7月編
進捗どうですか?
カレンダーはいつの間にか7月を差していた。
夏休みまであとひと月もないのか。1学期って流れるのが早く感じる。
季節はもう夏なんだけど、未だに週間天気予報は曇りか雨マークばっかだ。気象庁も今年は梅雨が長引くと言っている。
過ごしやすくなるなら冷夏でも全然おっけーなんだけど、作物と値上げに影響するのがね。
憂鬱なのは天気だけではない。
優柔不断なわたしの尻を叩いたのは、何気ない友人たちとの会話だった。
「ところで光岡さん、下世話な好奇心から伺ってもよろしいでしょうか」
もったいぶった言い回しで、山葉さんがうどんのどんぶりから顔を上げる。
たまにはってことで、お昼は学食で済ませることにした。
ちなみに遠足の日から、三井さんともちょくちょくつるむようになった。ので3人でテーブルを囲んでいる。
メニューはわたしがカツカレー、山葉さんがきつねうどん、三井さんが中華丼だ。
「内容によるけど、何聞きたいの?」
「恋愛事情です」
「え、誰なん? 二次元? 三次元? 人間?」
「人外が対象の恋バナとか聞きたいか?」
無駄に韻を踏んで三井さんが食いついてきた。
陽キャ寄りの彼女はこういう話題好きそうだよね。
「特定の相手はいないみたいだ。性指向も、特にこだわりはないって」
「良かったではないですか」
「そんで? 次のニュースは?」
ありません。
知ってからひと月は経とうとしているのに、わたしはさしたるアクションを起こしていない。
同居してるのだから、いくらでもアピールチャンスはあったはずなのに。
今まで何をやってきたんだ。
振り返っても、勉強と家事というごく当たり前のことしかやっていない。いや学生の本分はそれなんだけど。
「いまフリーで、恋愛対象の情報を教えてくれるくらい相手と仲いいんしょ? したらもう、あとはアタックしかないんじゃないの?」
「具体的にどうすればいい?」
「食事に誘ってみる、とかはいかがでしょう」
ふたりの意見はごもっともである。
気になる相手と食事、定番中の定番だ。
私服でいつもと違った印象を与えられるし、食事の場は相手を見極める判断基準となる。
相手が家族でなければ。
日野であれば、おそらく大抵の場所は断らないだろう。
食事どころか、遊園地や旅館まで頼めば連れて行ってくれそうだ。
そこが問題なのだ。
仲良くなるために、二人で遠出する。わたしにとってはでぇ……とであっても、日野にとってはあくまで家族サービスの一環でしかない。
困ったぞ、これは。
お冷に口をつけて、肩を落とす。
リアルでもドラマでも、小さな会話やデートを重ねて親密な関係に煮詰まっていくものなのに。
距離が近すぎるゆえに、単なるコミュニケーションやおでかけでは平行線のまま進まないのだ。
恋愛ゲームとかさ。攻略対象に身内が入ってる場合、だいたい向こうからぐいぐい来たり好感度マイナスから始まったりするじゃん。
適度に仲が良いパターン少ないじゃん。話広げらんないから。
その中間パターンが知りたいよ。
「食事、実はもう行ってる。何回か」
「めっちゃ親密じゃん」
「ですが、なんの動きもないと」
素っ気ないわたしの返答に、山葉さんが即座に補足する。さすが理解が早い。
「えー、なんで? ご飯行くくらい仲いいんでしょ? 何回も誘ってんでしょ? なんで?」
「年上だから、かなあ」
さすがに同じ学校の教員が対象とは話せないので、ぼかして説明すると『まさか枯れ専?』なんてとんだ誤解が三井さんから飛び出した。
そこまでアブノーマルじゃないわい。
「年上って、どうしたら年下を意識する?」
「同年代のうちらに聞かれてもなあ」
ここはほんまもんの年上に聞きましょや、とレンゲを置いて。三井さんが席を立った。
まさかその場で聞き込み調査する気じゃねえだろなと遠巻きに眺めていたら、話すどころか連れてきてしまった。
しかも教員を。
本田先生を。
「というわけで本田先生、悩める子羊であるわたしらめにご教授くださいませ」
「は、はあ」
購買部のおにぎりを抱えて、三井さんの押しに負けた本田先生は遠慮がちに席に近づいてきた。
ごめんね、本田先生。お昼時なのにこんなくだらんアンケートに付き合ってもらって。
そう謝ったけど、本田先生はいえいえと首を振った。生徒と話すきっかけを作ってくれて感謝します、と三井さんに頭すら下げている。
「年下がアリだと感じる瞬間って、本田先生的にはどんな感じですか?」
「愛でる者か、肩を並べられる者かのどちらかでしょうか……」
