隠せない独占欲
狭い個室にはタバコ臭がこもっていた。壁も、ソファーも、床もどこかくすんでいる。
このビル自体が年季ありそうな外観だったし、それなりに歴史があるのだろう。
「失礼します」
白い長テーブルを挟む2つのソファーのうちのひとつ、いちばん奥へと日野が腰掛ける。
先頭を進んでいた
わたしは一瞬だけ逡巡して、三井さんの後ろに続く。
本当は日野の隣がよかった、けど。他の先生やクラスメイトの目もある中で割り込むのは不自然だ。
代わりに、三井さんに断って位置を交換してもらった。せめて目の前は陣取りたかったのだ。
ソファーがひとつだったらなあ、なんて部屋のレイアウトに不満を抱いてしまう。
「ほんとにいいですって。無理やり誘ったのはうちですし、お金は払いますから」
「生徒にたかるわけにはいかないよ」
「そうですよ。どうせ30分170円ですし、そこまで長居はできないので」
財布を出す三井さんに、日野と本田先生は遠慮がちに手を振る。
うちらは中高生限定の3時間無料パックだけど、大人はかかっちゃうもんな。
「私たちは食べてるから、気にせず歌ってていいよ」
フードメニュー表を開いて、日野が隣の本田先生と何がいいか二人で話し込んでいる。
何話してるんだろう。気になってわきまえられない自分がいる。
ワンドリンク制で注文した、手元のコーラをストローで吸い込みながら聞き耳を立ててしまう。
「カラオケなんていつぶりでしたっけ」
「つい先月行ったばかりじゃないですか。ああでも日野さん、あのときは途中で抜けたんでしたよね」
なんで雑音だらけの中、聞かなくてもいいことは拾っちゃうんだろう。
あのときって、GWでわたしがいろいろな目に遭ってたときのことか。
他の先生とカラオケに行くってこと、当時から知っててそのときはなんとも思ってなかったのに。
仕事でペアを組んでいるだけだし、なんらやましいことはない。のに。
自分の余裕のなさに苛立ちが募ってくる。
「光岡、私たちは決まったから見るかい?」
耳慣れない呼称に、え、自分? と認知がつっかえる。
向かい側に座る日野が、メニュー表をわたしへとひっくり返した。自分たちだけ食べてるのも悪いから、欲しいものがあったらついでに注文しようかと。
そうだよね、ここでは教師と生徒だもんね。私服だとついつい気が抜けてしまう。
「たしか、お昼はまだだったよね?」
「あ、わたしたちは……」
お弁当、と言いかけて三井さんと山葉さんから『まだ空いていないので大丈夫です』と声を被せられる。
いけねえ、ルール違反を漏らすとこだった。
東京まで来てカラオケで手作り弁当持参って、なんのための遠足って話になるけど。
だって高いんだもん。節約するに越したことはない。
「そう? でも、途中でお腹空いてくると思うよ。みんなでつまめるものを注文しておくね」
山盛りポテトグリルソーセージ付きの写真を指差し、日野は壁に設置された電話機へと向かった。
そうだ。今のうちお手洗い行っておこう。誰かが歌ってるときに抜けたら印象悪いもんね。
先に曲決めてていいよと言って、わたしは部屋を出た。
「あ」
用を足して、洗面台に向かったところで。ちょうど入ってきた本田先生と鉢合わせた。
お互い会釈して、わたしは手を洗う。
真面目で落ち着いた先生といった印象だけど、ほとんど話したことがない先生だからどう話していいか分からない。
日野との会話を聞く限り、打ち解けられれば気さくな一面もあるんだろうけど。
「あの」
「は、はいっ?」
てっきり奥の個室に向かってるかと思った人に背後から話しかけられて、びっと肩が上がってしまう。
「よ、余計なお世話だったらすみません。席、代わりましょうか」
「せ、席ですか?」
「はい。そっち、座りたそうでしたので。よ、よかったら」
おどおどと、本田先生はわたしの顔色をうかがうようにこわばった声をかけてくる。
すみません、とべつに非はないのに出た謝罪の言葉に疑問を覚え、徐々に隠された真意が読めてきた。
