縋るぬくもり

 言ってしまった。

 勉強を頑張ったご褒美が一緒に寝たい、だなんて。

 小学生までなら子供らしい甘え方だけど、高校生の立場で言うのはどうなんだ。


 仮にわたしが男子なら間違いなく拒否されるだろう。女子でも距離感ないアスペだと警戒されるか。

 段階を飛ばしてしまったかと一瞬後悔した。

 ぎゅっと、汗ばみ始めた手で寝巻きのボトムスを握りしめる。


 どう積み重ねていけば正しい好感度上昇のステップをのぼれるのか、対人関係の構築が壊滅的なわたしにはわからない。


 でも、ここで思い切らなければ昨日と同じ一日が繰り返されていくだけだ。


 行動に起こさず、ただ同じ空間で生きることを積み重ねとは言わない。

 3年間同じクラスor部活だったのに何もなかった男女のように。


「いいよ?」


 返事はあっさり返ってきた。

 あっけなさすぎて幻聴かなと耳を疑いそうになるけど、『暑いけどいいの?』と日野なりの疑問点を付け加えられて我に返る。


 確かに。寒いからあったまりたい、なんて季節的に通用しない。

 日野でなくとも不思議に思うだろう。


「お、親と。一緒に寝た記憶がないから」


 だから、わたしは今の立場を存分に利用する。愛情に飢えた、幼少期をやり直そうとしている里子。いまはその恩恵にすがる。


「いい歳して何やってんだって感じだけど」

「べつに恥ずかしがることじゃないよ。里親なんだから」


 合点を見つけた日野はうんうん頷いて、寝室へ手招きする。

 里親なんだから。屈託のない笑みとともに放たれた言葉に、ずきっと罪悪感が胸を刺す。


 彼女は忠実に、真剣にわが子の要求に答えようと”親”の役割を果たそうとしている。


 対するわたしは。本当の親子になろうと手を差し伸べてくれる人に、まだ本当の親子じゃないから好きのかたちは自由だと想いを募らせている。


 それは、相手を騙して近づいていると同義で。あまりにも身勝手じゃないのか。

 理性と良心が、相手を選べと外れそうになる足を歩むべき道へ連れ戻そうとする。


 特別になりたい巨大感情と、身の程をわきまえろと負の感情が押し合いへし合い背中や尻を蹴飛ばして。行ったり来たりを繰り返している。


 いつだって人生は選択肢の連続で、永遠の自問自答を繰り返す毎日だ。



「暑かったらクーラーの風量変えていいよ」


 日野の寝室に入った瞬間、胸の透くラベンダーの芳香に迎え入れられた。もう空気からして違う。


 生活臭を感じさせないほどに片付いた部屋なのに、香りはきっちり部屋主と同じものに満ちていて。

 寝具なんぞ、その最たるものだ。


「さ、どーんと来るがいいー」


 葛藤は日野の布団に迎え入れられて吹っ飛んでしまった。ギャグではない。


「じゃあ、電気消すね」

「おやすみ」


 消灯して、電気スタンドのわずかな明かりも消えて。

 完全に夜の暗闇に視界が塗りつぶされ、代わりに触覚と嗅覚が明確になっていく。


 人の体温と人の香りが一体になった布団の中に並んで寝ているって、想像以上にすごいことしてるんじゃないか。


 わたしの中では、親を除く人間との添い寝は親密な間柄でするものだと思っているから。

 だんだんだんって、絶えず心音が発砲して胸を撃ち抜いている。


 手つなぎやハグされたときに感じた心拍数とは比べ物にならない。すでに伸ばした足はしびれて、腕はがちがちに硬直している。


 取り入れる呼吸は浅くて、真上から冷房風が吹き付けているのに吹き出した汗が止まらない。

 ただ添い寝してるだけで体力ゲージが削られていく。明日はおそらく筋肉痛だろう。


 ちなみにわたしは壁側だ。

 日野はあんまり寝相がよくないみたいで、万が一蹴飛ばしたら申し訳ないからと。


 ならばなおさら添い寝は躊躇しそうなもんだけど、わたしのリクエストを第一に受け入れてくれたことにじわじわこみ上げてくるものがある。


「なので、もしどこかどつかれたら遠慮なくどつき返してね」

「悪気はない相手にできないよ」

「ほんとに就寝中は本人も予測不可能だから……起きたら床に突伏するような形で寝てたこともあったし」

「それ、むしろ日野が壁側じゃないと事故らない? 添い寝しようって言った以上は文句は言わないよ」


 それだけ寝相がアクロバティックなら、わたしが起きる前に起床するのもわかる。

 っていうか看病したときは規則正しい姿勢で寝ていたような気がするけど、あれは体調不良で動く元気もなかったのか?


