再会
日野が家を出てから30分後。
約束の時間まで残り5分を切ったので、わたしは玄関に向かった。
5分前行動ならぬ5分前出発という、駅近に住んでる者による余裕。
いやー、駅が隣にあるっていいよね。
マンションを出ると、強い日差しに出迎えられた。
5月ってもう、実質夏。こうして日向に立ってるだけで、じりじり肌を刺す熱さを感じる。
この気温がバグった暑さのなか、待ち合わせ場所はすぐそこなのにわたしは走り出す。そうしたい気分だったから。
アスファルトを蹴って、駅前通りを駆けていく。
駅から市街地に向かう通行人の流れに逆らうように、ぬるい風をまとって。
わたしは今、機嫌がいいらしい。
我ながら単純だと思う。たかだか自作の小テストで満点取ったくらいで。
昨日までは無駄だと思っていた勉強が『次もいい点取るぞ』と意識の改革がなされるくらいには、自己肯定感が高まっているのを覚えていた。
日野、やっぱ教員なだけある。
それとも。『保護者にいいとこを見せたい』ってわたしの意欲からだろうか。
いい点を取ったら、親に自慢する。
親が褒めてくれたりごほうびをくれるから、また次頑張れる。
わたしは遅れて親子の信頼関係の構築をやってんだなあ。
「それでは、参りましょうか」
日傘を差した山葉さんの隣に並んで、わたしたちは沿線を歩きだした。
ここをずっとまっすぐ進んで、途中高速道路下のトンネルをくぐっていけば市役所に続く国道に出るらしく。
その付近に、こないだ山葉さんが言っていたお蕎麦屋さんがあると言う。
「暑くないの?」
涼しい顔のままの山葉さんは仙人かなにかだろうか。
薄手とはいえカーディガンをまとって、手袋とサングラスまでしている。おばちゃんでこんな感じの格好する人いたな。
「10代の紫外線軽視は中年期に返ってきますゆえ」
「山葉さんめっちゃ白いもんねえ」
「シミとかホクロもできやすい体質でして。曇り空でも日焼けするほどです」
美しさが保証されているDBも、そのへんの努力は必要なのか。
わたしとかもともと色黒だから、気にせず昔は半袖短パンで駆け回ってたな。おばちゃんになったときやばそうだ。
「でもそっか、暑いし紫外線も気になるよね。市役所経由の市内バス出てるから、それ利用すればよかったかな」
「山葉もそう考えたのですが、ここの景観は格別なので」
「わかるわー」
山葉さん、合理主義者っぽいけどこういう感性も持ち合わせてるのか。
高級住宅地をバスは通らないし、一軒一軒目の保養になる景色を焼き付けながら歩くのもまた格別だ。
途中で通りかかったでっかい公園には、大きな花をつけた街路樹が目を引いた。
品種が違うのか、赤い木と白い木が交互に植えられている。
「あれなんだっけ……八重桜?」
「それはもうとっくに散っております。ハナミズキです」
「へー、この花よく見かけるよね」
花びらに見えるところは葉っぱなんですよ、と山葉さんが蘊蓄を述べる。
ついでに花言葉も教えてくれた。”永続性”という意味らしい。
だから街の存続を願って、街路樹として植えられることが多いのだろうか。
にしてもなんでも知ってるね、山葉さん。辞書かな。
「では、光岡さん。ハナミズキの下に咲いている花は分かりますか?」
得意げな声で、山葉さんは植え込みに視線を向けた。
む、人を花にうといと思って。
植え込みには、縁石に沿って赤紫色の花が大量に咲き誇っている。
これはさすがにわたしでも分かるわい。
「ツツジでしょ」
「ぶー、です。確かにツツジ科に分類されるお仲間ですが、開花時期が異なります」
可愛らしく人差し指でバッテンを作って、山葉さんはふふんと声を張る。
ああ、そうだった。ツツジは新学期のときにマンションの下に咲いてたっけ。それじゃもう枯れてるよね。
ひっかけ問題として出したと考えるとちょっと悔しい。
「降参。なんて名前?」
「”サツキ”と申します。今の時期に咲き始めることに由来しております」
不意打ちでその響きを食らったもんだから、一瞬歩みが止まる。
花の名前で、5月の別名で。
日野の、下の名前。
「ふーん。ツツジくりそつだけどこれが、」
サツキって言うんだ。
たったそれだけの言葉が喉につかえて、中途半端に会話を打ち切ってしまう。
