母の日(後編)

 いろんな意味で波乱万丈だったGWが終わり、登校日がやってきてしまった。


 つっても、今日は金曜日。まだGWが続いている感覚だ。

 案の定、教室内はがらっがら。何割が5月病で何割がずる休みなんだろうね。


「おは、よう」

 窓際の席に山葉さんが着席していることに気づいて、おそるおそる近づく。


 山葉さんとはあの一件以来、LINEで事務的な報告しかしていない。

 気まずい状態の挨拶となったけど、山葉さんはいつも通り淡々とした調子で『おはようございます』と返してくれた。


「今日はたいへん空いておりますね。学級閉鎖かと思いました」

「SNSのトレンドが”今日から平日”じゃなくて”今日休み”だもの。全国規模でサボりが蔓延してるよ」


 軽口を返しつつ。いつも通りに接してくれる山葉さんの心情が気になって、他愛ない話をずるずる続けてしまう。


 わたしは友達でいいのだろうか、と。


「ご要件はなんですか、光岡さん」

 どうでもいい芸能人のゴシップを引き伸ばしていると。わたしの心の迷いを看破したように、山葉さんの鋭い声が会話を切り裂いた。


「用……はなくても喋りたいときってあるじゃん」

「光岡さんは沈黙に耐えられる方でしたよね」


 無駄話はいいからさっさと本題に入れと、漆黒の瞳に真正面から見据えられる。

 吸い込まれそうな深い闇の色は、こちらからは一切底が見えないのに向こうからは奥底まで見透かしているかのようだ。


 観念したわたしは白状することにした。


「……山葉さんはどう思ってるんだろって、気になってた」

「どう、とは?」

「友人だと思ってた人が問題児だったと知れば、ふつーは距離置くだろって」


 友人を試していること。過去の自分をもっとも使いたくない表現で言葉にしたこと。ふたつのいたたまれなさがかーっと背中から吹き出してくる。

 差し込む朝日よりも熱く、首から上が灼かれて蒸発していくよう。


「当事者でない山葉が、私的に光岡さんを裁く権利はございません。あの方にも申した通り、御学友として接してくださる光岡さんがすべてですよ」


 湯気が出そうなわたしとは裏腹に、山葉さんは涼しげな声であっさり返した。


「光岡さんは、当時のことに対して謝罪されたのですよね」

「う、うん」

「でしたら、それで当事者間での決着はついているのでしょう。それで十分です」


 くすぶる黒い感情を鎮火するように、山葉さんの言葉がすーっと頭を冷やしていく。

 自分がいかにちっぽけだったか恥ずかしくなってきた。


「そっか、うん。試すようなこと言ってごめんね」

「いえ、少しでも光岡さんの心が軽くなったのでしたら」


 山葉だってあの日、光岡さんを傷つけられた怒りからあの方の頬を叩きそうになりました。

 そう、険しい顔で拳を握りしめていた理由を山葉さんは述べる。


 そこで踏み止まって冷静に返せるあたり、やっぱり山葉さんはわたしよりも数段大人だ。


 ちょうど予鈴が鳴って、すっかり軽くなった気分の中わたしは席へと戻った。



 その日の帰り道。

 いよいよ明後日へと迫った母の日に備えて、一足早くわたしは花屋へと寄った。

 当日だと人が殺到してほとんど選べないこともあるため、事前に買っておこうと思ったのだ。


 同じように見越した人が、ちらほらと店頭の花を吟味している。


「いらっしゃいませー」

 文字通り、花が咲くような女性店員の満面の笑みがわたしを出迎える。

 きれいな人だなー。

 一瞬、心臓が鷲掴みされたように跳ねたのを覚えた。


 お姉さんはその後も、来店したお客様や通行人に華やかな笑顔と声を振りまいていた。

 美人が呼び込んでいるとなればそれなりに集客効果もあるようで、明らかにお姉さん目当てでデレデレしている人も見かけた。


「…………」

 母の日仕様に包装された、色とりどりの生花を眺めながら。

 同じく芽生えて、下へ下へと根を伸ばすある感情へとわたしは問いかける。


 わたしはもしかすると、同性愛者なんだろうか。


 さっきのきれいなお姉さんにどきっとしたのが、その証拠だ。

 あの、今もでれでれしているおっさんたちと似たようなものを、わたしは内心抱いていた。


 美男美女にきれいだなーって惹かれることはあっても、こんなふうに心が躍動したことはなかったはず。


 今まで恋というものを経験したことがなかったし、少女漫画を見ても遠い世界の出来事としか思えなかった。


 性指向をこの歳になって自覚するというのもどうかと思うけど。

 その対象が同性なのはべつに問題はない。結婚も出産も法律と科学的に可能で、国で推奨してるんだから。


 山葉さんも美少女だけど。今日面と向かって話してお昼から帰り道まで一緒でも、意識したことはない。

 そう見れるか、と脳内でシミュレートしても友人から進んだ関係が想像できない。


 女なら誰でも、ってわけではないんだろうな。

 そりゃ、世の中の男がみんな美人で巨乳が好きってわけじゃないのと同じようなもんだ。


 だけど、あのお姉さんにそういった感情が沸き立ったのはなんでだろう。

 考えて、初対面のはずなのに既視感があった違和感の正体を手繰り寄せようとする。


 答えは、ぼんやり眺めていた花の中にあった。

 半額シールが貼られている、小さなポット苗。咲いている花は、最近覚えた品種。


 サツキの、花。


 認識した瞬間、さっきのお姉さんの笑顔と日野の影が重なる。

 なんでやねんと頭を振っても、灼きついて脳裏から離れない。


 そこから、か?

