある程度年齢のいった方ばかりだ。
なので最年少に位置する私は物珍しいのか、いろいろ質問攻めにあった。
その若さで里親ってすごい覚悟よね、とか。どうしてなろうと思ったの、とか。
質問内容は予想できていたけど、”あなたに務まるはずがない”と否定しない当事者同士の目線は温かい。
ここに集うものは皆、親代わりの愛情を与え、家族の絆を育んでいきたい。その一心で里親を選んだ方々だから。
だけど、綺麗事だけでは親をやっていけないのもまた事実。
『実は、委託解除を検討しているんです』
ひとりの里親さんは、壮絶な育児経験を語ってくれた。
関係を解消する里親は珍しくない。
統計上、4人に1人の里親が1年以内に委託解除を決断すると数字にも出ているくらいだ。
理由は、育児ノイローゼ。
そこの子供は試し行動が度を越しており、暴言暴力は当たり前。
里親にこんなひどいことをされていると誰彼構わず嘘を吹聴し、軽く注意するだけで発狂。
たちが悪いことに外面は別人レベルで愛想がよく、カウンセラーや職員さんに相談しても誰も信じてくれなかったという。
『ああ、うちも小さいときはそんな感じでした』
『どんなに最低な自分でも見捨てないか、信頼関係を築く過程で試すんですよね。親に捨てられたのだと傷ついている子は特に』
心当たりのある他の里親さんが同調し、やっと分かってくれる人に会えて安心したのか相談した女性は涙ぐんでいた。
『本当の親子になろうって覚悟して引き取ったのに、耐えられなかった自分が悔しくて仕方がない。あの子をさらに深く傷つけることになってしまう。でも、もう心も体も限界で』
泣き崩れる女性を、誰も責めたりはしなかった。
実子であっても反抗期が壮絶で、親子関係に亀裂が走ってしまった例などいくらでもある。
それは、子供からすれば『親はなんだって受け止めてくれる』と甘えているのだろうけど。
この方が吐き出すことで楽になるなら、今は存分にぶちまけてほしい。
『日野さんのところはどうですか? 試し行動、ありましたか?』
「いえ、いまのところは特に」
『反抗期もありませんか?』
「はい。すごくしっかりした子で」
私への質問になって、彰子への正直な感想を述べる。
しんどさを共有する体験談が多い中で、幸運にもうまくいっている例を語るのは少し肩身が狭い。
それくらい、彰子は問題児扱いされていたのが信じられないほどいい子だったから。
もし、本人が黒歴史だと語る小学生時代に出会っていたら全く意見も変わっていたのかもしれないが。
それに今後預かるべつの里子は、私をあらゆる方法で試してくるかもしれないのだ。
貴重な意見を真摯に受け止めなければ。
私もその日が来たら、耐えて愛を注ぎ続けられるかは未知数なのだから。
『なにか変化はありましたか?』
「そうですね……甘えてくるようになりましたね」
『それは、どれくらいの範囲で?』
「一緒に行動するようになったり、くっついてくるようになったり。あと、添い寝したり」
口にすると、とある高齢の女性が難しそうな表情を浮かべた。
うなりつつ首を傾けて、『それも試し行動のひとつかもしれませんね』と言いづらそうにつぶやく。
『研修で習ったのですが、試し行動にも順序があるんです。見せかけの時期があって、まずはお利口さんになりきって大人に気に入られようとする。次に試しの時期があります。我を出して、大人の嫌がる行動を取り続ける。そこを乗り越えて、ようやく信頼関係が成立する。いいところも悪いところも知った上で、愛してほしいのだと』
と、いうことは。
いずれ彰子も、暴れ出す時期が来るということ?
試されている可能性に当たり、一気に緊張感が高まっていく。
とは言っても、彰子は過去の自分に問題があると客観視できているのが最初の食事で分かった。
己の過ちを心から反省し、消せない過去に苦悩する姿も見てきている。
追い詰められすぎて私に委託解除を促してきたほどだ。
そこからさらに、反抗的な態度に移り変わるのだろうか?
私をどう見ているかは彰子次第だが、どうにも想像がつかない。
それに、今どきの女子高生はあんな感じに甘えてくるのだろうか。
物事に分別がつく時期で、むしろ一定の距離感を保ちたがるような気もしてくるけど。
うーむ。
『あ、あのう』
真意がつかめず頭を悩ませる私へと、別の女性が口を挟んできた。
『日野さんって、たしか里親になれる年齢ギリギリですよね』
「ええ」
『未婚、でしたよね』
「そうですが……」
『そのお子さんって、高校生ですよね』
「はい」
『だとすると……試し行動とか難しく考える以前の話で……』
意識、してるんじゃないですかね。
まったく別の方向から飛んできた変化球の言葉に、一瞬思考が固まった。
『それはおやじ的発想でしょう。そんな目で見ちゃ失礼ですよ』
『そ、そうですよね。すみません、下衆な意見で』
即座に他の方から突っ込みが入る。
年齢以上にお若い外見で歳が近いから、親というよりお姉さんみたいな感覚で甘えてるんじゃないですかね、と無難な言葉に流される。
年齢以上にお若い外見、という言い回しに引っかかりを覚えた。
たしかに私は童顔で、生徒からも舐められることが多いけど。
意識、ねえ。
ないだろ。もともと面識はあったんだから。ないない。
それに彰子は、私と家族になりたい意思があるみたいだし。
だからなおさら、子供として甘えたい欲が出てきてるんじゃないかなーと。
私は無難な発想に逃げる。
”日野って……その。好きな人とか、いる?”
”結婚するならどっち、なんだ。男の人か、女の人、か”
まさか、ねえ。
なんで今になって、あのときの台詞を意味深に思い出してしまったのか。
もし、そうだとするなら……
いや、いやいや。里子をそんな目で見るんじゃない。
私まで意識しそうになるのを、必死に他の方の会話に耳を傾けて振り払った。
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