今まで身内と同じ名前のキャラやものになんて何度も出くわしていたのに。
なぜだか、その響きを口にするのは抵抗があった。
「ちなみに、サツキの花言葉は」
「あ、いいよいいよ調べるから。それよりさ、」
山葉さんにまで声に出して言われるのが恥ずかしくなって、わたしは強引に話題を変えた。
なに意識してんだか。小学生かよ。
花から話題をそらしているうちに、目的地は見えてきた。
目印のように農産物を主張するのぼりがいくつも立っていて、芝生の向こう側には店らしき建物が見える。
敷地内にはGWということでバザーが開かれており、駐車場はほぼ満車だ。
意外と人気スポットなのかな。
最大の特徴は中央に見える、丸く柵に囲まれた大きな池。
池は水面が見えないほどにでっかい葉っぱに埋め尽くされていた。
「あれは蓮池です。夏になると古代蓮が咲くのですが、それはそれは美しいですよ」
「詳しいね、山葉さん」
「ここには何度も通っておりますので」
ショッピング巡りが趣味のJKはおれど、農産物直売所巡りのJKはなかなかおるまい。
まあこの街ってまじで娯楽少ないから、食料、飲食店、バザーが揃っているここに行きたくなるのも分かるけど。
昼時より少し前に着いたこともあり、お蕎麦屋さんにはギリギリ待たずに入れた。
和を意識したお店らしく、囲炉裏をモチーフにしたテーブル席もあるのが面白い。
ちゃんと天井から魚とヤカンが吊るされている。
わたしたちは暑い中歩いて疲れてきたので、奥の座敷席を選んだ。
さすがに帰りはバスにしよう。
「おすすめはある?」
「地元野菜を使用したかき揚げそばでしょうか。今の時期でしたら山菜そばも美味しいですよ」
「じゃ、後者にすっかな」
料理が来るのを待つ間、山葉さんは鞄から小説の単行本を取り出した。
そのまま本に目を落とし、完全に自分の時間へと入る。
わたしもちょうどいいスキマ時間だと思ったので、朝仕上げてきた英単語帳をポーチから出してめくり始めた。今夜の予習のために。
友人同士対面しているのに、会話もなく各々のしたいことをする。
本のタイトルや、中間範囲の英単語。そこから話題が生まれそうなのに、あえて口には出さない。
でも、わたしにとってはこの距離感が心地良いのだ。
「ありがとうございましたー」
お蕎麦で膨れたお腹をさすって、わたしたちは店を出る。
時刻はちょうど、お昼のピーク時。外のベンチにはたくさんの人が並んでいた。
「ありがとう、おすすめしてくれて。美味しかった」
「お気に召したようならなによりです」
お蕎麦屋さん、値段は少々張るけど味は確かだった。
国産粉を使用した手打ちそばだけあって、蕎麦麺はコシがあってなめらか。
とろろがかかっているから喉越しは抜群で、鼻に抜けるお出汁と無限にずるずるすすれそうなほど。
わらび、ゼンマイ、フキ、なめこといった定番の山菜水煮もお出汁をたっぷり吸ってて美味しかった。天ぷらもつければよかったかな。
山葉さんは予想通りというか、小盛り用の丼でつるつる麺をすすってる光景は微笑ましかったね。
いつもお弁当、小学生用かってくらい小さいからなあ。
「山葉はこのあと、そこの直売所とバザーを見て回る予定ですが。光岡さんはいかがなさいますか?」
買い物に延々と付き合わされるのは面倒だろうから、帰りたきゃどうぞというニュアンスだ。
あくまで今日はお蕎麦をいっしょに食べるのが目的だから。
山葉さん、とことんマイペースだよね。友人同士でも付かず離れずの距離感って。前世猫だったんじゃねってレベルだ。
わたしも似たようなもんだけどさ。
ちなみに日野は犬っぽいと思う。
「んー、初めて見る場所だしぶらぶらしたいかも。30分後くらいにまた集合する形でどう?」
「では、場所はそこの蓮池で。ごゆっくり満喫くださいませ」
「りょーかい」
ということで、わたしたちはいったん別行動を取ることにした。
お店に入っていった山葉さんを見送って、わたしはバザーを眺めていく。
物価上昇で服もコスメも贅沢できなくなったから、こういった良心的な価格設定のバザーはいいよね。
思わぬ掘り出し物にも出会えるかもしれないし。
「ねえ」
ん?
