6月編

恋愛に正解はないが手順はある

 もし、意中の人へ想いが通じたら。

 永久を誓い、生活をともにする日が訪れたら。


 片想い期間中の大多数が描くであろう、理想の未来予想図。

 成就する前からひとつ屋根の下で暮らすわたしは、恋バナでは羨ましがられそうだ。


 まわりはおしゃれや話術で気を引いて、必死に接点をつくろうと努力しているのに。

 何もせずとも傍にいられる環境だなんて。

 アドバンテージありまくりじゃないかって。


 だけどそれは、常に悶々とした感情を抱えながら暮らすということでもある。


 向こうがわたしに求めているものは、100%親子としての絆であって。

 親愛を超えた関係など望んでいるはずもない。

 むしろ、娘だと思っていた相手に女として見られているなど、裏切り行為に等しい。


 わたしと、日野。

 主観的にも客観的にも問題点しかない。

 むしろ問題じゃない点ってなんだ。法律的にはセーフ、らしいけど。


 禁止されてはいないとは言っても、たとえば若者と老人の結婚を祝福する人は稀だろう。

 遺産目当てとか介護問題とかロリコンの前例を作るなとか、避けては通れないノイズばかりが目立ってしまうのだ。


 それくらい極端な例を出して、いくら理屈が説き伏せようとしても。

 日々感情は膨れ上がっていくばかりだ。



 自分で悩み続けて答えなど出るはずもない。いまのわたしには、客観的な第三者の意見が必要だった。


 狭い交友関係の中から、もっとも適していると考えた相手にわたしは打ち明けてみることにした。


「山葉さん、恋バナ興味ある?」


 テスト期間中の昼休み。

 お弁当を広げつつ、わたしはガールズトークとしゃれこむことにした。

 うん、すごくJKらしいことしてるぞわたし。


「あるも何も、抱えているから聞いてほしいのですよね」

「……うぃっす」


 さすが山葉さん、鋭い。

 恋バナと聞いてわーきゃーはしゃがないこの子のローテンションは、話す側としてはすごくありがたい。


 他の女子ならこうはいくまい。

 仮にアスカだったら、大口かっぴろげてイジられまくる姿しか予想できない。


「実は、気になってる人がいるっちゃいるんだけど」

「はあ」


 無表情でお米を咀嚼していた山葉さんの瞳が、少しだけ見開かれたように見える。

 にんにく生姜風味のからあげを飲み込んで、わたしはふたたび口を開いた。


「どうしていいか、よくわからない」

「……はあ」


 どうすりゃええねん、と山葉さんは目を細める。

 ひどい会話の当て逃げだ。

 だけど実際。認めてはならないけど認めざるを得ない初めての感情に、わたしは振り回されまくっていた。


 無謀だから諦めろ、そう簡単に割り切れない。

 終わらない花占いが、脳内でずっと繰り広げられている。


「…………」

 しばし考え込むように、山葉さんは箸を置いた。

 流れる沈黙の中、わたしはひょいひょいと食べ進めていく。いや食欲には逆らえないし。


 窓の外は白く濁った空が広がっており、教室内は蒸し暑さと昼食の匂いと昼休み特有の騒がしさに包まれている。


 気象庁の発表ではまだ梅雨入りしていないとはいえ、5月下旬から天候は曇りか雨の予報がずらっと続いている。

 これくらいの気候がいちばん過ごしやすいんだけどね。


「光岡さんはその方に好意を抱いている。それはお間違えないのですよね」

「うん……」

「では、関係を進めてシミュレートしましょう」


 一呼吸置いて、山葉さんは直球で言い放った。


「その方と、どのような関係に落ち着くことを望んでいらっしゃいますか? 寄り添い、ゆくゆくは温かい家庭を築きたい。そう願っておりますか?」

「ま、待って待ってちょい待て」


 ぼんやりとした感情の輪郭が、具体的な将来像を提示されたことによりぼっと頬が熱くなる。

 好意の行きつく先はそういうことなんだろうけど。

 でも、そこまでの将来は考えたこともなかった。


「ご結婚ではなく、付き合ってそれらしいことをしたい。そこまでの関係をお望みですか?」


 いきなり結婚は重いと思われたのか、次に提示されたのは学生間の範囲に留まる未来だ。


 カップルらしいことに理想を抱く、恋に恋している状態。

 恋愛の一番美味しいところをすくい取った、責任を伴わないおままごと。

 そうなれると思ってすらいなかったわたしには、これもハードルが高すぎる。


 煮え切らない返しをするわたしへと、山葉さんは最後の関係性を提示した。


「では、想っているだけでいい。感情の一方通行で構わない。こちらの段階にいらっしゃいますか?」


 ぴしゃりと言い当てた山葉さんの見解に、驚くと同時に情けなさがこみあげてくる。 

 恋バナ未満だよ、これじゃあ。


「光岡さんがどの段階で満足しているか、です。まずはそこを洗い出して、現状維持なのか先へ進みたいのか。それを分析できない限りは、山葉から口にできることはここまでです」