 つまり、わたしはああいうタイプが好みだったのか?

 あまりにも安直な連想に否定しかけるけど、そうとしか思えなかった。


 でも、そうだとするとまずいでしょ。

 従姉だから。里親だから。教師という立場だから。

 それよりも、もっと。根本的な問題がある。


 立ち尽くしている間にも、客がぞろぞろと店内に流れ込んでくる。

 お姉さん効果すごいな。母の日が近いからって、こんな小さな花屋に人が殺到するってそうそうないだろうし。

 大輪の花に群がる蜂のようだ。


 ともかく、いつまでも買わないままここにはいられない。

 日野はなんの花でもいいと言ってたけど。

 わたしはもう、目の前のこの花しかありえなかった。


「お願いします」


 誰も見向きもしない、小さなポット苗を抱えて。

 わたしはレジへと向かった。



「ただいまー」

 今日は寄り道をしていたということもあり、日野を待つのにそう時間はかからなかった。


「おかえり」

 長期休み明けの仕事は疲れがたまる……とは聞いていたけど、日野の表情に疲れの色は薄い。

 明日からまた休日という解放感から来ているのだろうか。


「今日はびっくりしちゃったよ。担当クラス、ほとんど人がいなかったんだ」

「どこも考えることは一緒なんだ……」

「え、彰子のところも?」

「学級閉鎖並みだよ」


 教員からすると複雑だよね。せっかく学力向上を考えて授業をしているのに、休みを優先されては虚しさがつのるだろう。

 そう教師目線になって考えちゃうのは、身近にいるからだろうな。


「GW明けてから一気に暑くなったよなー。もう半袖に衣替えしないとダメだね」


 額の汗をハンカチでぬぐって、一刻も早く脱ぎ捨てたいのか勢いよくベストのボタンが外れていく。

 白いブラウスと、それに包まれ盛り上がった胸部が見えて、


「…………」

 いや、何固まって見てるんだよわたし。

 ガン見していることに気づいて、わたしはあわてて顔を背けた。振り払うように、会話を切り出す。


「あの、今日。買ってきた」

「ん? 何が?」

「花。母の日は明後日だけど、当日じゃ売り切れちゃうかなと思って」

「ほんと? 見せて見せて」


 はしゃぐ日野の声を横目に、わたしはなんとなく隠すように置いていた鉢植えを取りに自室へと向かおうとした。


 振り向いて、すれ違う前にわたしは吹き出した。


「き、着替えるなら向こうでやって」

 上着だけハンガーに掛けるのかと思いきや、日野はブラウスまでも脱いでいた。

 ブラ一枚で平然と歩き回る彼女に、想像以上に大きい声で言ってしまう。


「ご、ごめん?」

 何怒ってるの? と日野は不可解そうにわたしへと近づく。


 確かに。暮らし始めてひと月ちょっとだし、目の前で着替えたこともあったかもしれない。覚えてないけど。

 けど。日野じゃなくて、自分に対してわたしは焦っていた。そんな目で里親を見るんじゃないよと。


「ああ、そっかそっか。いい歳した女のみっともない姿なんて見たくないよね」


 家族だからってだらしなくなるとこだったよー、と日野はカーディガンを羽織って、そそくさと洗濯機のある洗面所へと向かう。


「そうじゃない、けど」

 誰に対して放っているわけでもない声を、日野の消えたリビングでつぶやく。


 だめだ。

 タイプなのかもって意識してから、余計に家族として見られなくなっている。

 思い込みが、わたしの生活を圧迫している。


 押すなよ押すなよと思っていても、沼へと引きずり込まれていくかのような。

 何も知らないままでいれば、今も幸せだったのに。

 普段頭が悪いくせに、どうしてこういうことに限っては頭が回ってしまうんだろう。



「持って、きたよ」

「どれどれ、どんな花?」

「サツキ……」


 この響きをこの人の前で口にするのは何年ぶりだろうか。

 言っただけで、ばくんと心臓が大きく揺れる。


 山葉さんと朝話したときとは比べ物にならないくらいの熱さがばーっと吹き上がってきて、汗がじわじわとにじんできた。


 日野も花を指しているとは最初気づかなかったらしく、ん? と人差し指を自分に向ける。


「ちょうど5月だから。これならベランダに置いておけば毎年見れるし」

「私の名前と合わせてくれたんだね。洒落てるなー」


 苗を渡すと、日野は娘からのプレゼントだーと大いに喜んでくれた。

 母の日にカーネーションでもなくサツキの苗を渡す人って、全国にどれだけいるんだろう。


「え、と」

 ただのプレゼントではなく、日頃の感謝を込めて。わたしは苗を差し出しかしこまった言葉を贈る。

 今さら恥ずかしいと躊躇せず、小さな労りの言葉と行動の積み重ねは大事だ。


「迎え入れてくれて、ありがとう……的な」


 日和って締まらない言い方になってしまった。だらだら汗を流しながら立ち尽くすわたしへと、日野はそっと苗を受け取る。

 それから大事そうに、胸へと抱えた。


「ありがとう。大事に育てるね」

 日野が微笑んで、めまいを起こしたように一瞬だけ視界がぐらつく。

 あのお姉さんよりもはるかに強く。後光が差したかのような日野の笑顔は、鮮烈な記憶となって心と脳裏に刻まれる。


 ああ、やっぱりそうなってしまうのか。

 もはや自覚せざるを得なくなってしまった想いを胸に、わたしはある不安を覚える。


 根本的な問題。

 この先ずっと、想い人とひとつ屋根の下で暮らすって。

 どうしたらいいんだよ。


 どんなに悩もうが、等しく明日は訪れる。

 悩みのタネは、当分尽きそうにない。

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