意外とあっさり言語化してくれた。
一般的にロリ(ショタ)コンと言われてる人たちは、小動物とか無垢な愛らしさを求めて可愛がるのだろうし。
逆の場合は、年下にあるまじきイケメンさというギャップがハートを掴むらしい。
漫画とかだと定番の題材だ。
「路線は2つに1つなのですね。愛嬌か、頼りがいか」
山葉さんの端的にまとめた語句に打ちひしがれそうになる。
愛嬌、頼りがい、どっちもないんですが。
今さらさつき姉ちゃん~、なんて猫なで声で甘えるキャラ変はできるわけがないし正気を疑われる。
頼りがいなんて、今現在養ってもらっている立場のわたしがどう醸し出せるというのか。
恋愛観を本田先生から聞き終えた三井さんは、うんうん頷きつつ総評へと移った。
「恋愛には大切な3つの力があるわけですな。経済力、包容力、
ねえよ。全部ねえよ。むしろ日野が全部持ってるよ。
経済力を手にするのは最低でも数年後だ。
就職して、いろんな仕事を任されるようになる頃。今の日野と同じくらいの年齢だろうか。
それまでに日野がフリーである可能性は低いだろう。たった数歳の差がもどかしい。
どれだけ背中を追いかけても、大人と子供の距離は縮まらない。
せめて2、3歳差だったらまだチャンスはあったのに。
「学生時代でしか為し得ない、恋愛の醍醐味はありますよ」
やけ食いのようにひたすらカツカレーを咀嚼するわたしに、本田先生の優しい声がはっきりと響く。
「若さ、です。大人になると、単なる好きという情熱だけでは恋愛に踏み切れません。損得で考え、行動します。晩婚化が進んでいると揶揄されたのは、大学を卒業して就職して将来の資金を貯めていくうちに、相手選びも慎重になっていくからですね。相思相愛で添い遂げる、といった理想の恋愛よりも生活の安定を重視した妥協の結婚。後者の現実を受け入れられず、婚期を逃す人も大勢いるということです」
だから勢いだけで交際に踏み切って、キラキラした青春を謳歌する学生カップルのまぶしさが目に染みるのだという。
「どう歩めばいい人生を手にできるかなんて、誰にも予想できません。失敗を恐れず、行動すること。失うものが少ない今だからこそできることです。命短し恋せよ乙女です」
まだ早い、勉強に専念しろと大人の視点で学生の本分を押し付けるのではなく。
今しかできない青春を満喫せよと後押ししてくれる。
失敗を恐れすぎるのも悪い例だ。
夢を見て何が悪い。
今の時間を有意義なものに獲得できたことに感謝の念を抱き、わたしは決意を新たにした。
その日の夜。
いつも通り、わたしは就寝前のスキマ時間に日野と期末対策の勉強をしていた。
勉強に意欲的な姿勢を見せ、いい点数を取る。地道な外堀を埋める作業だ。
本田先生から心強いお言葉を頂いたモチベもあり、なかなかいい得点を出すことができた。
「おおー、今日はすごいじゃないか。だんだん数学が身についてくるようになったね」
ご機嫌さがあらわれた声と表情で、日野はワークブックに目を輝かせていた。
中間でも最も課題となっていた、死ぬほど苦手だった数学にここ数日は対策を入れていた。
高1の数学は2年3年の地盤となり、重要度も半端ではない。
式と証明、二次関数、三角比。文面だけで頭痛がしてきそうで脳が拒否しかけるけど、ここをおろそかにすると後々苦労するのだ。
もう2年だから遅れてはいるんだけど、努力次第では取り戻せる。1から鍛え直して、やっとここまで来ることができた。
「打算的だけど、ご褒美のためにがんばったようなもんだから」
「何も報酬がなければ人は動かないよ。餌をぶらさげたところで、机に向かうまでが難しいんだから。ちゃんと成果を上げられるのは立派に成長してる証だ」
何がいい? と日野は笑みをたたえながら聞いてきた。
それはある意味、難しい問いだった。
日野は何にどきどきするんだろう。知りたい欲求が今日一日ずっとぐるぐるしていた。
外食も、外出も。これまでやってきた。
ひとつ屋根の下、なにもかも与えられている環境下でのさらなる変化はなんだろう。
下心と願望を胸に考え抜いて、わたしが出した結論はこれだ。
「じゃあ。日野がよかったらでいいんだけど」
「うん。なんだい?」
これまでは、そこまでは望んじゃ駄目だろと理性がせき止めていたものを。
もう少し一歩前に踏み出そうと、もうひとりのわたしの応援が声になって飛び出す。
「今日、一緒に寝ない」
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