【皐月視点】縁カウント

 教員にとって学校行事は楽しむものではない。

 生徒が楽しめるよう、一人も欠けず無事に終えられるよう。常に気を張って仕事に当たらなくてはならないのだ。


 新任当時、まだ学生気分だった私は『楽しみにしている学校行事はなんですか?』なんてベテランの先生方に聞いたっけ。

 みんな揃って遠い目で『終業式かな』と答えるものだからそれ行事じゃないよね、と呆れたものだった。教員の実情も知らずに。



「今は学校行事、ほとんどないところもあるんですよね」

「え、体育祭も? 修学旅行も?」


 売りにしている学校もあるんですよ、と隣で歩く本田さんが信じがたい昨今の学校事情を説明してくれる。


 私服でいいのに、本田さんは今日もお堅いスーツ姿だ。

 頭頂部でぴしっとまとめられたシニヨンヘアが、風を切るようにきびきびと歩く彼女によく合っていると思う。


 羽田空港第1ターミナル、”月の塔”と呼ばれる特徴的な柱が建つ通路にて。

 東京見学に出発した生徒たちに続いて、私も駅方面へ歩き出していた。生徒の動向のチェックのために。


 ペアを申し出てきた、本田先生を連れて。


「授業だけって、それこそつまらなくないですか? そもそも学校行事が嫌いな子は、学校そのものが嫌いだと思うのですが」


 10代は様々な刺激に触れることがなによりも大事なのに。嫌いだからってなんでもかんでも無くすのはどうなのか。


 社会に属せば集団行動ばかりだし、協調性が育つか危うい。

 その頃になって、取り戻せない青春に後悔を抱かないだろうか。


「少ない学校は増えてきていますね。塾に通わせる理由のひとつに”学校の授業だけでは補いきれないから”がございます。行事を減らして授業時間を確保するということは、授業のペースが落ちて生徒が理解しやすくなる、余計な教育費を減らせる、といったメリットにもなります」

「ああ、確かに……よく調べてますね、本田さん」


 本田さん、あんまり話したことがない方だったんだけど意外と饒舌なんだね。

 思い切ってペアのお誘いに乗ってよかった。


「いえ、私こそ。日野さんとは一度お話してみたいと思っていたもので。ご一緒できて光栄です」


 ややきつめの顔立ちの本田さんは厳しい印象があるけど、今は目元がほぐれて口端も照れたように緩んでいる。


 本人は『生徒に萎縮されててあまり話しかけてもらえない』と落ち込んでいたけど、私も勝手に威圧感があるイメージを抱いていたから人のことは言えない。

 コミュニケーションは大事だ。


 さて、各班のルートは把握しているため、すでに何人かの先生は現地に向かっている。浅草とか、渋谷とか。


 私は初担任ということもあり、いちばん簡単でいちばん指定した班が多い場所を任されることとなった。


 京急に乗って、3つ先の大鳥居駅へと向かう。

 確か、彰子の班もここだったはずだ。


「ここって、特に目立った観光スポットはありませんよね……?」


 駅を降りてあたりを見回すも、広い大通りが続いているばかりだ。

 地図アプリでもコンビニ、飲食店、カラオケ店ばかりで。


「GPS位置情報では、全班の所在が駅周辺に確認されております」


 本田さんが支給されたタブレット端末を見せてくれた。

 確かに、観光予定のすべての班がエリア内を歩き周ったり一箇所に留まっているのが見える。


 不穏な動きがないか動向を確認し、点呼時間までに移動できているか見守るのが今日の私たちの仕事だ。


 そのうちのひとつは。すぐ先の、信号を渡った場所に建つファミレスだ。


「まだお昼前ですよね……」

「いえ、だからこそかもしれません。都内の飲食店は、昼時に向かっても混雑で入れないときが多いですから。あと、雨天では必然的に屋内で長く過ごせる場所に足が向きますよね」