山葉さんではない。明らかに初めて聞く女の声だ。
振り向くと、すぐ隣に女子が立っていた。
「人違いだったらすみません。光岡さん……だよね?」
「そうだけど……」
誰だ、この子。同世代では珍しく、VBの子だ。
ゆえにDBが9割のクラスメイトでないことは確信した。施設の子は全員覚えているから、これも違う。
「覚えてない? 小学校で一緒だったんだけど」
いやあ、そこまで遡るとわかんねえわ。名前を聞いてもピンとこない。
むしろなんでこの女子は一発でわたしと分かったんだ。
あの頃のわたしは友達なんてものはいなかったから、余計に接点が分からない。
「ごめん、さっぱり」
「……そっかー」
さっぱりと言った瞬間、女子の笑顔が強張ったように見えた。
だけどすぐに元のスマイルを作って、愛嬌を張り付かせる。
「さっきそこのお店で見かけて、でもお友達と一緒だったから話しかけられなくてさ」
いまフリーだったら、ちょっと話さない? そんなに小学生以来のクラスメイトと再会したのが嬉しいのか、女子はぐいぐい迫ってくる。
うーん、どうしよう。
正直ひとりにしてほしいんだけど、向こうはわたしと話したいみたいだしな。
あんまり邪険にするのも後味悪いか。
「……じゃあ、30分後に待ち合わせって形になってるからそれまでの間だったら」
「え、別行動なの? 解散したんじゃないんだ」
「お互い自由な性格でしてね」
なので、ぶっちゃけつるみたがるタイプは苦手だったりする。
でも、そういうとこがわたしの悪いクセなんだよな。
世の中山葉さんみたいな人ばっかじゃないし、合わない人ともちゃんと付き合っていかなきゃいけない。
ある意味いい機会なのかも。
「じゃ、ちょっと散歩しない? このへんぐるっと回る感じで」
すまん、山葉さん。いちおうLINEで『今知り合いとエンカした ちゃんと時間には戻るから』と送って、女子と歩き出す。
暑い中遠出するのも悪いと思ったのか、意外と散歩範囲は短かった。
すぐ隣の市役所の敷地内に入って、『くつろぎ森公園』と看板がある森林地帯へ進んでいく。涼しい場所を選んでくれたんかね。
「光岡さん、いまなにしてるの?」
「なにって……ふつーのJKやってるよ」
ちなみに女子は長い間不登校で、やっと夜間高校に通い始めたらしい。
……いや、そんな重い話されてもなあ。わたしに話しかけたのもリハビリの一環なのだろうか。
「なんか光岡さん、変わったよね」
「そりゃこんだけ時間経過してりゃね」
「それもあるけど。雰囲気とか話し方とか、全体的に」
「いろいろあったからねえ」
そう、中学生以前の記憶は黒歴史だ。
なのでその頃を知ってる人からすれば、誰おまと思うのも無理はない。
あの頃とは違う。わたしは生まれ変わると決めたんだ。
そして実際、変わってきていることを実感している。
勉学に真剣に取り組んで、友達を作って、頼れるものはなんでも頼って。
日野と暮らす数年を無駄にせず、将来の研鑽に当てる。
このVBを排除し始めた世界でも、絶対に生き残って夢を叶えてやる。
そのためならなんだってしてやるんだ。
「……私の時間は、あそこで止まったままなのに」
ふーんと興味なさそうに返した女子は、急にぼそりと意味深な言葉をつぶやいた。
その場に立ち止まり、気を落としたようにうつむく。
あ、あれ? なんかトラウマスイッチでも押しちゃった?
「ご、ごめん。偉そうな言い方になっちゃったかもしれない」
「んーん。むしろ今日、光岡さんに会えてよかったよ」
女子は泣きそうな顔をふるふると振って、わたしへと無理やり笑いかける。
直後。
その表情が一変するのを、わたしは見た。
こらえる涙、取り繕った笑顔。
天候の急転のごとく、仮面の表情が剥がれていく。
「が、」
間髪入れずこめかみへと鞄が叩きつけられて、わたしは芝生へと倒れ伏した。
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