自分の行動を思い返し、かーっと羞恥がこみ上げてくる。
勢いよく頭を下げた。
「いえっ、こちらこそ失礼な態度を取って大変申し訳ございません」
日野にびびられるくらいだ。動揺していたとはいえ、わたしはかなり険しい表情だったに違いない。
LINEの相手って本田先生だったんだって、わたしは入店したときから彼女をガン見していた。
日野が誤解して帰ろうとするのを引き留めようと、大胆に腕を引っ張り隣を陣取った。本田先生には全く触れずに。
それは、彼女からすれば『日野先生だけでいいのに』と避けられていると思われても不思議じゃない。
くだらない独占欲で和を乱していたなんて、恥ずかしすぎる。
「お二人とも、タブレットを確認しておりましたよね。遊びで来ているわたしが割り込んでは、仕事の邪魔になってしまいます。ですので席はこのままで大丈夫です」
「わ、わかりました。では、それで……」
嫌ってると思っていた誤解が打ち解けたことにより、安心したのか。
本田先生は、はーっと息を吐きながら顔を覆った。
「す、すみません。引き止めてしまって」
「いえいえ、ちゃんと本田先生とお話できてよかったです」
「こ、こちらこそ。光岡さんとは仲良くしたいって思っていたので」
本田先生、クールできりっとしてるから遠くで見るぶんにはかっこいいなって思うときはあったんだけどね。
でも、話しかけづらいなってイメージが先攻していた。
たぶん、先生もそれに気づいて生徒ともっと打ち解けたいって気にしていたのかもしれない。
さて、目的のカラオケだ。
ここにいるメンバー全員の歌声を聞くのは初めてだったけど、三井さんも山葉さんも普通に上手くてびびった。採点機能で平均85は出てるくらいだから。
ちなみにわたしは歌ってない。
このふたりの声をもっと聴きたいから。今日はロム専だ。
『花のようにー、儚いのなら~、君のもとでー、咲き誇るでしょう~』
山葉さん、普段は抑揚のないトーンなのに歌になるとなんでこんなに感情がこもった美声になるんだろう。
DBは歌声も補正かかってんだろうか。
三井さんはノリがいい子で、ウケ狙いの曲をビブラートかけまくりで歌い上げたり、謎の前口上を入れるもんだから歌う前から楽しい。
「まぶたを閉じれば、浮かび上がる。きみの笑顔も、きみのぬくもりも」
「ふとした瞬間によみがえるきみは、今もなお囚われしぼくの心を縛めている。そこにはいつも、この歌がともにありました……」
「今宵、呼び覚ませ。ほろ苦きメモリー。それではご清聴願います『3年目の浮気』」
選曲で台無しだ。
腕まくって小指立ててしゃくれながら言うもんだから、笑いをこらえきれずぐふっと吹き出す。
そんで力強く歌い上げるノリノリっぷりがほんと最高。
三井さん、盛り上げ役として引っ張りだこになりそうだ。
「いいよいいよー。最高にクールだよー」
生徒の目があろうが日野の食欲旺盛っぷりは健在で、いまはオム焼きそばとかいうカロリーの暴力飯をもりもり切り崩しながら食べている。
からあげの皿とセットで。
隣で上品にナポリタン巻き付けていた、本田先生のフォークが止まってますよ。
完全に日野の食べっぷりに圧倒されてるのがわかる。
「本田さんも食べたいですか?」
えっ。
本田先生が驚きの声を上げるのと同じタイミングで、わたしも声が出そうになった。
じっと見ていたから分けてほしいと思ったのだろうか。
「これ、ほんと美味しいですよ。ささ」
日野は口をつけていない反対側の部分を削って、ナポリタンの皿の端へと置いた。
「え、あ、じゃあ、こっちも少しどうぞ」
もらいっぱなしは悪いと思ったのか、本田先生も新しいフォークでパスタを巻き取り、オムそば皿へと分ける。炭水化物ばっかだな。
……家の食卓では見たことがない光景だ。
食べるメニューは同じだから交換するシチュエーションが出てくるわけがないんだけど、ちらっと横目で追ってしまう。
『やきもちやいても可愛くないぜ~、大人になりなよ~』
やかましいわ。