「そこでしばらく過ごす、ってことになるのですかね」

「東京は物価が高いですからね。あんまりお金は使えないのだと思います」


 だからか。自由度が高いほうがいいだろうと、都内のいくつかの駅を遠足範囲にしたものの。


 楽しむって、お金があることが前提だものね。

 今の子の切ないお財布事情に、本田さんと顔を合わせて苦笑いを浮かべる。


 雨のため蒸し暑く、傘を差しながら歩くのは足も手も疲れる。

 小雨に和らいできただけマシか。ちょっと休憩したほうがいいね。


 ちょうどコンビニの前に屋根付き無人のベンチがあったので、並んで腰掛ける。ペアのお礼に飲み物をおごって。


「話は変わりますが。私、日野さんのことはけっこう尊敬しているんです」

「本田さんみたいな聡明で理知的な方に尊敬されるようなこと、ありましたかね」


 尊敬なんて縁遠い言葉をいただき、頬を掻いていると。

 本田さんは『自覚ないのですか?』と言いたげに目を丸くした。


「人間性の話です。教員として、人の親として。二足のわらじを履いているじゃないですか。それも里親だなんて」

「まだまだ未熟な段階ではありますよ」


「なおさらですよ。委託される子って、普通の家庭とは事情が異なります。とくに問題行動を起こして施設行きになったVBの割合は高く、引き取り手もなかなかいないと聞きます。それでも決意した日野さんは人間的に立派だと思うのです」


 もっと里親制度は浸透するべきだと思うのです、と本田さんは声高に主張する。


 その意見には私も同意する。

 国は産めや増やせやと恋愛婚活をサポートしたり子育ての支援を手厚くがんばってるけど、ただ子供の数が増えればいいだけではない。


 どれだけ刑罰が厳しくなっても虐待の件数が無くならないように、産めば完璧な親になれるわけではない。


 子育ては大変なもの。だけど子供の成長には、何よりも愛情が必要。

 実親ではなくとも、親代わりの人間が心から愛情をもって育てれば家族になれるのだ。


「他人の子供を育てたい人なんているわけがない、って極論を唱える人もいますけど。私は逆の考えが強かったんですよね。親元で暮らせない子供への支援はまだまだ薄いので。ただ労働力のために闇雲に増やすだけでは、どこぞの国のような落とし子であふれ返るだけです」