「あ、そうだ。私が動き出さないように縛ってくれるのが一番安全かな」

 冗談みたいなことを明るく言うもんだから、ネタかマジなのか一瞬返答に困った。

 縛り付けた横で寝るって、放置プレイと緊縛プレイのハイブリットかよ。


「はい? それ本気で言ってる?」

「それで彰子の安眠が守られるのであれば」

「そこまで神経図太くないわよ」


 気にせず寝ろと言いかけて、唐突にある提案が湧き出す。

 もう頭は強すぎる刺激でどうにかなっていて、逆に変な冷静さを取り戻そうとしていた。つまるところ開き直っただけだけど。


「じゃあ、こうだ」

「ほよ?」


 腕を回して、両腕で日野の腹部を拘束する。

 ……うわ腰回り細すぎだろこの人。そんでもって出るとこ出てるとか。

 モテないわけがないのにフリーなのは、本当に恋愛に興味がないのかなあ。


「これなら縄よりは健全だと思うけど」

「あはは、確かに」


 どこがどう健全だと言うのだろう。

 縄よりは犯罪臭が薄れたかもしれないけど、密着してる状況は不健全以外の何物でもないのに。


 そんなことを平然と実行してる己にも突っ込みたくなるが、同意の上だから大丈夫だと都合のいい言い訳を重ねて抱擁を正当化する。縄のインパクトが強すぎて感覚がバグってるのかもしれない。


「彰子、腕疲れない?」

「疲れてきたら離すよ」


 こんなに急接近できる機会、二度は訪れないだろう。腕のしびれも暑さも些細なものだ。

 いやでも夜中にトイレ行きたくなったらまずいよな。なので、もよおしてきてもこの姿勢だったら遠慮なく引き剥がしていいからと補足する。


「できれば朝まで、こうだといいなあ」

「え、」

「へんな寝相を見せないで済むから」


 ああ、そういう。

 わかってはいたけど。日野の一言一言に感情を揺さぶられている自分は我ながら滑稽だ。

 言葉を都合のいいように解釈し始めたらストーカーの思考だよ、やばい。


「…………」


 会話がなくなって、時計の針もずいぶんと進んで。

 だいぶ前に寝入った日野の寝息が耳に届き始めて、はーっと息を吐いた。


 こんな体勢だから当たり前だけど、ぎんぎんに目が冴えている。

 緊張と少しでも一緒にいる時間を感じていたくて、心と体が睡魔を拒否している。


 だけど。

 日野は、こんなに近くにいても安らかに眠れるんだ。


 どんなに親しい間柄でもここまではやらんだろって、ギリギリのラインを攻めてみたはずなのに。

 やっぱり日野の中では、わたしは何をしても家族のスキンシップの範疇なんだろうか。


 これがもし、赤の他人だったら。

 単なる従姉妹同士のままだったら。

 日野は、まったく違った反応だったのだろうか。


 打つ手ないじゃないかと、わけもなく鼻の奥が熱くなってくる。

 こんなに近いのに、欲しかった距離には届かない。


 どんなに空回りしても、無駄に終わっても。あがいて、このぬくもりに縋るしかないのか。



「…………っ」

「?」


 人のうめき声が聞こえたような気がした。

 空耳か? 聞き流そうとする前に、また声が鼓膜を震わせる。

 今度は、はっきり人の言葉となって耳に届いた。


「や……て、…………ないで」

「……日野?」


 呼びかけたけど、日野は一方的に何かをぶつくさつぶやいている。

 今まで聞いたこともないほどの、苦しさをはらんだ声。

 必死に声を出すけど届かない、そんなニュアンスで。

 日野はここにいない誰かへと、懇願と懺悔を吐き出している。


「う、うう…………」


 日野がどんな悪夢に苛まれているのか、人の頭を覗けるはずはないからわからない。

 だけど声はいつしか涙声に濡れていて、彼女に深く沈んだ悲しみが震える喉から伝わってくるようだった。


「…………」

 現実に帰ってこいって、叩き起こすこともできた。

 だけど、無理やり引っ張り上げるのは違う気もした。日野はきっと、こんな一面はわたしに見せたくないだろうから。


 わたしはまだ、日野のことをほとんど知らない。

 いつも朗らかで、勇気と優しさを与えてくれる人。そんな表面的な姿がわたしの見ている日野の印象だった。


 今はせめて、誰にも見せない辛さも苦しみも受け止められる存在でありたい。

 回した腕に、力をこめる。


 もしかして、今までは一人で布団の中で震えていたのかと考えると胸が締め付けられる。

 日野自身もあまり親からはいい扱いではなかったみたいだし、悪夢は何度も訪れるものだから。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 起こさないように、添えるだけ。

 腕を片方ほどいて、日野の頭部に手を置く。


 ややあって。

 すがるように、日野の両腕が背中へと回される。

 それはきっと、無意識の行動だったのだろうけど。


 それだけで、さっきとは違う熱いものがこぼれそうになった。


 現実では、隣にわたしがいるから。

 心に触れられなくたって、ずっと傍にいるから。

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