歌詞のタイミングと状況が無駄にリンクしていて、三井さんにガン飛ばしそうになってあわてて視線を逸らした。
その先には奇しくも日野がいて、目が合ってしまった。
……あ。
日野がぎょっと目を丸くして、姿勢を正す。またやってしまった。
「……み、光岡もお腹空いてきたのかな?」
よかったら分けてあげようかと、日野はおどおどと手元の皿を指差す。
マヨネーズとソースの香ばしい匂いと、噛みごたえありそうな衣に包まれたから揚げに食欲がそそられ始めた。
そうではないけど、そうでもない。
めんどくさい感情に揺られて、わたしは頷いた。
何、対抗してるんだろう。断る前に身体が正直に反応してしまった。
「あ、でもお皿がないか……」
きょろきょろと日野がテーブルを見渡して、手頃に置ける皿がないことに気づく。
それくらいそこの紙ナプキンに落としてくれれば食うよ。
目の前に置いて、これでいいよと差し出すと。
「いやいや、食べづらいでしょう。直接どうぞ」
「えっ」
今度は声に出てしまった。出ないわけがなかった。
日野はそのまま、オムそばを刺したフォークをこちらによこしてきたのだから。
ちょっと、これはさすがに恥ずかしい。
百歩譲って家でやるならともかく、クラスメイトと他の先生の目線があるとこで『はい、あーん』って。どんな羞恥プレイだ。
今どき漫画でも見かけないぞ、んなベタなシチュ。
ど、どうしよう。
本田先生は『そこまでやるんですか?』みたいな驚愕の目つきで固まってるし、三井さんからは丸見えだし。この空気で食えと。
でも、断ったら日野に悪いし。
ええい。
わたしは身を乗り出し、餌に食いつく鯉のごとく一気に食らいついた。
食ってるのに、味をほとんど感じない。
耳と頬がすごい勢いで燃え広がってる熱さは感じ取れるのに。
「美味しい?」
「……はい」
かくかくと、ネジが抜けた機械のような動きで頭を振る。
ちょうど歌い終わった三井さんが、『光岡さんだけずるーい』とこっちに乗り込んできたことで機械から人間に戻った。
いまのわたしは相当、挙動不審に違いない。
「なんだ、みんなそんなにこれが食べたかったの? もうひとつ注文しようか?」
「いやぜったい完食できませんって。から揚げのほうです。人が食べてる光景を見ると、一口欲しくなっちゃう心理みたいなもんです」
「そうなんだ。山葉さんは? 遠慮せずどうぞ」
「頂けるのでしたら、ありがたくお言葉に甘えます」
から揚げはポテトの皿と合わせていくつか楊枝がついていたので、あーん再来にはならなかった。
てか、お弁当の箸あんだからそれで食えばよかったな。今さら気づいたけど。
「…………」
そして相変わらず、本田先生はパスタを巻き付けた動作でフォークが止まっている。
魂が抜けたように、ぽかーんと気の抜けた表情で一連の動作を眺めていて。
少し、むっと唇が尖っているように見えたのは気のせいだろうか。
生徒との距離感に迷ってる先生からすれば、日野は鬼コミュ力すぎて羨ましくなるよね。
「ねえ、せっかく来たんだから歌ってこうよ。うちも光岡さんの歌聞いてみたいし」
「山葉も興味がございます」
「君らと比べると歌姫とジャ○アンくらいの差があるから……」
でも、一曲くらいは歌わないと付き合い悪いって思われるか。
少し迷って、わたしはひとつの曲を選択した。お見苦しい数字を見せたくないため、一時的に採点機能は切って。
一般的には卒業ソングとして認知されてるけど、よくよく歌詞を読み込んでいけばラブソングとして聞き取れる歌だ。
知名度も高いので、これなら全員盛り上がれるはず。
『この先も隣でー、そっと、微笑んで~』
マイクを持ち、目を細め、音に集中する。
今はまだ、これしか伝えられない。わたしの精一杯の恋文を、ただひとりに向けて贈る。
届いてほしい願いと、まだ気づかないでいてほしい欲。
相反する想いをこめて。
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