 へえ、だから私に声を掛けてくれたのかな。


「もしかして、本田さんも里親制度に興味がおありなのですか?」


 だとしたら、候補者が増えるのはいいことだ。

 まわりが務まらないやめとけと反対しても、私は全力で子供を救おうとがんばる彼女の応援をしたい。


 条件は厳しいけど、ちゃんと行政はなろうとする人に児童福祉論や発達心理について研修してくれるから。

 踏み出す勇気が大事なのだ。


「は、はい。ですので、その……」

「その?」


 何を言いよどむ必要があるんだろう。

 本田さんは膝の上に置いた両手をこね回しながら、私の顔色をちらちらと伺っている。



「あ、日野せんせー」


 コンビニから出てきた女子高生の声によって、私たちの会話は断ち切られてしまった。

 ああ、彰子のクラスの生徒か。


「巡回ですか? 大変ですね」

「大丈夫だよ、休んでいたところだから」

「それとも、デートの邪魔でもしちゃいましたかね」


 からかう口調で笑う女子に、本田さんが『遊びで来たんじゃありません』と顔を赤くして窘める。

 いつもきりっとした本田さんの崩れた表情に、女生徒はますます口角を釣り上げた。


「先生たちって、お昼まだですよね」

 そろそろカラオケの呼び出し時間なので、よかったら一緒にどうかと女生徒は意外な提案をしてきた。


「うーん、でもなあ。私たちはあくまで仕事で来ているわけで」

「頼んますよー。生徒と一緒なら監視にもなりますし、セーフですよね。なんならお昼だけつきあっていつでも抜けていいので。ねっねっ」


 この場合はどうすればいいのだろう。

 グループLINEで他の先生方に確認を取ったところ、範囲外に出たり飲酒をしなければ大丈夫と返ってきた。


 というか、すでに生徒と観光を楽しんでいるという先生からの書き込みもある。

 集合写真付きで。


「えっと、どうしますか。本田さん」

「わ、私は興味あります。お昼だけでしたら」

「でも仕事が」

「もちろんタブレットは逐一確認しましょう。万が一不審な動きを見かけたらすぐ退店する形でもいいですよね」

「ぜんぜんおっけーです。仕事中ですもんね」


 本田さんはOKなのか。女生徒の揶揄りに真っ赤に反論していたから、てっきり断るかと思っていたけど。


「君はともかく、他の班員たちは先生が加わるって聞いてないよね? 嫌がる子もいるんじゃないかな」

「あ、確認取りましたがばっちこいみたいですよー」


 ぬかりないね君。班の人が大人しい子ばかりで、大人数でわいわい騒ぎたいらしい。


 仕事中に、こんな息抜きしていいのかって抵抗はあるけど。

 生徒と一緒で他の先生もいるならいいのかなあ。雨の中を歩き回るのも気が滅入るし。


 そんなわけで、女生徒の押しに負けた私たちは入店することになった。昼食ぶんの料金を払う形で。


 女生徒に続いて都道を進み、巨大な高層ホテルの隣の雑居ビルへと入る。

 ここの5階に目的のカラオケ店があるらしい。


「おまたー。臨時メンバーだよん」

 他の班員はすでに到着しているということで、入口付近の椅子へと案内される。


「……え?」


 そこにいた、思いもよらない人物に私は固まった。

 彰子と、山葉。

 後者は私たちを一瞥して、すっと頭を下げる。


 が、彰子は同じように私を見て静止したままだ。目線的に、隣の本田さんを凝視している。


 観光場所はこの駅周辺ということは知っていたけど、まさか女生徒の班員だったとはどんな偶然なんだ。


「本当に同意の言質を取ったの?」

 にわかに信じがたく、小声で女生徒にぼそぼそと耳打ちする。


「女の先生ふたり加わるけどいいか、って言ったらいいよって言いましたよ」

 伝え方がアバウトすぎる。彰子たちも聞き返さなかったのだろうか。


 とにかく、これは立場的に過干渉だ。

 彰子は友達とわいわい遊びたくてここに来ただろうに。

 他人ならともかく、親的立場の私では監視されてるような気分になって息が詰まってしまうだろう。


 私は女生徒に注意をする口調へ切り替えた。


「あのなー、君。だめだぞ、ちゃんと名前は言わなきゃ。本田先生は好きだけど、私が嫌いって可能性もあるのだし」

「え、日野先生が嫌いな生徒なんているんですか?」

 そういう問題ではない。


 彰子も、本心は帰れと言いたいのだろう。

 なんかさっきから睨んでるような目つきだし。ごめんね先生なんかが来ちゃってと手を降り、踵を返そうとすると。


「わたし、帰れだなんて一言も言ってない」


 それまで黙っていた彰子が手を伸ばし、私の腕を掴んだ。


 か、歓迎しているならその目つきをもう少し下げて欲しいのだけど。

 校舎裏に連れていきそうな表情としぐさで言われても。


「雨の中お付き合いいただき、ありがとうございます。”日野先生”」

 腕から手を離すと、彰子は私の脇に並んだ。

 逃げないでと言ってるかのように。


「じゃ、じゃあ。みんな同意したようなので行きますか」


 彰子の迫力に気圧されたのか、若干テンションがしぼんだ女生徒が指定のカラオケルームへと歩き出す。

 ほ、本当に参加していいんだよね?


 まだ仏頂面のままの彰子に疑問を覚えながら、私たちはカラオケルームへと入った。

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