 考える時間をくれたように、山葉さんはそこで会話を終えた。

 残っていた食事の再開へと移り、相変わらず無駄のない動作でお弁当を胃におさめていく。


 わたしは。残っていたおかずを口に運んで、弁当箱の蓋を閉じた。

 片想いのままでいいのか、もっと親密な関係を望むのか。


 理屈で考えれば、相手を選べで一蹴されるだけだ。

 では、感情では?

 そこに向き直り、わたしは掘り下げる。


 この先、想いを隠して大学卒業まで過ごすと考えて。

 その間にわたしが心変わりすることも、日野が新しい出会いに巡り合う可能性もあるだろう。


 わたしが出ていって、次の里子があのマンションにやってくる。

 日野は同じように愛情を注ぎ、可愛がるだろう。

 おそらくはどこかのタイミングで相手を見つけて、本当の意味での母親になるかもしれない。


 そこに、わたしはいない。卒業して、就職したら終わり。

 本当に、それでいい?


「…………」


 想像して、胸にじわじわと淀んだ水が入ってくる気分になった。

 愛情を独り占めしたい、まではいかないけど。自分より多く注いでほしくない。


 まるで、下の子が生まれて付きっきりでお世話をする母親へ嫉妬する上の子だ。

 そういった独占欲を、新たにわたしは胸に覚えていた。


 それは、恋心なんだろうか。親代わりとして優しくしてくれるから、依存してるだけなんじゃないだろうか。


 日野に里親を続けるなと、強制する権利はわたしにあるはずもない。

 より多くの愛情を求めるのであれば、それはもう、家族になるしかありえないのだ。


 わたしは日野に愛情を求めている。

 いまの生活を、願わくばずっと続けたい。

 分析してみれば、なんてことのない。単純な欲求であった。


「答え、出たようですね」


 待っていてくれたように、山葉さんの声が柔らかい調子になった。


「好きになる対象者は自由です。だけどそこからは、光岡さん個人の感情だけでは進展できません」


 恋は1人でできるが、恋愛は2人でないとできない。

 当たり前の理屈を説き、山葉さんはわたしの背中を押す。


「恋人の有無、恋心の有無。それから相手の性指向と、性的指向は必ず知っておきましょう。異性が好きなのか、同性が好きなのか、両方なのか、恋愛感情そのものを抱けないのか」


「確かに……恋愛感情はあっても性欲は抱けないってセクもあるもんね」


「はい。お互いに好き、だけでは絶対に長続きしません。好きだからこそ、事前に相手のことを知っておくことは重要です。性の不一致でパートナーを解消した話なんてごまんと聞きますし」


 恋愛を主題にした作品では、主人公は相手役と結ばれることが必ず決まっている。

 いちいち細かいことは気にしたりしないだろう。


 恋に一途な主人公と、徐々に惹かれていく相手の変化を楽しむ。

 娯楽第一で創作はあるのだから。


 だけど現実はそうはいかない。

 恋は盲目とは聞くけど、そこだけは目をそらしてはならない。


 相手が異性愛か同性愛かも知らない状態で、恋愛感情のみで突っ走る。アプローチしていけば、いつか実るからと根拠のない自信を持って。

 それが許されるのはおとぎ話の世界だけ。

 相手の気持ちになって考えられない自分本位の人に、寄り添う資格などないのだから。


 山葉さんに言葉にされたことにより、するべき手順がはっきりと脳内に浮かんでくる。


「ありがと、山葉さん。相談してよかった」

「前向きに捉えられたのであれば幸いです。そろそろ”恋愛希望調査”の時期でしょうから、そこでまた振り返ってみるのもいいかもしれません」

「あー、もうそんな時期か」


 陰ながら応援しております。

 小さなエールを贈ってくれた友人へのお礼も兼ねて、わたしはバイト先のクーポン券を何枚か渡した。

 そのうち2人で食べに行きたいね。


 さて、日野はなんと言うだろう。

 どう転んでも、受け止める覚悟を。悔いのない選択だと思って、選んだ道なのだから。


 窓の外の曇り空は、少しだけ明るくなって遠くには光が差していた。

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